文学フリマ東京@ウ-08

5月29日に行われる、文学フリマ東京2022に出店します。私のブースはウ-08だそうです。まだ書き終わっていませんが、いいものを書く予定であります。よろしくお願いします。

私は、いつもいつも、生きているのが大変に恥ずかしく思うような瞬間が多々あって、こういった感情というのは、定期的に私を襲うのですが、たいていはふっと消えていってくれるもの、しかし、ここ最近の私の「生きていてはいけなさ」というものはなかなか過ぎ去ってはくれず、これはなぜか春になった途端に仕事を3本貰い、完全に売れた、完全に、ロブスターだ、と調子をこき、ふと改めて過去の自分の言動を振り返ってしまったことが起因であるのですが、ともかく、あらゆる物事が決して自分のために存在していない、というのを自分自身に断言し続けるというのを繰り返しているとき、いささか楽ではあるものの、たまに無理やり押しつぶすことのできない硬い部分なんかが現れたりして、いったい何が硬いのかと考えると、それはウンコに他ならないのである。

私は、幼い頃からずっとインターネットで生きてきて、今のツイッターのアカウントは二十歳からやっていますから、あんまり思い出したくない、醜悪でダサくて幼稚な言動、価値観を持った、当時の自分の匂いを多分にはらんだこのアカウントは、もう心底キモチが悪くて、本当ならば今すぐにも削除してこれ以上みな様のお目を汚すまいとするところなのですが、仕事とかあるので、すぐには消せないので、ここでひとつ、それ以前と、それ以後という、その境目に、ウンコを放出してやろうと考えているのである。

これも以前に話しましたが、私は強迫性障害という病気を患っており、煙草の火が消えているか何度も確認したり、鍵がかかっているか何度も確認したりといった、心配性的な症状ももちろん、アパートの前にウンコが落ちていてそれが原因で動けなくなるという訳の分からない症状もある。見かねた友人がうちまで処理しに来てくれたのでなんとか助かりましたが、私はこの事件以来、アパートに出入りをする瞬間、ずっとウンコについて考えている。頭から、あのとき落ちていたウンコが消えないのだ。誰よりもウンコのことを考えている。俺よりウンコのことを考えている自信のある奴は、名乗り出てほしい。そいつこそがウンコマンである。

そして、もうひとつ、ウンコと一緒にずっと考えているのが、過去の自分の言動である。悪い言動、ダサい言動、未熟な言動、そういったものが、定期的に私を襲い、ラシルドも間に合わずに喰らい、そのたびに、自分には幸せになる資格などないのだ(実際ない)とひどく落ち込み、また、過去の未熟な自分がどこかにすべてさらけ出され、「コイツは気ちがいウンコマンだ、石を投げい」とさらし者にされる恐怖も絶えない。私は、こういった苦しみや恐怖のことをウンコと呼ぶことにしており、そして、このウンコに苦しむことは、まったく当然のことであり、しかるべきことなのであると考えている。

そのウンコを、以前と以後の境界線に放出するという意味で、文学フリマに出店いたします。ウンコは1冊500円で販売する予定でございます。まだ2割程度しか書けていませんが、少なくとも5万字ほどは書こうと考えております。このウンコでいったん、過去の自分と訣別ができれば、などと考えている、ウンコはウンコでも極めてエゴイスティックなウンコではりますが、何卒よろしくお願いいたします。

私の薄汚れた目からは、自分以外の人間は全員、完璧な聖人に見えてしまうところですが、きっとそうではないのであろう皆さまは、一体どのようにして、過去の自分と折り合いをつけているのでしょうか。私は病気であるからゆえにここまで苦しんでしまうのでしょうが、健康体だとしたって、過去の過ちというものは、それなりに苦しいものであるはずです。人には人の、ウンコ。いろんな人のウンコの仕方を是非参考にさせていただきたいところですが、私は私なりの、できるだけ面白いウンコを販売する予定であります。何卒、よろしくお願いいたします。

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