ショマホル(38)

木こりという職業が具体的に何をしている人なのか、しっかり理解している人は少ないと思う。木こりは「樵」とも表記され、ごく簡単に言うと木を切って生計を立てる人の事。昔話だけの話ではなく、現代でも私のように日本で生きる木こりは存在する。

昔話の世界では、木こりは斧を持って、適当に歩き、大した仕事もしていないのに斧を池に落とし、大した善人でもないのに金の斧を手にしているだけだが、実際の木こりの世界はそんなに甘くはない。木を一本倒すだけでも、相当な工夫と予測が必要になる。安全に倒す方向を予測し、木に受け口となる切込みを入れる。その切込みに鋭角を持たせるよう、さらに斜めに切れ込みを入れ、三角形の木片を取り除く。さらに反対方向から、追い口となる切込みを入れ、木の倒れる角度を調整しながらゆっくりと刃を入れていく。定規やコンパスを使ってできるような事ではなく、長年培ってきたカンによるものだ。

バカげたチョッキのイメージや、金だか銀の斧というふざけた話のせいで、のんびりとした平和な職業だと思われることも少なくないが、森では常に野生動物の危険にさらされ、天候にも大きく左右され、全身泥だらけになりながら歩いて帰る。森の入り口から、森の奥までの電車もバスも無い。土地勘も方向感覚も必須となる。自然は決して寄り添ってくれない。広大な森の中で1週間、1日中孤独に過ごす覚悟が、果たして何人の人間にあるだろう。精神的にも肉体的にも、過酷を極める職業だと言える。

かく言う自分も、木こりと聞けば未だにムーミンの緑の女――男かもしれないが――を想像してしまうし、自身の生業に特段の誇りを持っているわけではない。ぬるい仕事じゃない、舐めてもらっちゃ困るという気持ちは捨てていないが、近年は環境問題が叫ばれたり、でかい企業が重機を使って根こそぎ刈っていったり、いくら都会の喧騒に疲れていたとしても、体力に自信があるとしても、あまりお勧めできた仕事ではないのも確かだ。しがない木こりがひとりいなくなったところで誰も困りはしないだろう。

前置きはここまでにして――さっそく本題に入らせてもらう。私はショマホル。遭難してここに辿り着いた登山者をできるだけ惨たらしく殺すことを趣味とした、気ちがいの木こりである。気こり、と名乗るのが良いかもしれない。昼は木をこり、夜は気をこっている。

昨夜やってきた若い男女2人組は、私にとって記念すべき50人目の犠牲者(正確には男のほうが49人目、女のほうで50人目)となった。彼らは大学の卒業旅行とハネムーンを兼ねた登山を計画し、あろうことか大した準備もしないまま登山に挑んだ。大学を出たら結婚しよう、なんて呑気な考えから察せられるが、あまりに山を舐めすぎている。3月とはいえ、山はまだまだ厳しい寒さが続く。雪も降る。山小屋の戸を叩いた彼らは、片方の鼻水が凍っていたり、靴が脱げていたり、靴を脱ぐなよ、馬鹿じゃないのか。

どうぞ、寒かったでしょう。楽にしていなさい。彼らをデス・カウチに案内し、デス・コーヒーを淹れる。背後では、バカのふたりが執拗にお礼を言っている。お礼を言いたいのはこっちだ。なんだか気分が良いので、デス・シチューも作ってやることにする。もちろん手を抜いたり、毒を盛ったり、そんな野暮なことはしない。料理に全力を注ぎ、完全なシチューを作る。彼らにとっての最期の晩餐すら、私は支配するのだ。

彼らはすぐにぺろりと平らげ、涙を流しながらお礼を言った。東京でも寒いであろう薄いマウンテンパーカーを脱がせ、風呂へ入れてやった。彼らが入浴を終えるまでの間、私はハチミツとショウガのホットドリンクを用意して待った。

彼らは、私が何度も手洗いで血液を落とした毛玉だらけのスウェットに着替え、いかにも東京砂漠の乞食でございますと言わんばかりの風貌に変わり、ホットドリンクをズズズと半角で啜っている。食事と風呂を済ませて落ち着きを取り戻したらしく、彼らは私に質問を投げかけてきた。

「ここにはどのくらい住んでいるんですか?」

「もう、8年くらいになりますね」

「8年!助けていただいて何ですけど、ずっと山奥に暮らすというのも大変じゃないですか?」

「いや~意外と慣れますよ。最初は不便に感じてたことも、今は長所として受け入れられるようになってきました。不謹慎ですが、厳しい自然の中だからこそ、今夜のような出会いが訪れるんです」

「一期一会…ってやつですね。今になって思えば、結果としてあなたに出会えたのなら、遭難するのも悪くなかったかもしれません」

「ははは、だからといってまた遭難しちゃいけませんよ。特にこの時期は、街は春でも、山は真冬ですから」

「それは勿論です。本当にお世話になりました。僕たち、考えが甘かったですね」

「説教するつもりはありませんが、山を舐めてはいけません。次は、もう3枚着こんでくることです」

「はは。当分、登山する気にはなれませんけどね。良い経験になりました。本当にありがとうございました」

「とんでもない」

「ところで、このミミズたちは?」


えっ、さっきまでめちゃくちゃ普通に話してたじゃないすか、という目を私に向けながら殺されていくのを見るのが何ともたまらない。もうどっちが男だか女だかわからなくなった死体を前に、私はカゴからまだ綺麗なミミズを取り出した。1匹ずつ、それぞれの死体の耳にミミズを入れ、コーヒーを飲みながらしばらく待っていると、1匹は鼻から、1匹は右目から這い出してきた。私はミミズを大事に取り出し、同じカゴに入れてやった。カゴの中で彼らは淫らに絡みはじめ、私はなんだか照れ臭くなって目を背けた。

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