絵ごころ
小さい頃から絵を描くのにとても抵抗があった。描き始めてしまえば自分で言うのもなんだけど、最終的には何となく様になる感じではあったものの、描き始めの何もない白紙の画用紙を眺めていると、完成までの程遠い道のりを想像したり、自分の不用意な一手によって美しい無垢の白地を汚してしまっては、という思いから、パレットで色を作っては試し紙に色を塗って、ああでもない、こうでもないと色作りのせいにして一向に進めることができなかった。
中学生の頃、美術か何かの授業の冬休みの宿題で「富士山」の絵を描くという課題が出された。絵を描くことだけでも自分としてはハードルが高いのに、それに加え、学年全員が描いた「富士山」を教室に張り出し、父兄も参加の投票によって優秀作品を決めるというような形の課題だったように思う。
お題の「富士山」も東京都内であっても場所によっては都心に行けば行くほど高いビルのせいで、見えない場所もあるだろうけれど、自分がその当時住んでいたマンションからはくっきりと、はっきりと見える、いやむしろかなり見やすい場所に位置していた。ちなみに今まで「富士山」が見えない場所に住んだことがなかったりする。そんなこんなで、課題のためにまずはデッサンと、いうことで真冬のベランダに出てデッサンを進めようとしても件の理由もあり、全然進まずおまけに猛烈な寒さで早くも退散。こんなことを繰り返しているのを見かねた父がベランダに出てコンパクトデジカメで「富士山」をパシャリ。それをプリンターで印刷してその写真を丁寧に見て描けば良いと現実解を出してくれたことを覚えている。
すると僕の悪知恵が働く。その写真の上にトレーシングペーパーを乗せて、その上から風景のままに輪郭をなぞり、なぞり終わるとトレーシングペーパーと画用紙の間にカーボン紙を挟むことで複写の仕組みを作り、あたかも現実を忠実に再現した風に描かれたデッサンが出来上がる。もちろん描くサイズは写真サイズになってしまうのでとても小さい。
よし色を塗っていこうと、雪化粧の「富士山」に夕日が当たる微妙な白とオレンジの淡い色を作って色をつけていくと、どうしても写真で捉えた立体感のある現実の「富士山」には程遠いのっぺりしたものが出来上がってしまったのだった。そこにまた父が登場。ちょっと貸してみろと強引に僕の筆を取り、のっぺりした富士山に少し赤みが強い白(ほぼピンク)の絵具のついた筆で細い線を補助線のようにすっと入れると、あら不思議、今までのっぺりしていた「富士山」があっという間に立体的な味のある風景へと変化した。
興奮冷めやらぬうちに、父にその細い線の謎を聞いてみると、
「現実に見えているものだけを忠実に描いても現実のようにはならないよ。絵はこころで見たように描かないと。」そんな抽象的な応えだったように思う。
きっと、僕にはまだ絵ごころは、ない。
けれど今になってその言葉は、人生の輪郭を少し明らかにしてくれたような気がする。
「富士山」の絵に、さっと描いたあの細い補助線のように。
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