僕らのメディア論
ここ数日、昔一緒に働いていた方やかつての仲間が連絡をくれたり、道すがら交差点で文字通り交差する瞬間に「あっ!久しぶり!」なんていう再会があった。こういうことは時々起こる。数年前にはノルウェーのヴェルゲンというヨーロッパでも一、二を争う降雨日数(雨が激しく降るというよりは、シトシト霧雨が降る感じだ)を誇る街で立ち上げたNorwegian Rainのファウンダー兼デザイナーT -MICHAELと、西新宿の駅で新宿方面の電車に乗り込んだ時にバッタリと会ったりと、出会う人との物理的距離は関係なく、本当に何の予兆もなくバッタリと出会う。ちなみにその時は、そこそこの乗車率だったにも関わらず電車の中でハグをして、この奇跡的な状況を二人で喜んだものだった。
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さて、今回、数日の中で出会った人たちから受けた相談は「転職」「移住」「メディア作り」と言った具合だ。いずれにしても何かの転機を迎えている人たちと再会したということが共通しているようだ。そしてこの転機を迎えるにあたって避けては通れないのが、自分と向き合うこと。つまり、自分はどんな価値軸を持ってモノゴトを判断しているのかということなのだけれど、そういった価値軸というものは、当たり前だけど自分が通ってきた過去に「轍」のようにできているものであり、いくら未来を想像してみた所で心許ない希望とそれを飲み込むような不安の渦に飲み込まれてしまうことだろう。
特にメディア作りというのは、誘惑が多いように思える。商売先行で考えれば一時期のように「映える」「バズる」みたいなことからアプローチする人も多そうだが、先日のコラムでも「スロウ」というキーワードを出している僕からのアプローチは、より長期的に他者との関係性を作っていく部分に重きを置いている。これは自分自身でも抱えている問いでもあるのだけれど、たくさんの人たちに知って欲しいという側面がある一方、分かっている人だけに届けたいというジレンマを抱えてしまうものだ。特にこういった世の中の状況の中で急いで何かを決断しようとしてしまうと本来自分が思っていなかった方向にジャッジしてしまう恐れもあるので、気をつけていきたいものだ。
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過去を振り返る。上手くいった時のことを考える。ミスってしまった時のことを考える。得意なことに目を向けてみる。心弾むことに耳を澄ましてみる。
相談を受ける側としては、どんな相談であったとしても、相談に来ている段階でその相談者の中に答えがあるのだろうなというような予想がつく。けれど自分自身のことを自分が一番理解しきれていないのはみんな同じで(もちろん僕も自分のことがよく分からない時があります。)別の第三者が、相談者の歩いてきた道を、丁寧に話を聞き、紐解いていくことで、その通ってきた道にできたその人の「轍」を、鏡を差し出すように写し出してあげられるのかもしれない。
瞬発的に効用がある何かということよりも、植物が季節に寄り添いながら生育していくように、いつも自分自身を見つめ直し、メンテナンスしていけるきっかけを共有することがメディアには求められているのではないだろうか。
これからの世の中、過去を肯定し未来を歩んでいける、自分を信じられる人が増えていくと良いのだと思います。
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