私が最も愛する映像作品/マイク・ケリー「Day is Done」無料配信によせて
マイク・ケリー「Day is Done」の無料配信が8月28日から始まりました! やったー! 私が今まで観てきた何百何千の現代アートの映像作品の中で最も愛し、最も憎み、最もトラウマになった、最も観てほしい作品です。
以下のリンクから鑑賞することができます。インターミッションを挟んで前半(1時間42分)、後半(1時間7分)の2部です。視聴期限は日本時間9月9日午前9時まで。字幕はないですが大丈夫、雰囲気で分かります。ぜひ多くの人がこの機会に「Day is Done」の圧倒的な世界を体験してほしいと思っています。
Mike Kelley: “Day is Done,” Part I
Mike Kelley: “Day is Done,” Part II
私が「Day is Done」を初めて観たのは2016年5月のイメージフォーラムフェスティバルです。観終わったあとあまりの衝撃に放心状態になり、終電までイメフォ前のスタバで魂を抜かれたようになっていたのを覚えています。
その後どうしてももう一度観たくてネット上にある断片的な映像を探したりしていたのですが、2018年1月にワタリウムで『マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン 自由のための見世物小屋』が開催され、狂喜しながら4回通って4周鑑賞しました。
「Day is Done」とは
「Day is Done」は「課外活動 再構成#2−#32」と名付けられた32本のビデオチャプターからなる映像作品です。マイク・ケリーは最終的に365本からなるマルチメディア大作として構想し生涯この作品を作り続けましたが、未完のまま2012年に自殺しました。
アメリカの高校には年鑑(イヤーブック)と呼ばれるものがあります。全校生徒の個人写真、授業風景、部活、学校行事などをまとめて製本したもので、日本でいう卒業アルバムが毎年作られるイメージです。マイク・ケリーはこのイヤーブックをインスピレーションの源泉として「課外活動」のモノクロ写真を見つけてきてそれにまつわる物語を「再構成」し、ダンスの原案や音楽、シナリオテキストなどすべてを自身で制作しました。作品は2枚1組の写真(オリジナルのモノクロ写真とマイク・ケリーが創作した演者たちによるカラー写真を並べたもの)、映像、映像と小道具を組み合わせたインスタレーションからなります。
たとえばこのようなどこの誰ともわからないモノクロ画像をイヤーブックから見つけてきて、そっくりなセットを作ってそっくりな俳優を使って再現し、ミュージカル調の曲や歌詞やダンスを創作して歌わせ、一連の流れを撮影して映像にし、さらにインスタレーションとして再構成してつなぎ合わせたものが「Day is Done」です。
学校の演劇や職場のドレスアップデイ、ハロウィーン、地域のお祭りといったアメリカの典型的な大衆のイベント(儀式)をベースにつくられた「Day is Done」の物語には、ヴァンパイア、田舎者、ハロウィーン、悪魔といったモチーフが登場します。一部の登場人物は繰り返し登場しストーリーの繋がりを示唆しますが明確なストーリーはありません。奇妙な登場人物と設定はトラウマを生むような異常な状況の表現でもあります。一見ミスマッチにも見える音楽はパフォーマンスを物語の文脈から分離しその構造をあらわにする役目を担っています。
この作品はマイク・ケリー自身の経験だけでなく映画や漫画や文学などの記憶から創作された「偽りの記憶」、つまり個人的なトラウマに社会的・集団的、時代的なトラウマをオーバーラップさせたものです。
マイク・ケリーとは
マイク・ケリーは西海岸を拠点に挑発的な現代アート作品を次々と発表し、アメリカのアートシーンに大きな影響力を与えたアーティストです。レディメイド、ドローイング、映像、彫刻、インスタレーションのほか、ぬいぐるみや刺繍を使った作品で知られています。淡々としたユーモアを示しつつ幼少期のおもちゃやキッチュなものを使いながらアメリカ的な日常生活に見られる社会病理を描き出しています。ニューヨーク・タイムズでは「過去四半世紀で最もアメリカ美術に影響を与えた1人であり、アメリカにおける大衆文化と若者文化の代弁者」と評されました。
最もよく知られているのはソニック・ユースが1992年にリリースしたアルバム「Dirty」のジャケットでしょう。使い古されたぬいぐるみが不気味な存在感を放っています。
マイク・ケリー略歴
1954 デトロイト郊外でローマ・カトリック系の労働者階級の家庭で生まれる
1976 ミシガン大学を卒業
1978 カリフォルニア芸術大学で美術学修士号を取得
1987 「More Love Hours Than Can Ever Be Repaid」製作。キャンバスいっぱいに大量のぬいぐるみや布をコラージュした作品
1988 「Pay for Your Pleasure」製作。哲学者や芸術家のポートレイトに犯罪者によって描かれた絵を並べた作品
1993 ホイットニー美術館、LAカウンティ美術館で回顧展開催
1995 「Educational Complex」製作。自身が通っていた小学校や大学の記憶を再構成した作品
1997 「POETICS PROJECT」で来日
2003 グッゲンハイム記念財団奨励賞受賞
2004 テート・リバプールで個展開催
2006 「Day Is Done」製作
2008/2011 ヨコハマトリエンナーレ出品
2012 LAサウスパサデナの自宅で自殺。57歳
「Day is Done」を知るために
「Day is Done」は多くの個人的・社会的要素が複雑に絡み合った難解な作品です。「Day is Done」について知るため、生前マイク・ケリーが答えたArt21のインタビュー記事を邦訳します。
ART21: 「Day is Done」のコンセプトを教えてください。
KELLEY: このビデオはアメリカでよく見られるパフォーマンスをベースに作っています。学校の演劇、子供たちのパフォーマンス、ハロウィン、職場での仮装の日など題材に、前衛的で歴史的な手法によって再構成しています。
ART21: それはあなたの以前の作品とどのように関係していますか?
KELLEY: 「Day is Done」は「Educational Complex」に関連して、すべての芸術を統合しようとした一種の象徴主義的な歴史的な試みを中心に構成されています。「Educational Complex」は私がこれまでに通ったすべての学校と私が育った家をモデルにした立体作品で、私が記憶していない部分はすべて空白のままにしてあります。それらを組み合わせることである種のモダニズム建築のような新しいタイプの構造体になっています。私はルドルフ・シュタイナーが言うところの「総合芸術」(Gesamtkunstwerk)を通してこの構造について考え始めました。建築はダンスに関連し、音楽は作曲に関連している。それは一種の宗教でもあります。この構造に対する私の宗教といえるものは「抑圧された記憶症候群」(Repressed memory syndrome)です。覚えていないこと、忘れていること、記憶がブロックしていることは虐待の副産物であり、「Day is Done」シナリオはこの建物の空白の部分で欠けているアクションを埋めていると考えています。ハンス・ホフマンのプッシュ/プル理論の読み替えとも言えるでしょう。
ART21: 「Day is Done」の素材は何ですか?
KELLEY: 「Day is Done」のシナリオはすべて高校のイヤーブック(年鑑)に掲載されているイメージをベースにしています。特定のカテゴリーには宗教的な儀式的な意味合いが含まれていますが宗教的な文脈からは外れています。儀式は、職場での仮装、聖パトリックデー、ハロウィン、地域の演劇や表彰式に至るまで多岐にわたっています。私が持っているのはこの1枚のモノクロの画像だけです。そのイメージに合わせてシナリオを書き、演劇のようなものを作って、音楽も含めて全部を作っています。
ART21: なぜ高校の年鑑を使うのですか?
KELLEY: 高校や高校の文化に興味があるというよりは、こういった日常的な儀式の写真を見つけることができる数少ない場所のひとつが年鑑なのです。昔の個人的なスナップ写真に普通はアクセスすることはできません。この種のアメリカの一般的な民俗儀式の写真を手に入れることができるのは年鑑や地元の新聞だけなんです。
ART21: まるで人類学者のようですね。
KELLEY: そうかもしれませんね。
ART21:「Day is Done」は映像作品として見られるのでしょうか?
KELLEY:私の夢は24時間周期でライブ上演することです。1日が1年を表しています。そして真夜中にはロバのバスケットボールゲームという壮大なフィナーレのスペクタクルがあります。ロバのバスケットボールゲームはアメリカのカーニバルの最高の例の一つです。カーニバル的な機能を果たす民俗的な形態の典型的なものです。そういう意味では前衛芸術における伝統的な社会的役割と似ていますが、それは非常に抑制されたものです。伝統的な前衛芸術と民俗的な儀式の社会的機能との間にある関係を示そうとしているだけなのです。
ART21: 「Day is Done」の全体的な構造についてもう少し詳しく教えてください。
KELLEY: ロシアの作曲家スクリャービンは晩年一週間に及ぶ壮大なスペクタクルに取り組んでいました。1日ごとに異なる音楽があり、それは大規模な自然のシステムとリンクしていました。私は365本の映像を作るつもりですが、それは象徴主義的な作品のように自然の循環に関連した作品の歴史と結び付けられます。365本にたどり着けるとは思っていませんが最低でも50本は行きたいと思っています。フセヴォロド・メイエルホリドやルドルフ・シュタイナー、あるいはワーグナーの大衆スペクタクルのように、19世紀末から20世紀初頭にかけての象徴主義作品のように演劇のライブ作品として提示したいと思っています。
ART21:ハンス・ホフマンのプッシュ/プル理論に出会ったのはいつ頃ですか?
KELLEY: 私は大学で画家になるために勉強していましたが、ホフマンやフェルナン・レジェなどのモダニストに師事していた画家たちから教えてもらいました。ホフマンは絵画における構図の発想の第一理論家でした。ラウシェンバーグのような初期のポップアーティストたちはまだホフマンのやり方で描いていました。私はよりポップなシカゴ派のアーティストたちに注目していたので、ラウシェンバーグが用いていたような平凡な日常的なイメージをよりあからさまに変態的なイメージに置き換えただけなのです。
ウォーホルのキャンベル・スープ缶やごく標準的なアメリカの家庭のイメージのようなニューヨーク・ポップ・アートよりも、彼らが扱っていた下層階級のポピュラーな素材、いわばサブカルなものに興味がありました。
私がポピュラーな文化に興味を持っているのはポピュラーな文化が大嫌いだからです。私たちはポストモダンの時代に生きています。私が今できることは、支配的な文化を剥ぎ取り、解体し、再構成し、暴露することです。普通の人々は視覚的な読み書きができません。学校では読み書きは習いますがイメージの解読は習いません。映画を見たとしてもそれがイメージが組み合わされたものとして認識することを教えられていないのです。彼らは映画は当たり前に与えられるものとして見ており、誰かが何らかの意図を持って作ったということまで考えません。映像文化に取り囲まれているのに人々はそれに気づいていないのです。