「犀の角のように」
2008/04/17
「他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め」
(仏典:『スッタニパータ』)
3月14日にチベットの首都・ラサで始まった「騒乱」より早、1ヶ月余りが過ぎた。やはり、以前の記事でも示したが、予想通り中国政府は強硬姿勢を全く変えようとはしない。多量の兵士・武器をチベットへ投入してチベットの管理を更に徹底しチベット人の弾圧・摘発を進めている。情報統制も相変わらずだ。選抜した報道陣をラサに入れたが、取材場所、対象は厳しく規制されている。国際社会に歩み寄る姿勢は全く見られない。
当然だ。この政府は、ソ連でさえ崩壊した80年代後半から90年代初頭に掛けての“共産圏諸国崩壊”に生き残った“強者”だ。89年の「天安門事件」では、国際社会の非難や経済制裁などもろともせず、市民の民主化要求運動を武力で徹底弾圧し続けた。今回の「チベット騒乱」では、アメリカ議会とEUが対中国非難決議を採択した。しかし、文化交流の中止や経済制裁などの法的拘束力はない。このような“見せかけ”の非難は全く中国政府に対する圧力にはならない。
中国政府は、いわゆる「国際社会」が一枚岩ではないことをはなからお見通しだ。しかも、「中国市場(経済)」が今や強力な政治カードであることを充分に承知している。「チェチェン問題」など同類の国内事情を抱えるロシアが直ぐさま中国政府の対応を支持したのは当然だとして、中国との経済協力関係を深めるカザフスタンを初めとする中央アジア諸国や経済支援でコントロールするスーダンやケニアなどアフリカ諸国も中国政府を支持。チベット難民の最大の受け入れ先でチベット亡命政府もあるインドを初め、世界の大多数の国は静観するのみ。しかも、(チベット難民が長年切望している)国連のアクションは皆無。(まあ、中国とロシアが安保常任理事国なので仕方ないところではあるが...)
欧米諸国は、先にあげた非難決議の他に、ポーランド、チェコ、エストニア、スロバキア、ドイツ、イギリス、カナダの首相が北京オリンピック開会式への不参加を表明している。米民主党のオバマ、クリントン両氏、共産党のマケイン氏が開会式のボイコットをブッシュに求めているが、彼は変わらず出席の意向だ。大統領候補たちのアクションは、今後の大統領選挙をにらんでの国民に向けたある種の政治パフォーンマンスであろう。
人権意識の高いフランスの大統領であるサルコジ氏は開会式出席の条件を「ダライ・ラマとの対話」としている。が、「チベット問題」の歴史を紐解けば、こんな事は突然には到底不可能であることは容易に分かる。原子力発電所の建設など、中国政府との間で巨額の貿易を取り決めているサルコジ氏。さて、どう出る。これも政治パフォーマンスだと推測できるが...
残念だが、北京オリンピック開会式への不参加などは、要は、中国政府と自国の国民に配慮した妥協案に過ぎない。オリンピック自体を不参加すれば、中国政府との関係の悪化が決定的となる。しかし、何もしなければ、世論が反発し支持率を落とす。苦肉の“中間”策。
しかし、その中で特筆すべきこともある。ポーランド首相・トゥスク氏の決断だ。「ポーランドは中小国であり、最初の(ボイコット)国になりたいとはあえて思っていない。しかし、五輪開会式への政治家の参加は不適切である」と各国に先んじて表明。中国政府からの経済制裁の恐怖を感じながらも、率先して決断する。これが、真に勇気ある決断というものだ。さすが、非暴力闘争史に燦然と輝く「独立自主管理労働組合『連帯』」を生んだ国。「ビロード革命」の国・チェコがそれに続いてボイコットを表明したのもさすがだ。
さて、我が国・日本はどうであろう? 今更驚くまでもないが、すべてが後手後手。首相からも議会からも中国政府を非難する何ら具体的なアクションは無い。先日、福田首相の親書が自民党の伊吹幹事長を通じて胡錦濤に手渡された。こんなもので厳しい状況が変わるはずもないだろう。本来、今こそ活躍しなければならない超党派による「チベット問題を考える議員連盟」も機能していない。「事態を懸念している。対話による解決を。」などとは誰でも言える。中国政府に対話させるような具体的な方策の提示が彼らには求められているのだ。何のための政治家だろう? チベット難民の嘆きや、その問題の複雑さを真に理解もせず、或は「チベット問題」の非暴力闘争としての位置づけの出来ない人間が具体的なアクションを起こせるはずもないのだが...今のままでは、自己利益のために、政治の道具として「チベット問題」を利用しているだけと言われてもしかたあるまい。_____________________________________________________________
繰り返すが、現在、中国の巨大な市場・経済に頼らない国は無いと言っても過言ではない。ゆえに、中国政府は「事態が早く沈静化して欲しい」という各国政府の本音をとっくに見抜き、批判も北京オリンピックが終わるまでの一時的なものだと充分に承知している。
一過性という点では、マスコミの報道も似た様なもの。マスコミの中でも特に公共に影響力のあるTVは基本的に「センセーションナル」を基準としている。だから、俗にいう“面白い(扇情的)”映像が無くなれば、直ぐさま扱いは低くなる。つまり、露出度が減るのだ。TVはスポンサー収入で成り立っているが、そのスポンサーの多くは中国とビジネスを展開している。TV業界の経営人の本音も実は各国首脳と同じである。
特に、日本のTVは長年スポンサーや中国系団体に気兼ねをして「チベット問題」をタブー扱いにして取り上げてこなかった。スポンサー重視の基本構造は変わってはいない。中国政府を怒らせ、バラエティーや紀行ものなど番組製作に支障を来すことも何としても避けたいところだろう。
今のところ、「聖火リレー抗議行動」などセンセーショナルな映像があるので、「平和の僧侶VS 非道の中国」といういかにもTVらしい単純な切り口で時間を割いている。しかし、「チベット問題」とは、実は、そんな単純なものではなく複雑で難しい問題。だから、国民のほとぼりが冷めれば、そして、オリンピックという4年に一度の“稼ぎネタ”が始まれば、お祭りムードに突入し、途端に扱いは激減するに違いない。
実際、亡命政府の元外務大臣が以前の私のインタビューで嘆いていたように、国際社会やマスコミとは移り気なもの。今のままでは、「チベット問題」など、他の更にセンセーショナルな問題やイベントの数々の中に直ぐさま埋没してしまう可能性大だ。「9.11」以降のアフガニスタンやイラク戦争の問題が人々やマスコミの関心から消え去った過程を熟考すれば、これは容易に想像がつく。_____________________________________________________________
この様な国際社会やマスコミの脆弱さや傾向に乗じて、中国政府は更に揺さぶりをかける。「西洋諸国による中国への圧力行為だ!」「オリンピックを政争の具にしようとしている!」。西側列強諸国に侵略された歴史を巧みに利用して中国人(漢族)のナショナリズムを煽り、「問題」を”中国VS西洋”に巧みにすり替え事態を自らに有利に動かそうとする。見えすいた戦略だが、それが通用してしまう現実...
更に、「チベット人たちの暴動」の映像を繰り替えし世界に配信し自らの正当性を訴える。映像プロパガンダの基本中の基本である。映像が欲しい各国メディアはこれを使わざる負えない。これまた常套手段として「ダライ一派が独立を放棄すれば対話の可能性もある」と繰り返す。中国政府にその意図がないことは先にその理由を既に書いた。ダライ・ラマを中心とする亡命政府は既に88年に独立を放棄している。彼らの求める「高度な自治」さえも中国政府は与える気など少しもないのは明白だ。
胡錦濤(国家主席)は「チベット問題」は内政、主権問題だと今回も断言しているー
「チベットの事柄は完全に中国の内政だ。我々とダライ(ラマ)集団との矛盾は民族問題でも宗教問題でも人権問題でもなく、祖国の統一か分裂かの問題だ」
このように非常に狡猾な中国政府に対して、言葉や書面だけで「中国政府は嘘をついている!」「中国政府は対話により問題を平和的に解決する必要がある!」などと単に繰り返すだけで、彼らが交渉のテーブルに着く訳がないであろう。
だから、先の記事でも述べている様に、その政府に強制的に交渉させるための「世界を巻き込むビジョン」と「非暴力の具体的戦略」が必要なのだ。
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そこで、ダライ・ラマである。これも繰り返しになるが、他の勢力に頼るのではなく、彼こそが、その中心にならなければならない。自ら立ち上がらねばならない。しかし、彼は、相変わらず「暴動は中国政府が煽動」などと激しく非難する一方で、「独立ではなく、あくまで高度な自治を求める」「中国政府が対話に応じるよう、国際社会の協力を求める」「北京オリンピックを支持する」と繰り返すばかり。更に、「オリンピックを妨害する行為は止めて欲しい」とチベットや各国での非暴力による抗議活動の制止を求める発言までしている。
対話を呼びかけて応じる政府ならば、「チベット問題」はとっくに進展している。この問題は既に50年以上だ。だから、何度も言っている様に、強制的に対話をさせる状況を作り出す必要がある。それが十分に分かっているから、チベットの民衆や難民は自らの生命の危険を顧みず、非暴力手段(平和デモ行進、ハンガーストライキなど)で国際社会に訴えているのだ。
暴動を煽動した首謀者として既に何人ものチベット人が投獄されている。中国のTVに男性の姿が映し出されていた。表情は青白く固まり手が小刻みに震えていた。その恐怖を想像してみよ。公正な裁判等無く、即、死刑、或は、長期拘留、そして拷問...彼らの勇気、自己犠牲を無駄にするのか。このままでは、彼らのアクションは無駄事に帰してしまう。彼らの勇気あるアクションがあったからこそ、今回、改めて「チベット問題」にスポットが当たったことを考えてみよ。
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ダライ・ラマにはリチャード・ギアを初め著名人の支持者も多い。だが、そういう人間たちを過度に当てにするのも止めた方が良い。日本に限って見ても、ダライ・ラマが来日する度に彼のレセプションや講演に多くの芸能人・著名人が押し掛ける。「法王の教えに感動した」「彼を支援したい」と口々に言う。残念ながら、その殆どはダライ・ラマや宗教に関心があっても、「チベット問題」の複雑さやチベット人や難民が置かれた過酷な状況を真剣に考えているとは想像し難い。
今頃になって、いわゆる文化人の有志が連名で「ダライ・ラマ14世と中国政府首脳との直接対話を求める」声明文を出した。「チベット問題」は既に50年にも渡る問題。特にダライ・ラマが89年にノーベル平和賞を受賞した後は、その問題は欧米では半ば常識である。文化人なのだから当然知っていたはず。中国政府のチベット政策を非難する声明文を出すべき時、出さねばならない時は以前にも幾らでもあった。
私は、これまで、世界最大の人権団体・アムネスティ日本支部の“チベットグル-プ"と共に「チベット難民」をサポートするイベントを行ってきた。しかし、声明文に名を連ねた方々が支援をした事実を私は知らない。それに、彼らが公の場で継続的に「チベット問題」に言及してきたという話も聞いた事がない。
チベット人知識人で作家として世界的に著名なジャムヤン・ノルブはこのような“にわか”サポーターの姿勢を厳しく問い質す:
『チベット問題』とは、中国政府という強大な権力と対峙することもあり、非常に複雑で困難な問題。だから、真剣にこの問題に取り組む、或は、サポートをしようとするなら、それなりのリスクを負う覚悟が必要だ。
「彼ら」にはその覚悟があるのだろうか?
その声明文は日本政府と中国政府とに提出される予定だという。そんなことが効力を発揮すると本気で考えているのか。本気で対話の実現を望むのであれば、自らのスポンサーに直接「問題」をアピールするなり、新聞・テレビで非難広告を打つ、テレビ番組・舞台・コンサートで中国政府の対応を継続的に批判するなりしてみるがいい。それが、ノルブが言った「リスクを負う」ことであり、本当の誠意だ。
以前、ダラムサーラのチベット難民の若者たちが慨嘆したー「『チベット』、『チベット仏教』、『ダライ・ラマ』は有名人の“慰みもの”に過ぎない。」この言葉の意味を真摯に受け止めて欲しい。彼らの今後の動向を注視されたし。
普段は人間の本性は見えない。重大で緊迫した状況に直面した時、初めてそれが分かる。「チベット問題」を通じて我々の意志と本質(本性)が試されている。ただ、最近突然登場しだした多数の“チベット問題評論家”たちの「本質」をくれぐれも誤解しないよう。彼らは、皆が騒ぎ出せば騒ぐ類いの、日本人に顕著な、つまり、ジャーナリストの本多勝一氏が指摘する同じ方向に皆で向かう「メダカ」的な、又は、「赤信号皆で渡れば怖くない」人間といったところだろう。少なくとも、真に勇気や誠意ある者たちとは区別するべきだ。
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「チベット問題」を取り巻く状況を冷静に観察すれば、実際はこのような有様。だからこそ、前の記事などで書いたことが必須なのだ。すなわち、ガンジーのビジョンに基づく「チベット問題」の位置づけ、そして非暴力独立闘争。何のために、ダライ・ラマ という「spiritual figure(霊的人物)」がこの「問題」に存在するのか。その意味とは何なのか。
中国政府の強大な武力によるチベット政策を引き合いに出して、非暴力独立闘争は非現実的で、欧米を中心とする国際社会の力を借りて中国を変え「高度な自治」を獲得していくしかないと言う者が多い。確かに、私も十数年前はそんな“常識的”なことを考えていた。しかし、「チベット問題」の性質やそれを取り巻く諸状況、そしてガンディーの思想と戦略とを精査した結果、考えが変わった。
ダライ・ラマの求める「文化・宗教」の分野のみをチベット人に任す「高度な自治」とは一体何か? 今の社会、文化や宗教を経済や政治から完全に切り離して考える事などできない。例えば、「青藏鉄道」。中国政府はその鉄道を利用して、今後も、チベットの観光地化を進めるだろう。加えて、中国本土の経済発展に伴う、そして外貨獲得のための地下資源採掘の加速、人民解放軍による高原の軍事利用の意図も看過できない。
一方、チベットの文化・宗教はその大地と密接な関係がある。つまり、その地の環境保全なくして文化・宗教の存続はありえない。中国中央政府の権限は絶対的だ。自治内の文化・宗教政策など、国益の名の下に、すなわち政治や経済(開発)が優先され、簡単に駆逐されるのは明らか。しかも、チベットの経済は「中国語」ベースで進む訳であるから、当然、チベット人の“二級市民”のステータスはそのまま。文化の根幹であるチベット語が中国語により脅かされる現状も変わることはない。
チベットの文化・宗教を存続させるには、結局、自らの国を取り戻すしかないのだ。
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一体、何が現実的だと言うのか。一般の誰もが思いつく様な常識的な発想(社会通念)で、強大な武力と巧みな政治・経済戦略を基盤とする中国政府を変える事ができるのか? 天安門事件、ソ連崩壊後も巧みに生き延びて来た政府なのだ。その本質は今も全く変わっていない。そんな貧弱な発想こそが、非現実的だと考えるべきではないだろうか。
強大な「権力機構」に立ち向かい現状を変革していくには、常識的な発想では到底だめだ。それは、結局、その「権力」を維持させる働きをするに過ぎない。「真理の名の下に、大英帝国を非暴力で倒す」といったガンディーのような一見荒唐無稽で非現実的な発想(ビジョン)が必要なのだ。ガンディーは自ら、それが荒唐無稽でも非現実的でもないことを証明したではないか。それに倣ったベルリンの壁を崩壊させた民衆の非暴力運動はどうだ。
実際、ガンディーは、“常識人”たちには中々理解出来ない高邁な思想・理想に根差す非暴力戦略により、強大で狡猾な大英帝国より独立を勝ち取ったのだ。
再び、何のために「チベット問題」にはダライ・ラマという「霊的人物」が存在するのか?「チベット問題」を非暴力を通じて解決するという現実社会を根底より変革する”ドラマ”を起こすためではないのか。チベットの民衆が決起しているように、ダライ・ラマは決断すべきだ。「人生において決断は非常に大切」だと常々貴方は言っているではないか。最上で最も有効な非暴力の戦略をあなたの尊敬するガンディーに倣って真に実行するべき時だ。
ガンディーは非暴力において「真理(法)」の力を絶対的に信じていた。それを唯一の精神基盤として、具体的な非暴力戦略を展開した。仏教徒であるダライ・ラマは「真理(法=ダルマ)」の力を本当に信じているのだろうか?
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問題点は、一般のチベット難民、「チベットサポーター」にもある。
彼らの展開する平和デモ行進は非暴力の基本的な戦術。今後も、大いにやるべきだ。ただ、同時に、思考、そして行動を再度チェックする必要がある。換言すれば、目標をどこに置いているのかを明確に定めるということだ。
彼らは、チベット国旗(「雪山獅子旗」)を掲げ「Free Tibet!(“チベットに自由を!)」と叫んでいる。それは、明らかにチベットの独立を要求していることに他ならない。だとすれば、中国政府の非道を訴える返す刀で、ダライ・ラマの奮起と決起を直訴するべきだ。他方、彼らは「中国政府はダライ・ラマとの対話を!」と訴える。それは明らかに、中国の枠内に収まる「高度自治」を求め、北京オリンピックを支援する現在のダライ・ラマの政策を支持していることだ。ならば、直ちに「国旗」の使用は取り止め、北京オリンピックへの抗議行動も(彼の要求に沿い)控えるべきだろう。
一体、サポーターは何を目指して抗議活動をしているのか? 今のような思考と行動が一致せず、目標が定まらない状況では、良い結果など得られるはずも無かろう。
「どの港を目指して航海しているかを分かっていなければ、どんな風も追い風とはならない」(セネカ〈古代ローマの哲人〉)
オリンピックの聖火をターゲットにした非暴力抗議行動は「チベット問題」を広く知らしめるための方法としてむべなるかな。オリンンピックを私物化する利権集団たるIOCの「暴力的抗議活動は許されない」の声明など全くナンセンス。この程度のデモのどこが暴力的だというのか。己の利益を確保したい意図が見え透いているコメントだ。
しかしながら、悲しいかな、オリンピックの「聖火」という歴史があり、ある種、平和のシンボルとしての「大義」を有するものに対峙するにしては、その抗議行動には、前述したように、思考と行動との統一が無さ過ぎる。だから、それらは西洋主導のどこか粗雑で中途半端なものに感じられてしまう。そのため、有名なマラソンランナーのラドクリフに「チベット人には同情するが、聖火リレーを抗議の場にするのはおかしい」と言われてしまい、「スポーツが政治に利用されている」とメディアにはネガティブに報道される始末。結果、本来共に闘うべき一般の中国人のナショナリズムを煽り、敵対視されてしまっている。
この状況を打開する唯一の方法は、先にも書いた様に、ガンディーのビジョンの中で「チベット問題」を位置づけ、ダライ・ラマをシンボル・中心として非暴力独立運動を展開することだ。オリンピックの大義を遥かに凌駕する「非暴力のビジョン」を具体的に提示した時、中国の市民を含む世界の多くの人々は、オリンピックをターゲットとした抗議行動の正当性を理解し具体的に支持し始めるはず。____________________________________________________________
やるなら今しかない。ガンディーを思い、勇気を出して「真理(法)」の名の下に「チベット高原アヒンサー(非暴力)地域構想」を実現すべく歩み出すべき時だ。でなければ、中国政府の圧政によりこれまでに亡くなった100万人以上の者たち、拷問の限りを受けた者たち、そして、現在非暴力で闘っている者たちのアクションや命が本当に無駄になってしまう。今こそ、思考と行動を昇華する時だ。夢なき、ビジョンなき時代に、夢と壮大なビジョンを!
地球温暖化、テロ、環境破壊といった全世界的な21世紀の課題は、我々に意識の変革を迫っている。本来、「チベット問題」はその一環として捉えるべき問題なのだ。
ダライ・ラマ、今こそ、本当の非暴力アクションを通じて「真理(法=ダルマ)」を説くべき時だ。「権力」からのメダルなど返還し、あなたの21世紀における存在意義を示して欲しい。
そして、我々一人一人も同じく21世紀における存在意義を示さねばならない。
2500年前の釈尊の言葉を改めて思い出す。
「この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」
常識という名の「通念」に流されず、慈悲を柱とする「真理(法)」と共に「犀の角のようにただ独り歩」む決意が、今、必要だ。