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「暴力」には「非暴力」を

2008/03/19

予想通りというか、いつも通りと言うか、“チベット騒乱”に関し中国政府は連日常套句を繰り返している。全く、唖然とする稚拙さ。これが本当にオリンピックのホスト国の政府の対応だろうか?

中国首相・温家宝みずから、全国人民代表大会(=国会に相当)でダライ・ラマを名指しで非難した。「ダライ集団が組織し綿密に策動し扇動して起こした事件」「ダライ集団の独立を求めず和平対話をするとの標榜が全くの嘘だと露呈した」これに対し、ダライ・ラマも「私が策動したか否か、国際機関に調査してもらえばよい。どちらが嘘つきか証明されるだろう」と応酬した。

これで、2002年に再開され非公式に行われていたチベット亡命政府と中国政府間の交渉は事実上完全に決裂したと言えるだろう。実際、交渉は当初より進展していなかった。「独立の主張放棄 及び チベット、台湾が中国の不可分の領土であると承認」とする交渉の前提条件を中国政府は亡命政府に突きつけている。独立は放棄したものの、後者を亡命政府は承認していない。はなから交渉は進展するはずも無かったのだ。

折しも、並行して中国政府は「青藏鉄道」の建設を着々と進めていた。「ダライ・ラマとの対話を始めていない」といった国際社会の批判を巧みにかわし、鉄道建設のための時間を稼ぐ。中国政府の何たる狡猾なことか...____________________________________________________________________

“チベット自治区”のラサの騒乱は、青海省や甘粛省など、中国に併合される以前のチベットの各地に飛び火している。中国政府は情報管制を敷き、国際社会の非難には全く耳を貸さずに徹底的に武力鎮圧する構えだ。89年の騒乱を鎮圧した時と全く同じ強硬手段。今回は「北京オリンピック」という“弱み”を握られてはいるが、今のところ強硬路線堅持の構えで国際社会への歩み寄りはみられない。

一方、ダライ・ラマは、「チベット人による暴動が更に拡大し収拾不能となるなら、(チベットの政治指導者としての地位を)退位する」と述べた。さらに「暴力にかかわるな」「暴力は自殺行為だ」と訴え、支持者や信者に非暴力を貫くよう求めている。確かに、暴力は自殺行為に他ならない。暴力は、より大きな暴力により押さえつけられることは歴史が証明している。暴力によっては状況は改善も進展もしないことは、「パレスチナ問題」一つをとっても明らかだ。取るべき手段は非暴力しかない。

だが、今回の抗議行動は果たして暴力だろうか?断片的に流れてくる映像を見る限り、一部の暴徒を除き、チベット人の大多数は集団を組んでデモ行進をするか、中国国旗をチベット国旗に掲げ代えているだけに見える。又、世界の支持者の行動も基本は上記と同じだ。先の記事で書いたが、ダライ・ラマも尊敬し模範とするガンジーの闘争より判断するなら、彼らの行動はダライ・ラマが言う様な暴力行為ではなく許容範囲内の「非暴力」アクションだと感じるのは私だけだろうか?___________________________________________________________________

緊迫した状況の中、ダライ・ラマは“身内”の非難にも晒されている。「チベット青年会議(TYC)」の議長、ツェワン・リグジンは、「ダライ・ラマの姿勢には同意しない」と述べ、亡命政府指導部に路線変更を求めている。TYCはチベットの若い世代で構成され全世界に3万人以上の支持者を有するNGO。一貫して中国からの独立を主張し、強硬な平和デモ行進、ハンガーストライキなどを組織している。99年に当時のTYC議長にインタビューした際、「我々チベット人は慈悲を教えるために難民になったのではない。チベットの独立を勝ち取るためだ」と既に暗にダライ・ラマの姿勢・政策を批判していた。TYCのみならず、作家としても世界的に著名なチベット人知識人ジャムヤン・ノルブもインタビューでダライ・ラマを激しく非難。彼は「Rangzen Chater(独立憲章)」と名づけた小冊子を表し難民社会及び国際社会に”独立政策”の正当性を訴えている。

この“独立派”の言い分に対して、以前(99年)の単独インタビューでダライ・ラマは涙をうっすら浮かべてこう語った。

「難民社会だけではなく、チベット内でも(独立を放棄した)私の政策に反対する者が大勢いることは知っています。心情は良く分かります。だが、中国が対話を拒み、チベット政策が厳しさを増している現状で、一体どうすれば良いのでしょう? 彼ら(“独立派”)の意見には未だ具体性がありません。将来に向けた“青写真”を示して欲しいのです。」______________________________________________________________

先の記事にも書いたが、ことここに至っては、ダライ・ラマは、中国政府はまともに対話出来る相手ではなく「チベット問題」を真摯に交渉する意図などないと諦め決断し、「原点(=独立政策)」に戻るべきではないのか。

ダライ・ラマは、「チベットの中国からの独立は現実的ではない」と言う。では、“共産党独裁政権”との共存は現実的なのだろうか? 自国民の切なる自由への言動を武力によりためらいも無く蹂躙する政府と共存することが果たして現実的だと言えるのか? それが、ガンジーを模範とし非暴力を標榜する者の言い分とはとても思えない。イギリスの「将来的に必ず自治権を与える」という申し出をガンジーは決然と断り、独立を主張し続けたではないか。

もし、いずれもが不可能なようならば、死んで行った者も含め、チベット人の大多数が切望してやまないチベットの大義である「独立」を選択するのが筋ではないのか。その時初めて、チベット人や支援者の心(思考)と行動は統一され、大きな力となって膠着した状況を大きく動かすに違いない。今は、全てが中途半端、ばらばらである。______________________________________________________________

前回に紹介したガンジーが示したビジョンに基づき、「チベット問題」を将来の世界平和の礎となる「問題」と位置づけ、非暴力による解放(独立)をダライ・ラマ自らが宣言すべきだと思う。それには、先ず、ブッシュの「暴力政策」を容認し世界を暴力と憎しみと恐怖の渦に巻き込んだアメリカ議会からもらったメダルなど返還するべき。非暴力のシンボルたる者、いかなる権力にも近づいてはならない。これは、ガンジーが示した“鉄則”でもある。そして、87年に米議会で提案した「チベット高原アヒンサー(非暴力)地域 構想」に沿って具体的な非暴力戦略を国際NGOと共に練る。ダライ・ラマを批判していた“独立派”が中心的な役割を担わねばならないのは言うまでもない。計り知れないダライ・ラマの重責を分担するのだ。

これまでに幾度となく繰り返して述べてきたが、この「闘い」は、チベット人だけではなく、中国人(漢族)を含む虐げられている全ての人間のための闘いだ。

87年、私は大学生として中国・チベットを独り旅した。中国語もチベット語も全然出来なかったが、深い興味に突き動かされる様に、デカイ登山用のザックを背負い各地を訪ね歩いた。幸いにも、その先々で中国人(漢族)、チベット人にかかわらず、色々な人々に助けられ温かなもてなしを受けた。その思い出は今でも鮮明に蘇るし、数々の恩は決して忘れない。その旅で、チベット人、同室になった英国人バックパッカーより「チベット問題」を知った。そして、仲良くなった中国人の鉄道員を通じて中国共産党の腐敗、非道を知った。多くの一般市民が虐殺された「天安門事件」の2年前のことだ。

だから、「チベット問題」の解決を通じて、チベット人と中国人が本当の意味での「共存共栄」を実現して欲しいと心より願っている。

改めて、ガンジーが語った言葉を(“インド”の箇所を“チベット”に変えて)記したい:

「もし、チベットが非暴力の手段によって自由をとりかえすことに成功したならば、チベットは、自由のために闘っている他の民族にメッセージを送ったことになるだろう。いや、おそらくはそれ以上に、世界平和にとって未だ知られていない最大の貢献を果たしたことになるだろう」

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