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『チベット難民』上映会

2007/11/30

去る11月22日、都内でアムネスティ(“チベットグループ”)主催の『チベット難民~世代を超えた闘い』の上映会があった。

話を頼まれていたので会場に行ったのだが、驚いた。平日の夜にも拘らず約40名も集まっているではないか。嬉しい限りだ。この中の一人でも多くの方が主体的且つ継続的に「チベット問題」を考えて下されば...以前のブログにも書いたが、善意と意志のある方々の輪が広がり、それが一つの力となって「チベット問題」の解決への囁かであっても確かな礎になることを願って止まない。私の活動が少しでもその御役に立てれば幸いだ。

この作品は7年ほど前に作ったもの。制作の辛い日々が今でも鮮明に蘇る。数々の「困難」が次々に立ち塞がったが、何とか、単独で約2時間のドキュメンタリー(4章構成)を作り上げた。つまり、企画・取材(撮影、インタビューなど)・編集など全てを一人でやり遂げたのだ。こんなことは、実質分業体制であるマスコミの番組制作ではあり得ない。

これが、真の「ビデオジャーナリズム(VJ)」或は「ビデオジャーナリスト(VJ)」スタイルというもの。

現場で撮ってきた映像を自ら編集せずに実際は編集専門のスタッフが仕上げた作品を“VJ作品”の様に言っているケースを良く耳にする。しかし、それは本当の意味でのVJ作品ではない。ビデオジャーナリストとは、難しいテーマを独自の視点と独自の“映像文体”で描写出来るジャーナリストのこと。映像文体=「撮影&編集」。すなわち、”編集を考えた撮影が出来ない人間”及び ”編集を独自に出来ない人間”は本来ビデオジャーナリストではないのだ。本当のビデオジャーナリストとは、マスコミで分業とされている諸作業を全て一人で行なわねばならない非常に過酷な職業。故に、それを可能とする者のみがビデオジャーナリストと呼ばれてしかるべき。今、巷にビデオジャーナリストが溢れている。だが、誰でも簡単に「ビデオジャーナリスト」になどなれる訳が無い。誰でも簡単に作家になれないのと同じことだ。

いずれにせよ、“やっかい”なテーマのドキュメンタリー作品を何とか完成させた。マラソンの有森裕子ではないが、「自分で自分を褒めてあげたい」(笑)。完成に至らしめた最大の要因は、端的に「意地」と「責務」。制作過程の“秘話”をHPに少しばかり書いた。未だ言い足りない...今後もプログ上で“愚痴”をこぼすかもしれません(笑)。

御陰様で、『日本語版』はアップリンク、アムネスティ各支部、同志社を初めとする様々な大学で上映された。来年2月、「にいがた国際映画祭」での上映も決まっている。一方、『英語版』は数々の映画祭に招待され、ベルギーの議会ではチベット難民を知る参考資料として上映された。

HPにも書いてある通り、この作品は「チベット難民ドキュメンタリープロジェクト」3部作の第一弾。まもなく、第2&3弾の取材に入ります。諸事情により当初の予定より大分遅くなってしまった。「プロジェクト」を応援して下さっている方々には申し訳ないことをしました。この場を借りて御詫び申し上げます。

どうぞ、今後とも宜しくお願いいたします。

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