Tue, Mar 5
4-5人で始めた会社は、その小さなオフィスに人が入りきらないくらい大きな集団になり、自分にとってももうただ居心地が良いだけの場所ではなくなった。
いろんなことが変わった。
今日は新入社員の歓迎会だった。変わらないナオヤみたいな人もいる。そのことのコントラストが妙に気持ちが悪くて、店に着くなりトニックウォーターと濃い味のケサディーヤをかき込んだ。閉店まで喋り久々に大きな声で笑った気がする。楽しい時間も確かにそこにあった。
タクシーで雨に濡れながら暗い代官山を通ってオフィスに戻る。気温は驚くくらい低い。オフィスに戻ってきた4人だけが、出かける前の温かさと人間の居た匂いのまだ抜けない部屋の中にいる。
あの頃は家族も居なかったし、特に居場所もなかったオレらは、何かが終わってもまたここに戻ってきて朝まで話したり、こんなことやりたいやれたらいいなとか、お互いの他愛もない話だとかをしていた気がする。実際そんな日はそこまで多くなかったかもしれないけど、そういう日は自分の居場所を作れた気がして嬉しかった。
少しづつ大きくなった自分の場所は、なんとなくもう多くの人たちの家のようなものになった。それを志してきたし、それで正しい。でも今はあの頃の安心感からは遠い。その寂しさを感じていた。
6年近く過ごしたこの2つの部屋が繋がった奇妙なオフィスにいるのもあと数ヶ月かもしれない。駐車場に着いて冷え切った車内に乗り込むと、昼に流していたFRIENDZONEのPerfect Skiesが流れてきた。まだ温まらない車は駐車場から山手通りにゆっくりと走り出す。
対向車の光を遮る雨と間延びした耳あたりの良いPerfumeサンプリングのコントラスト。「完璧な空」には程遠いが、今夜の冷えた雨にはPerfect Skiesがよく似合っていた。
ゆっくりとした前進、自分が選んだ変化の中で失われていくもの。昔が良かったとか今が良いとかではない、ただ変わっていくものがあるということが寂しい。良い形であれ悪い形であれ人も世界も変わっていく。であれば、少しでも良い形に変わっていって欲しいという願いが人生を進めるのかもしれない。
そう信じたくても、ただただその失われたものや人たちの寂しさに浸る時間があっても良い気が今日だけはした。正しさの中にも、失われるものはあるから、それを寂しく思ってもいい。そんなことを大粒の雨で滲んだ街の光とこの曲に包まれながら思った。
スローダウンして間延びしたフックとキック、スネアの間に雨が染み込んでいくような、なんだかそんな気分に浸りながら、ぼんやり運転をしていたら家に着いていた。ずいぶん遠くまで来てしまったのかもしれないけれど、この寂しさを感じない人間にはならないようにと、エンジンを切った後も小さな携帯から曲の続きをリピートしながら家族の待つ部屋に戻った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?