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岡崎市美術博物館 入り口 降り

写真は「ハハハ 貴方はは本当に悪い女!」

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2023/07/27 初稿
2023/08/01 加筆修正
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 私は岡崎市美術博物館までの道のりが好きだ。山の尾根を沿うような道筋は緩やかな起伏と、緩やかに曲がりくねり「差し詰俺はコーナリングに力点を置いたマシーンさ」と、自称するゆえ運転していて大変楽しく、林立する木々の深い緑に囲まれた道筋は素晴らしく、夏の過ぎる暑さをその葉とその幹で受け止め、地表に影を恵む植物には尊敬の念すら覚える。
 私は出来たらこの辺りに居を構えたい。そういうことだから岡崎市美術博物館は一室、いや二室ほど私へ城として明け渡してくれないだろうか。正攻法では難物であるならば、奪い取るという選択肢も考えていると、直ぐだった。

・岡崎市美術博物館 現着
 文頭に「私」という私事語りが続きオレオレ化としていきますが、これは私事というか仕事であり、誰彼からから依頼がなければ自ら企画立案執筆文筆売文しており、読者の皆様には楽しくお読みいただき、購入して欲しいなと思いますね。
 そういう感じの私がここ岡崎市美術博物館に初めて訪れた引き金は、早撃ちの指鉄砲でお馴染み、ゲゲゲの鬼太郎を産み出したプロの水木しげるの企画展 『開館25周年記念企画展 水木しげる魂の漫画展』が起因でございます。
 プロの水木事務所から発著された妖怪図鑑や漫画本。みっちりとした解像度で描かれる妖怪絵に恐れるものの止め時知らず、食い入るように鑑賞していた幼少を持つ故、それ相応に私の学生生活というのは暗く空想にひたひたであり、そんな小童こわっぱも図体はそれなりにデカくなりましたが、つってもやっぱり妖怪は気になっちゃいます。だので近街の美術館に水木しげるが来るとなれば、あ、この場合しげるさんは鬼籍入り済みですので精霊馬のそれに搭乗してという意味ですね。
 那須や胡瓜の四駆で片腕の凄腕ミラクル劇画家しげるさんがやって来ているとなれば、私は罠にかかるかのように、拐かされるかのように、岡崎市美術博物館へ足を運んだのが2021年の夏でございます。
 これを書いている2023年の夏もムカつくほどに暑いのですが、2021年も日本の夏は気が振れるような激烈であり、特別展を見終わると「館外、恩賜池おんしいけの辺向こうに色々と妖気が出ているから見ていけ。クイズラリー 妖怪を探そう」と、館側は暑いあつの中、外に行けと頭のおかしいことを公言。夕刻とはいえ煉獄。そのような中、私はカメラ片手に「縷々るる♪」と、異界化した向こう側へ渡ります。
「あぐぁ! 天狗!」 橋向こうのこじんまりとした森の中、巨大な下駄と団扇がゴロリと寝そべるも、持ち主の鼻高い赤ら顔はご不在。
「成程、妖怪とはそうそう目に出来るものではない……ということか。ふふ、らしくなってきたな」と、顎をさすったことを記憶しております。今思えばこの体験が私の写真シリーズ『気配』に影響を及ぼし、第一弾に「妖怪」という被写体を選択せざるおえなかった、そうした一つの要因かと思えます。
 あ、それとですね覚えているのは蚊にしこたま刺されましたね。夏のムカつくことは暑いことと、蚊。あのボケは人様の血を掻っ払うことしか出来ず、去り際には痒みを残し、破壊衝動を促すことで有名です。顎をさすったという描写は感慨に耽ったのではなく、血吸いのボケにやられ後を掻くと痕に残るゆえ、摩るという形をとったことだとも記憶しております。
 妖怪オブジェクトを指差し、激写。合間に合間に蚊に刺されては激写。刺されては激写を一巡一周し、帰宅後、痒み虫刺され向け第二類医薬品を顔を除いた身体に塗りたくったというのが、私と岡崎市美術博物館との初めての出会いです。
 そうしたことを思い起こしながら駐車場から歩みつつ、虫刺され訴訟準備を着々と進めていくと、2階正面入り口に到着。ガラス張りされた秘密で溢れるこの館扉を潜ると『NHK大河ドラマ特別展 どうする家康』開催中故、三名のコスプレイヤーのパネルが来館者を出迎える。
 左からザ⭐︎テラー・ドクトリン織田信長 中道はザ⭐︎時とう友に徳川家康 極右の鎮守ザ⭐︎アニキ仕込みの追い込みか豊臣秀吉。日本史に残る指折りたる傑物どもがずらりと並んでおりますずら〜。等身大パネル左と、真ん中の歴史偉人を演じる役者が役者だけに女、子供どもから大人気であり、問題は一番右から匂い立つ、徳川家康の目の上のたんこぶが織田信長であれば、目の上のものもらい豊臣秀吉ずら〜。
 大河ドラマ『どうする家康』を観ていて気になるのは、織田の信長の二気公による家康へのゴン攻めが、いい兄貴的という描写であります。
⭐︎二気とは、陰と陽からなる陰陽説を表す言葉。織田の信こうさんの二気は「恐怖」と「侵略」じゃないかと思います。この場合どっちも嫌な感じの陰な気がしますが、マイナス x マイナスの場合、符号がひっくり返るっていう算数の某術なのでしょう。

 皆殺しちゃんと、熟成される忍び味噌という二人の兄弟関係の力学は、自ずと家康の耳を甘噛むという程式の解に導かれ、美男子同士のぶつかり合いという構図が意味することとは何か。私から言わせてください。「これ、即ちベーコン&レタス愛好家の情動鷲塚みに至ります」 劇中の「鷹狩り」とは比喩でございます。大河ドラマ視聴世代の刷新という計りごと。グレゴリオ化した私には「全部わかる!」これらはお見通しです。
「本能寺の変」という歴史上の分水嶺、大河ドラマ劇中においても要石となるこの事変以降に起きる未来も見え、僭越ながら予想を述べさせていただきます。
 まず信公の子飼い、学園ヒエラルキーでいうところの「おい、伝令!」こと、ワナビー・スラッカー羽柴秀吉の本性が、本領がここぞと発揮されていくのでしょう。瑪瑙の目を抜く速さで仇討ちと正統性を確保。その後、権力掌握に突き進み、名を豊臣秀吉に成り上がり、太公は徳川家康を追い込み……。
 感の良い視聴者はそれを読み取ったのか、はたまた美醜のコントラストが挿す光と影なのかは判りかねますが、パネラーであり(コスプ)レイヤーの秀吉付近から、禍々しい呪詛られた妖気で満ち満ち、その空気感はなかんずくあの瓢箪ボケが巻で老害化し、自称「虎だと」武張る竹千代に向け本格的に嫌がらせを開始さしめるならば「許すまじ。まじ呪う」ということであろうかと想像つきます。が、しかしこれ役者冥利に尽き、奸悪を演じた結果が視聴者へ影響を及ぼしたということでもあります。
⭐︎秀吉太公殿、虎を兎と喝破する際グレゴリオ暦をお使いください。礼には及びません。結局勝つのは家康ゆえ。

 問題はドラマを目にし喜怒あらわ、はつらつと目の上のものもらいを「切削処理してやる!」 医師免許も持ち合わさず、直喩隠喩たるメス片手に振り回し、虚構と現実の区別も付かなくなった「ものもらいを切ったつもりのおめえが、ものもらいの種芽だと気づけよ」 の粗忽な実行動でございます。
 お母さんとFワードが悪魔合体化した偉そうなかっぱらいの物貰いは、昨今デジタル化を逆手に取り、他者の制作物をテメエの名前で語るという悪い意味での化け物が織りなす無分別なる残念な事件がメディアやネットを賑わかし続いております。
 肯定的に「化け物」という文言を使う場合とは謂わば「クソすげえ!」のそれであり、通常排泄物はよく思われない言葉でございますが、芳情の極北を頭に書くことで言葉のコントラストを際立たせるという技法であります。本件では単にクソ。あ、間違えた。残念な人物を表す言葉として使用しております。
 劇やスポーツの試合とはその区切られた時間を楽しむものであり、当人は批評と思い込む過ぎた盛り付け、無闇にネット上につき出す快く思わない相手の個人情報開示など、自力を誤魔化すため振り回す凶器のような、席につくなり出される酒屋の美味くもないつき出しのようなそれには飽きており、実行側が無事逮捕という方が痛快で公共の利益にも帰し、正に厭離穢土。
⭐︎読者の皆様にもそうした快事を心掛けていただけますことを願います。

「物を作っている人が一番偉い」といった信条を持つゆえ、押し込み強盗や、かっぱらいを讃えるつもりはございません。過度な開き直りは想像力を渇かすためご注意ください。
⭐︎あ、信条の文頭に「私」と書き抜けてしまいました。

「御免あれ、御免あれ、このお返しは近いうちにする」
ー 徳川家康
☆出典:武功雑記

 うわ、しまったぞ。まだ館内の入り口を潜っただけなのに長くなってしまった……。次に進まなきゃ。「ああ、えっと『「ガサガサ』」と、書きたいことを箇条書きしたメモを開き、渋っ面で「じゃあ、次……」
☆乱筆で読めなかったということは秘密だよ☆

 三層のコスプレイヤーに別れを告げ、エスカレーターへ向かうと巨大な椅子のオブジェクトが来館者をお目迎え。

「こ……これわ」

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