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エッシャー不思議のヒミツ展 平面から空間変容

写真は「客郷かっきょう Over the sea (and see)」
☆エッシャー 作『婚姻の絆』の拡大プリントされたものを撮影加工
場所:豊田市美術館

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2024/09/17 初稿
2024/09/23 加筆修正
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 筋金入りの学校嫌いの私は小学生頃風邪を惹くとなると気分が高揚した。学校に居ては見ること叶わぬ教育番組を見ることが出来るからだ。
「今頃、彼らは体育か。ふふふ」と、学校を休んだ背徳感を重ね、テレビの前に陣取る。
 テレビ画面には町を自転車で駆け回り、地域の問題やなんやらに巻き込まれつつ問題を解決し、手作りの地図を作る男や、悪戯好きのぬいぐるみの猿がトラブルを起こし、尻拭うお姉さんとのやり取りや、衝突する隕石にびくともせず宇宙空間にて柔軟体操を行う男や、語り部が物語る読み聞かせ、これらを貪るかのように鑑賞。
 当時どのような番組が何時放送されるかを知る術は新聞のテレビ欄に頼る他なく、朝の時間帯ホットスポットの教育番組は15分刻み故、テレビ欄は10代後半の頃連作した私のミックステープのトラックリストよりはまだましながら、中々どうしてこまい情報みっちり割愛掲載。それを読んだところでほぼ乱数表のようなものであり、テレビを点けて見なければ判らないという塩梅だった。
 しかし、それでも判ることがある。凡そ午前10時までが俺向けの番組で、以降は中高生向けの「数学」や「世界史」という小学生頃の俺にはハードコアな番組が始まるということが。
「ムズイ」 ということで民放にチャンネルを切り替えると、再放送され続く時代劇が映し出される。年齢一桁代の俺には丁髷や着物美女というのはパンチ力が乏しく、時折鋭い目をした忍者が現れると惹かれたが、その人物はボソボソッと何かを伝えると直ぐに消えてしまう。3分もすれば画面から居なくなり、すると俺の集中力も忍者のように消え、テレビの電源を落とす。
「今日の(番組)はだるかったな」と、ぼそっと溢し、鍵っ子と風邪だけが取り越された居間は静寂に包まれる。やることを失った俺は差し詰定年後の旦那衆のようだった。
 冷蔵庫から牛乳とカステラを取り出すと「ゴキュッ」と、喉を鳴らし喫食。飲むようにカステラを食い、飲むように牛乳を飲み干す。
「さてと……」ここからどう時間をやっつけるかといえば……そうだ、読書だ。
 自宅本棚に長らく陣を張る本がある。その表紙はささくれ裂け、本の天から小口は日焼けしややほぼベージュ色。テレビ通販の羽毛布団の設定色のようなそれに変容した一冊『学研 ひみつシリーズ』を掴み取り、繰り返し読んできたそれを再び繰り返し読む。
 このひみつシリーズ作の中でもとりわけ記憶しているのは『できるできないのひみつ』だ。登場人物の名称は未だに記憶に残り、何事にも挑戦過剰なポジティブ・アティテュードの「やっ太」と、脇を固める毛量豊かのカーリーヘアーは被る帽子を浮かび上がらせる程の細身の男。万物に否定的なネガティブ・マインドを引きづる外国人「デキッコナイス」
☆彼は幼少の頃両親から否定的に育てられたという設定なのだろうか?

 Just do itと否定から論考を組む二人のコミュニケーションは自然現象の拡大解釈を引き金に、概ね喧嘩に発展する。そこを科学、つまり理にて諭し、仲を取りもち読者と共に学び成長する構成で、私とエッシャーとの出会いはここにある。幼少の頃読み返した『学研 ひみつシリーズ』の中に、永遠に循環する水路。上下や左右奥行きの消失点から融合し始まる現実の失調。三次元が壊れているのだが整っている絵が掲載され、それを食い入るように見て育ってきた。
 それから約40年後、エッシャー作品展の開催を知り、「この目で本物を」と、俺は車に乗り込んだのだった。
 美術館へ向かう車中、『ひょっこりひょうたん島』のモノクローム版。病欠毎に今日こそは放送されるのではないかと、期待を胸に膨らませテレビを見つめていたことを思い起こしていた。耳に残る主題歌。情報量を落とした人形を操る人形使いが織りなす活劇は、ついぞやに目にする機会に恵まれず、俺の中で半ば伝説化した過去を反芻していると……直ぐだった。

・豊田市美術館 現着

 平日ながら駐車場は大盛況。活況な様子からエッシャーの認知度を推量。美術館内に入ると案の定、人。人。人。そして俺。もぎりの職員さんと丁々発止を少しやり、よいよ展示室に入ると……こ……これは。

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