![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161811067/rectangle_large_type_2_e326be1ba98eee1b54f5a7980b10d91f.jpeg?width=1200)
第47回チキチキ米大統領選挙 浪花節だったよおっかさん
写真は「刻の矢よ 燃えゆ栄華の 今は土 斜陽です いいえ文化の グラフティー」
語源、由来を知らずに当然のように使っている言葉は多い。表題の「チキチキ」とはそもそもどういう意味なのだろうか? 検索してみると、綴りは"Chitty Chitty"というもので、正しい発音は「チリチリ」といふそうだ。この後に"Bang Bang"と続げばエンジン始動時の音を表すという説明を目にし、一旦腑に落ちる。だが、果たしてこれは本当に正しいことなのだろうか?
・図書館 現着
「英語辞書は何方にありますか?」と、司書に尋ねたその日の俺の出立ちは、伸びた髪をヘアーバンドで上から抑え付け、サイドラインをサングラスで抑えこみ、結果ガソリンと自由の匂いを好む1970年代ロック愛聴の徒というものだった。
彼女はそれを目にしてか「此方とか……」と、薦めた中学生用の英和辞典。此方のビジュアル的に語学力の乏しさを見抜いた彼女の判断に、俺は唇を噛む思いであるが、その判断は正しかった。
私は母語もまあまあダメだが、外国語はてんで駄目。辛うじてまだ学校に通っていた時のことだが、英語のテストは、なんとなくそれっぽい雰囲気で回答を行い続けた結果、壊滅的に酷いことに至り現在に繋がっている。中学生向けの英和辞典でも私には手に余る物であるが、事前に知った「チティチティバンバンは辞書には載ってない」情報を鑑みると、中学生用の英和辞典が参考になるとはとても思えないのだ。
「ちげえは。もっと厚いやつ。分厚いのだわ」と、ボソリとやると「ああ、そういうことか。そういうことならここには無いから資料室に行け」とのこと。
・図書館 資料室 現着
中型から大型までの図太い奴。鈍器及び銃乱射時にも安心の防弾力を保つそれらがずらりと並び、ビジュアル的に期待させられる。ということで肉厚い奴らを片っ端から洗っていこう。
「Chitty Chitty Ban.g. Ban.g. Chitty Chitty Ban.g. Ban.g.」ぼやいては捲っては捲り。まくってはまくっていく。しかし、どいつもこいつも"Chit Chat"の次は"Chiterlings"ばかりだ。
「C I T "T" Yが全然ねえ! Fワード」 畳む辞書はその質量が「バンバン」とした打刻音を机上に鳴らし、次第に俺は手練れのチティチティバンバン探しマシーンと化していった。
「またChiterlingsかよ……」 沈む頭を擡げさせる両手は額を抱え、肘を天板に付く。資料室の机にはりんご5箱分にまで堆く積み上がった英和辞典と、サングラス姿のハートロッカーだ。
「……」ふと思う、インターネット上で"Citty Chitty Bang Bang"はエンジン音だと記載した方はどうやって知ったのだ? 何を根拠に言葉の由来を定義したのだ? 洗った英和辞典は一冊二冊ではない。確かに辞書には"Citty Chitty Bang Bang"については載っていない。であるからこそ、圧倒的に情報は不足している。これでどう知るのだ?
例えば「差し詰今の俺は英語辞書を引くチティーちゃんだ」と、自称したとしよう。ここまでの文脈を切り捨て、それが一人歩きしてしまえばただの言ったもん勝ちではないか。
「全く判らん……」シリアスが俺に重くのしかかる。陰鬱な寂寥感。答えなき泥の中に沈み想い悩む中年。それはそれで得難いものではあるが、Chitty Chitty Bang Bangを由来にソリッドな文学面というのは些か設定無謀。圧倒的なポップ不足。軽すぎても駄目だが、重すぎても駄目だ。
ということで、俺は心気を変えるべくサロペット姿で髪を切りに向かった。
「ハードロックからファンシー路線だぜ!」
断髪帰宅後、語源探しのインターネット検索。検索候補上位の映画「チキチキバンバン」に「それじゃねえのに……」と、半ば自棄ってwikiったところ……。
「こ……これは!」
「車両」の項に ”「不揃いのエンジン音」と考えられがちだが、実際には第一次世界大戦中、兵士の愛唱歌であり、パリに遊びに行くという歌詞から採られたものだという” この表記の注釈を見ると『クルマが先か? ヒコーキが先か?』という著作名が。そこには該当ページまで記載され、素敵度が強く、良い仕事に祝福あれだ。
「ああ!」 ある。数年前にこの本んは購入している! 本棚へ。
りんご空き箱を踏み台に智の絶壁を前に。「ええっと……あった!」該当ページを捲ると……「あった!」のだ!
本文を要約し俺の意訳を上手くグロスすると、こうなるよ。
「ベースは不細工4シーターの鈍重の豚。これをベースにレースに挑む無謀遊戯。勝つためにドラマ『特攻野郎Aチーム』の上がるシークエンスで有名な、改造が施された。施術内容はこれだ! 聞け!」
・ダックテールの2シーター化
・アメ公のマッスルカーが痩せ型に見える航空機用マインバッハ23リッター6気筒エンジン搭載
・チェーン駆動
「乱暴者が来た!」 ファミリカーだったそれはフルチューンにより化け物に化け、道楽者オーナー「ズボロウスキー」はこれが好きらしく、計3台もビルドアップ。モンスターチューンされた3台に付けた名が"Chitty Chitty Bang Bang"である。映画の題目も。エンジン音由来という通説も。原点はここにある!
嗚呼、なんたることか。資料室の辞典にも載っていない言葉の由来は数年前から既に我が家にあったのだ。なんたる偶然か!
尚、バケモノ的進化を遂げたチティーちゃんバンバン号は2つのレースに勝利したそうです。
レースといえば祭りであり選挙である。第47回米国大統領選挙が行われた。端的にいい、前回、第46代米国大統領選挙以降から可燃性が高まった米国選挙。これを語るには何かと気を遣う。というのも、選挙を着火剤に容易に内乱化させることが可能となってしまったことに他ならない。
出来たら自国優位な米国大統領が選ばれるようにしたいが、これは大きな力を持つ者をコントロールしたいという、鬱屈した中学生が書く、自尊が肥大した空想し小説のようなもので現実的ではないだろう。
正面戦では太刀打ち出来ない超大国であるが、現状に不満を持つ国からすれば、デマや憎しみ合いを嗾ける根拠なき放言をすんなり通すテクノロジーの発達と、「自由」という価値を逆手に取った手段が合致。現状の秩序を快く思わない国にとって願ったり叶ったりの状況である。米国内で動乱を促し、内乱化に至れば血を流さず安価に秩序変更の楔を得れる。
そして米国の内乱化は日本の安全保障の不安定化に直結する。日本だけで自国の安全を保障することは出来ない。そうしたことにナショナリズムを覚えるのも判る。しかし、冷戦は終わり、再び大国として勃興する国家と超大国に挟まれているのが現実である。勇ましくかっこいいことは何とでも言える。しかし、現実は淡々と綿々に続き、勢いだけで勝てなかったのが第二次世界大戦だったのだ。
今回の第47代米国大統領選挙を語るためには、前回の大統領就任前から振り返る必要がある。そこで下記に時系列を記載。
・2017年1月20日~2021年1月20日 ドナルド・ジョン・トランプ 第45代米国大統領
・2019年11月 新型コロナウィルス初感染者が出る
・2020年5月25日 ジョー・フロイド 不適切な拘束により死亡
・2020年11月3日 第46代米国大統領選挙 一般投票締め切り日
・2021年1月6日 アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件
・2021年1月20日〜2025年1月20日 ジョー・バイデン大統領 第46代米国大統領
・2022年2月24日 ロシアによるウクライナ侵攻開始
・2023年10月7日 ハマス、イスラエルを攻撃
・2024年7月13日 ドナルド・トランプの暗殺未遂事件
・2024年7月21日 ジョー・バイデン、大統領選からの撤退を表明。
・2024年8月20日 民主党大会二日目。カマラ・ハリス次期大統領候補に。
☆こうして時系列に並べてみると、「うわ、こりゃ大変」だ。
前回の選挙は未だ燻る人種問題の行きすぎた拘束の末、奪われた命という事件があった。今回の選挙ではそうした人種間による痛ましい事件は発生しなかった。これは社会がまだましな方向に一歩進んだと信じたい。だが、世界では様々なことが勃発していった。ウクライナの防衛戦然り。ガザ問題。爆弾処理のような状況が立て続きく中での選挙だった。
競う以上結果は出る。第47代米国大統領選挙は共和党が民主党の得票数を上回り、その結果を受け日本国内では「圧勝」と報じられたが、私はこれに違和感覚える。というのも前回の選挙では「僅差で負けたトランプが、不正選挙だと、異議を唱え、結果議会襲撃事件が起きた」と記憶しているためだが、心象に頼るだけでなく、選挙結果を照らし合わしその上で考えていきたい。
・2020年 米国大統領選挙票数
バイデン8128万3786 票 トランプ 7422万2552 票
(51.3%) (46.8%)
差:706万1234 票
総数:1億5550万6338 票
上院:民主党48人 対 共和党50人
下院:民主党222人 対 共和党211人
・2024年 米国大統領選挙票数
ハリス7237万0230票 トランプ7551万3179票
(48.1%) (50.2%)
差:314万2949
総数:1億4788万3409 票
上院:民主党46人 対 共和党52人
下院:民主党205人 対 共和党214人
総票数を見ると、トランプが圧勝し、ハリスが滅茶苦茶に負けたとは思えない。どでかい値というのは人から思考を奪いがちであり、獲得票割合を抜き出し見てみる。
・票割合
2020年:バイデン 51.3% トランプ46.8%
2024年:ハリス 48.1% トランプ50.2%
概ね二大政党の何方かに票を投じる訳だから、単純に相対化し考えられる。今回の選挙に限り結果を表すならば、僅差だとか圧勝だとか大差だとか、なんとでもいえる。(いや、そうでもないんだが、とりあえず)
しかし、前回と今回を比較してみると、ハリスとトランプの票割合は前回のバイデンとトランプよりも僅差。比較し表すならば前回が「圧勝」と数値から見える。よって、前回の選挙結果とその後についての私の心象は思い込みではないといえる。
では次に上院、下院についてを比較。
・上院議席
2020年 民主党48人 対 共和党50人
2024年 民主党46人 対 共和党52人
・下院議席
2020年 民主党222人 対 共和党211人
2024年 民主党205人 対 共和党214人
母数から鑑みて「一人」が大きな割合となることは判るが、それでも圧勝だろうか?
ではここで仮に「圧勝」した選挙。圧倒的に選ばれた民主選挙とはどういう状況なのかを考えてみた。敢えて解像度を上げず全体像として語るが「それは不幸なことだ」 というのも圧勝という選挙結果が現れる場合は、文字通り現状の不幸せから脱したいということと、明瞭な外敵への自衛を想像出来るためだ。
前段として「不幸」があり「圧勝」に至るとは限らない。何か大きな事に舵を切っていくわけであるから、ドラスティックな事象が必ず前後に現れるはずだ。選ばれた後にも「不幸」なことが想像出来る。これは人間の業なのだろう。
また、今回の選挙結果について、一部報道に強く思うことがある。それは前回のバイデンの得票数と、今回のハリスの得票数を比較する報じ方だ。
「え、なんで?」 意図は想像出来る。「圧勝」という装飾のための演出であろうということを。それを何故選択するのだろうか?
「ほら見ろ、コイツのせいで負けた」という演出だと仮定すると、気分は良くない。
「圧勝」という言葉を選択し、それを装飾するためにバイデンとハリスを比較しなければ「圧勝」を担保出来ない伝え方は賛同出来ない。それは評価ではなく演出である。今回の選挙結果そのものともいえる。
以前までの世界はTVやラジオの討論が主たる場であり、登壇者の放言には「間違っている」という訂正が入り、質がある程度担保されてきた。だが現在はインターネットを介し、人々はマイクロメディアを手にした。正しさよりも文脈の組み上げ方。勢いに重きが置かれ、信じる側と、訂正する側で感情優位のまま物事が積み上がり続けられる。検証と訂正を上回るDDoSアタックのようなことが毎日です。
☆これぞ演出の根幹
「フェイクニュース」という言葉を和訳するならば「マスゴミ」となるのだろう。だがしかし、私がここで伝えたいことは「マスメディアを信じるな」ということではない。社会に必要なことはマスメディアの質なのだ。解像度を上げると「正しい批評と分析」
見たいものを見る環境が整った現在、メディアの質低下は分断の踏み台とされ、マイクロメディアの教義を育み、その先にある社会の危惧であった。過去形の表記は既にそのように至ってしまったため。
負け方を正しく分析し伝えることで次に繋がることはあれど、演出に傾くのならばネット変わらない。いや、寧ろネットの方が制約がないため、過剰に演出することが出来る。
信じたい対象を作り出す切っ掛け作りが盛んに行われ、事実よりもセンセーショナルな言葉の応酬。分断を育み、つまり「演出過多」の結果が現在である。
これは米国の二大政党という仕組みも関わっているが、三つ以上あれば回避出来るかは疑問を抱く。必要なことは民主選挙という仕組みに立ち戻り考えることであろう。
「なんでお金も仕事もない人がトランプを推すの?」私は常々疑問を持っていた。小さな政府、つまり社会福祉を締めるような政策を掲げる相手に、低所得者が「いいぞ!」と声を上げる。これは日本にも見られることだ。彼らにこそリベラル、福祉に重きを置く側が必要ではないのか?
選挙後、米国の自動車産業が低迷し中流階級が貧高層に転がり落ち、そうした彼らがどう考えているかという概要を目にした。そこにはこうしたことが書かれていた。
「あの時に政府は何も助けてくれなかったじゃないか」という怒りが公共性を失わせ、個人主義に至り、手にしたものをビタ一文も払いたくない。トランプはそれを上手くやっている。権力側に一発喰らわしてやった。という考えに至った説を知った。
「嗚呼、成る程」 というのも、私も恵まれた状態ではない。金にも困らず、守られた界隈から偉そうにされれば「じゃあ、おめえがこれをやれんのか?」と、苛立つことは多い。相手のことを理解することに近しい環境下というのは互いの状態を理解、いや、共感を促すものだ。そしてここには国毎の問題と、全世界的共通譚が関わっていた。
戦後、日本は高度経済成長を迎えた。冷戦終結数年後バブル経済が崩壊。
戦後、米国は自由民主主義、新秩序の旗艦を担い経済及び文化のの中心を担った。「オイルショック」以降、石油輸入に頼る国々は低燃費自動車を求めた。米国自動車業は傾き、日米貿易摩擦が生じた。
そしてインターネット後の世界に。ここからは日米、それ以外の先進国も共通していくことが続く。ITブームにより米国は急成長。ハイテク銘柄日本はいつしか追う立場に。そして行き過ぎた金融工学とグローバル経済は「リーマンショック」を引き起こし、西側先進国は軒並み停滞を迎える。
(中国は当時そこまで世界経済と密接していなかったため、被害を免れ、新市場として世界が投資の熱を傾けた)
米国だけが現状打破を願いこれまでと違う対象へ票を投じたのではない。日本においてもバブル崩壊後、「就職氷河期」を通過し、二番底のような「リーマンショック」を受け燻る人々は多く、これまででは信じられなかった資質の議員が出馬し、選ば始めていることから二大政党に限らない状況だと証明する。
圧倒的多数は先行きの不安を同時代的に接し、インターネット上で意見を(一応)交換しあう者たちなのだ。
☆これは原因の分析であり、私は大衆迎合に傾けば世の中万事良くなるかとは全く思っていない。
再び米国選挙に視座を置き戻したい。今回の選挙図式を「アングル」という言葉で形容するが、これは如何ともし難い程に挑戦者優位だった。「出鱈目を言ったところで」という側と、「誠実さ」をモットーに人々に伝えていく側という輝度強めの両者。トランプが「移民はペットを食っている」と、伝えても「たちの悪い冗談」や「いいぞ」というように解釈される中、民主党側がキツい球を投げれば受け手の捉え方は「うわ……」というものになりがちなのだ。この試合を防衛するというのはかなりキツイ。
格闘技の試合を見ていて思うのだが、チャンピオンとして輝き続ける者と、挑戦者として凄まじい勢いを持つ者は同一になり難いものだ。挑戦者として見るとトランプは優位だった。
この選挙はトランプの試合に巻き込まれ、「エスダブリッシュメント」というアングルに置かれたハリスは巻き返しを測るが、権威の象徴と置かれ続いた厳しい試合運びを余儀なくされたようだ。
☆「エスダブリッシュメント」の私訳は「いけすかねえ奴」
カメラとは額縁のようなものであり、写実も含んだインスタレーションである。人の目は前にあるが、世界は広く、見えているもの以外の方が圧倒的に多い。画面に取り上げられるのは、SNSに限らずセンセーショナルな事象が取り上げられがちである。今回の選挙で最たるものは「ドナルド・トランプの暗殺未遂事件」だろう。
2024年7月13日 ペンシルバニア州選挙周回中のトランプを狙撃し、聴衆1名が死亡。3名が負傷。私はこの事件を知った直後「今選挙を行えば必ず負ける」と、確信した。
その後、9月15日にも暗殺未遂が発生。その際に一部「これはやらせだ」という声をSNSで目にしたが、はっきりとさせておきたいことがある。「誰々だから暗殺はOKで、誰々だと駄目だ」というのは論理として破綻している。それは民主選挙を理解していないことに等しい。民主選挙とは平和理に権力を移行することである。自分にとって気に食わない相手なら殺害しても構わないというのは民主選挙の逆である。専制主義が臨界した革命時といえる。また陰謀論に埋没するのであれば、「両極は似る」という持論で片付く。
陰謀や自己正義を律するのは「公共」である。結局何かの演出は何かの意図の元に行われるもので、そのどちらでもないものが「公共」であるため。
つまりあの時に発する言葉は「気に食わない相手を襲うことは容認出来ない」と、いうこと他ならない。
併せて思いたいのは、7月13日に流れ弾により命を失った一名に対して追悼。更に2021年1月6日にアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件にて職務を遂行し負傷した警察官と、アイデンティティーの危機からか自ら命を絶った者へのお悔やみである。暴力に屈しなかった人々によって米国の自由で民主な国体は保ったれたのだ。
どっちらか側に傾いたままでは相手を暗黒化させ、独善的な正義の行使に躊躇しなくなる。ぶん殴った方が早いことは重々承知。面倒臭い手間暇かかる証明を辞めるのならば、これまで書いてきた自己否定である。
メディアの質が需要なのだ。放っておくと憎悪と試合後も永遠と潰し合う環境が整っているため。
またカマラ・ハリスは役不足だった。信任の過程を飛ばしたという敗因の声もあるが、私は反対する。トランプの暗殺未遂が急ぎ代役を立てる必要性を作り出したのだ。彼女はそうした中でやれることを限られた時間で実行しただけだろう。万事が準備万端で進められることが理想だが、現実はそうでもないことの方が多い。カメラに写っていない人々の方が多いことと同じである。
ドナルド・トランプというのは原因ではなく、現状なのだ。民主選挙というのはその国の平均以上の代表が選出されることである。利益を極限まで追求した新自由主義が生み出した鬼っ子に世界は振り回されると思うと、因果応報とは、限られた言葉で世界を本当によく表したものだと思う。
また、改めて新型コロナウィルスに振り回されたとも語れる米国選挙だった。
ドナルドトランプ政権か第1期目を終えた致命的な理由は、新型コロナウィルスの対応だ。ワクチン開発も行っていたが、同時に窮地に陥ったからこそ、それまでの日常で問題ないという希望的観測を現実にしたがるものなのだ。
「腰が重い」という日本語があるが、人は本来変化を避ける傾向にある。
ジョー・バイデン政権が誕生した。しかし、新型コロナウィルスの影響は間接的に続いた。インフレは暮らしを困窮させ、主義の正しさだけでは選択出来なクナっていったのだろう。
新型コロナウィルス禍での出来事。あの当時に起きた唯一の良かったことは、日々の暮らしを支えてくれている人々が如何に重要かと認識させられたことだ。物を運んでくれる人。医療従事者。生きるための食料を作る者。ワクチン接種率及びウィルスの弱毒化により、数年であの時に感謝出来たことは容易に忘れられ、残ったものは「経済」だった。
新型コロナウィルスにより政権は交代し、新型コロナウィルスにより政権は交代した。
私はこの選挙結果を目にし、方法や内容、過程に問題があることを忘れることはないが、試合結果を見ると良いものだったと捉えている。約半数はハリスを支持していたことを証明したからだ。
逡巡よりも熱情が人を動かすことは多いが、情熱は端的な感情だ。概念の息は長い。人種に限らず世界には男性と女性が存在する。人種差別の問題は当然だ。では性差別の問題も当然である。
負けとは死のようなものだが、生物学的に死んでいなければ再誕可能。敗北の理由を作るのではなく、負けた原因を探れた者は生まれ変われる。よく負けたものには次がある。負けを自覚出来ないものは死ぬことすら出来ない。
それ故、温め直しと、再誕。即ちRe:Bornなのだ。
全力で競い、卑怯なこともせず戦った相手を敗者となると、そこに全ての原因を置くような事には賛同出来ない。始まりと終わり方は大切だ。私は負けを認めたカマラ・ハリスの潔さと、地に足をつけた終え方に賞賛を覚える。
併せて四年間の大統領就任期間を迎えるジョー・バイデン大統領に「お疲れ様でした」を終わりの言葉にしたい。
次の四年後がどうなっているかは、今まで以上に分からないのだ。
☆参考資料
・映画「チキチキバンバン」 wiki
・クルマが先か? ヒコーキが先か?
著:岡部 いさく
ISBN:978-4544040821
・ロイター通信 2020年 米大統領選 開票速報 (web)
・ロイター通信 2024年 米大統領選 開票速報 (web)
・BBC ジャパン 米国大統領選に関わる記事 (web)
・東洋経済ONLINE 会田 弘継 『それでもなぜ、トランプは支持されるのか:アメリカ地殻変動の思想史』に関わる記事全三回 (web)
いいなと思ったら応援しよう!
![市川 にこ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169625654/profile_58fa65f817b7c6ab17c706b28c350f92.jpg?width=600&crop=1:1,smart)