『福田美蘭 美術って、なに?』 ボケと突っ込み
写真は「2022年」
福田美蘭 作『ゼレンスキー大統領』 2022年を撮影
場所:名古屋市美術館
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2023/11/08 初稿
2023/11/09 加筆修正
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蟄居するここ月極庵に、やっぱり危険な知らせがまた届く。関係者筋から入手した紙資料には片面に鰻重が三膳。裏面にはサクラダファミリアを印刷した両面印刷。
「おい、なんだこれ……。担当者は気でも触れたか……」 予期しない両面の組み合わせが私の前衛センサー針を 「危険だ」 レッドゾーンに振り切る。私は震えた。
爆弾処理が如く、届いた資料を菜箸で掴み、そろりそろりと目を通すと『福田美蘭 美術って、なに?』だった。疑問形だった。「知らねえよ」と、思った。美術史を体系だって学んだことのない私は問いに壊乱しつつ、それでも資料を読み込む。それによると福田美蘭という前衛のテロリストは、具象絵画の登竜門「安井賞」を最年少で受賞した美術家とのこと。
こういう時にこそインターネットの火が吹くぜ。検索。
・判ったこと
第32回安井賞 受賞作品がこちら。
『水曜日』
1988年
アクリル / 合板に綿布貼付 / 紙
しばしば偶然というのは予期しない物事を組み合わせ、時空を超え提示する。この安井賞が創設されたのは昭和32年であり、第32回安井賞を受賞した福田美蘭、その作品題名が『水曜日』であり、私が来館したのは水曜日で、執筆中作家資料を手繰る中でこれらを知覚し、腰を抜かす。
「全財産を賭け誓っていい。作為の上でこれらを書いていないことを」
情報化社会は至る所に匂わせを蔓延らせ、プライバシーにFワードを送り続ける。そういうのはどうかと思うけど、結果として福田さんのことを知り、ザ☆情報化社会の筆頭インターネットを駆使したところ、こうして腰をいわし……そう考えるとやはりダメじゃねえか。「おい、止めなさい。プライバシーの侵害はマジでダメだよ」
更に私的なことを加えるならば、何一つ賞に引っかからない私は数十年前から最年少受賞の条件を失効し、「ずるい」と思ったが、そうとは露知らず、デンジャーゾーンこと、美術館へ向かったにこをお楽しみください。
2023/11/1(水)
アパラチア山脈の雄鶏、にこは朝一から名古屋市美術館へ向かう。会期から幾分も日にちが経過したが、この11/1この日でなければならない私意を含み訪れたのですが、その前に美術館近くの若宮八幡社を参拝しましょう。「おや? ご婦人、その鳩向けに撒かれておりますパン。私にもいただけますかな」
四季は二季り、何かと圧々な昨今、プレッシャーが酷性するきな臭ささは芳醇で、情報通信が整備され互いの思い違いがなめらかになるものだと思っていたら、思慮探訪を奥に、泥探訪、判りやすい大口の狂気が大手を振り、日々人類が毛深い石器時代、文明を獣骨野球バット頃、猿の赤ちゃん頃に自ら戻ろうと勤しんでいるではないか。
「波状だわ、たまげろ猿の赤ちゃん」 巻き起こる偶然をこれまでこのような口語訳化を続けてまいりましたが、どうやら違ったらしい。グレートリセットボタンだとでも思っているのか、ゲームで負け混み自己都合の悪さからちゃぶ台を引っ繰り返し、世界を「火の海にしてやろうか!」 厚顔無恥の無理心中に付き合う義理はない。
「ちゃんと脱毛出来ますように」 世情は業網化。奇天烈を超え泥土化し、変わり種の立つ背がまともに寄りかからず負えなくなるとは……。天と地がひっくり返る毎日を神仏にごちて、参拝です。
これら諸々 「核放射線物質の自由落下だす」 ハーデス確率はうなぎ昇り続け「うわ、ほんと鬱陶しい」 憂でいると……直ぐだった。
・名古屋市美術館 現着
福田美蘭 作『松竹梅』を基にデザインされた看板が来館者を出迎える。
鰻重という高額化顕著な魚料理は盛られる食器も自ずと漆付く。私にとっての鰻とはCGIに限りなく近づきつつあるが、福田氏は人力技術で絵に起こす。
ここで一つ作品考察を。高値ITの鰻は「なるほど、確かに美術品の様相だ」 大きな資本が動くところに邪な外道あり。鰻の稚魚「しらす」は高値取引ゆえ乱獲され、その乱獲が個体数を減らし、更に輪をかけ高値にする。ここに鰻への還元など一切ない。人の業が炸裂しっぱなしで、若宮八幡社さんに「世界的な連帯」と、どでかい黒帯を願う前に、鰻の乱獲違法取引を止めることに視座を置くことこそが、ローマの道も一歩からのような気がいたします。小さな業もコツコツと。
あ、あと、こうして作品への想いを書くことで、鮭や鰻と「魚の遡り」が交差していることにも気付かされました。
ということで「松竹梅」のように本展は1〜3章に別けた三段の解で構成されている。『序章』についてはメシ屋で出される突き出し故、この章立て論考からは割愛。活!
・名古屋市美術館 一階 現着
【序章 福田美蘭のすがた】
ですが早速取り上げる。べちゃべちゃに冷えた突き出しには遠慮を覚えますが、本展のそれは山椒のように終始効く。「う、旨え……」
『志村ふくみ《聖堂》を着る』
2004年
アクリル / パネル
まず最初に私は此方を鑑賞した。物に価値が宿り、ある線を越えると本来の役目から芸術品に至る。着用することから離れた着物の造りに氏は賛美を送り、尚且つ本質を描き、自己の満足も獲得した作品。
『フランク・ステラと私』『ぶれちゃった写真(マウリッツハイス美術館)』序章に掲げられる作品は、福田の美術界に思う視座、それ以外の世界に生きる者の見方も持つことを表し、テックノロジーの発達と共に変わり続ける制作環境も内包する。
がつんと初っ端か私の心は掴まれ、館内をにまにまと鑑賞していくことが続く。
【第1章 名画 イメージのひろがり】
名画とされる作品に盲目的に名画前として接することに疑問を投げかける福田。作品へ向けられる拝み手から視座を変え、既成概念に捉われず自由に楽しむヒントを盛り込んだ作品が幾つも展示される。どれもこれも取り上げ、ああだこうだと物思いを書きたくなるが、ここは美術館。鑑賞中に浮かべる笑みをグッと抑え、難しい表情で抜粋していこう。
『湖畔』
1993年
アクリル / カラーコピー / パネル
「人力Photoshopじゃん」1993年にはまだ『コンテンツに応じた塗りつぶし』機能は実装されてない中、人力ドラムンベースを発揮。基作の箔も点け、拡張。おもろ。そりゃそうだよね、「こういうことをしたい」という作家たちの想いを汲み取り、アプリケーションに実装されていくのですから。
☆人力ドラムンベースとは、プログラミングされた忙しないリズムを、再度人の手に戻す機械仕込みの乱打者を指す。私の見立てではそうしたことをする方は概ねジャズを齧っている。演奏後二の腕の筋組織が火を吹く。炎症と演奏を掛けた、にこ入魂の解説。
『虎渓三笑図』
2020年
アクリル / パネル
虎の巣くう虎渓を、高僧とお友達の二人、計三名のアッパークラスが話に夢中。二度と超えないと誓った石橋を……「ガオー」と唸る監督の咆哮を耳にし、うっかり越えだと気付き、大笑いしたという山水画を、マシーンのような筆致で拡張する福田さん。距離や角度がごちゃっとする急峻な岩山を一層と発展させ、天地はひっくり返り、物理の法則から離れた本作はシュールレアリスムこと、ぱねえ現実のようでもある。滝の落とし込み、水しぶきを緩衝材に福田が紡ぎたす古典の拡張。
本作の中には「虎を描いた」とのこと。鑑賞と合わせて捜索という行為に観るものを誘う仕掛けに「うんまい」と頷き、笑わさせられた。
ニャンニャン吠えてるだけでは笑われるということも学ばさられた一作。
『鑑賞石・山水画』
1999年
アクリル / パネル / 鑑賞石
作品前に設られた石を鑑賞石と呼ぶらしい。それを元に想像を拡張したことが山水画ということなのだろうか? 後日美術館へ緊急電話会談を敢行。
「もしもしちげえわ。福田さんは本作でそうしたアプローチを取り、山水画を描いたのであり、イコール全ての山水画技法ではございませんよ」とのこと。ちげえらしいから、読者のみんなは知ったような口ぶりに注意だね☆
描く力量もさることながら、対象である石をどう見て、どこまで想像し、どのように技法を踏襲するかという、画家が何を見て、何故描くのかという根源、文脈の重ねを想像させられる。先にこれを観てしまうと第1章のテーマ「名画とはなにか」への直線的な回答となってしまうためか、奥に掲げられたことに「なるほど……」を、皆さんお忘れでしょうが私は顎手に険峻な表情で口にしてますよ。
☆こうした打順を組むのは美術館側なのか、作家なのかを知りたいとも思わせられた。
『ミレー"種をまく人"』
2002年
アクリル / パネル
ザ☆名画。名画家たちがこぞって題材にした本作の動き、後ろ手によいよ種を蒔こうとする農夫の姿を爾後にする。「もう蒔いたよ」
農夫周囲に動きの気配を残存させ、私は作品前でアンダースローの動作確認(差し詰め俺は油絵の農夫さ)。心の中で豆を蒔く。
Hey Hey そこの読者、ドントフォーゲット。私は険峻な表情設定を。
事実はこうだ。「おもろ」 肩を振るわす。
『ゴッホをもっとゴッホらしくするには』
2002年
[絵画]アクリル / パネル [額]カラーコピー / フォームボード / 紙
勘違いしたファンボーイこと、痛い奴から殺害されたという説もある、心のマイクラインを手甲にX字状に巻く、ストレートエッジ バンド「ゴッホ」さんですが、私生活ではタバコも度数の高い酒も、女性もね。ふふ、内緒だよ。
福田プロデュサーにかかれば「もっとこう!」 グニュりを強調するためか、上の方の音色と、下の方の音色明暗を強め、作家らしさを目標にリマスターするのも福田さんで、額縁がジャケットデザインに見え始め、もう全部だよという作品。
どの作品解説もそうだが氏の文章には頷くことしきりで、ここに書かれたことはゴッホに限らず、様々な周知された事物から人物にまでに当て嵌まる。是非会場にて作品ともども観てほしい。
私は福田作に隣接する「ゴッホ作のようだ」とされる『伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルピーユの道》』を交互に鑑賞し、顎をさすりものを思う。それは「らしさ」のようなことであり、これを獲得すると、同時に祝福と呪いが始まることだった。求められているものは判るが、繰り返すことにしばしば創作家は向いていない者が居る。
Hey Hey そこの読者、ドントフォーゲット。私は険峻な表情という設定を。
事実はこうだ。「真綿で首を絞められる」とは言い得て妙だ。おもろ。
☆ストレートエッジとは、嗜好品全てを断ち、山門「ライブハウス」で滾りをぶつける西洋の修行僧。説法を耳にする民は鰯玉に似たぐるぐるで素早く動く。そこに分け入るには勇気と身体的強靭さを要する。
『説教(フランク・ステラによる)』
2023年
アクリル / パネル
序章で取り出されたフランク・ステラさんの立体作を基にした作品。立体を平面に起こし、チョコレート・ドリップケーキも描く。
美術館地下1階常設展にて基作が展示されています。皆様、是非ご鑑賞願いたい。
難しい顔をしていた私の額はウクライナの大統領に近づきつつあったが、当日幸運なことに、常設展作品ボランティア解説員の随伴を得て、彼女らの力添えは一層と作品理解を深め、同時に眉間をなだらかにし、フランク・ステラさんの作品については、助言がなければ勢いのある頭がアレな立体という以上の感想をもてなかった。最近人の話を聞くのが楽しいです。意見を交わすことで考えが育まれ、これはきっとうさぎ年ということもあるのでしょう。
ということで以降、随所に企画展と常設展を綯い交ぜに綴り「おいしくなれ♪ なれ♪ なれ♪」を狙っていきたい。
「こ……これは?」
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