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自動二輪 最適化案 高速道路ETC オプション編

写真は「八が三つではちみっつ」

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2024/05/23 初稿
2024/10/05 追記修正
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 これまで二回に渡り自動二輪車に関わる最適化案を呈上してきた。第一回は日本国内のバイクに関わるステレオタイプを取り上げ、第二回は欧州の免許制度から学び、同時に世界展開可能となる仕組みを検案。これで晴れて若者を旅に送り出せると思っていたが、すっかりと忘れていた。肝心要な高速道路及び有料道路についてを。
 単刀直入に言って日本の高速道路は酷い。「高速道路は無料になる」と言われてきたが、恰も引退を宣言するプロレスラーが復帰を繰り返すかのようにその都度先延ばされた。
 高速道路はそもそもの成り立ちから計画性に乏しく、東京オリンピック開催に向け矢継ぎ早に建造された首都高速を種に、各々の地場的な思惑が絡み合った高速道路をパッチワークのように繋ぎ合わせ、無理な計画に無謀な接合は高速道路は、高速道路のための論理を組み上げ始めた。
 首都高と高速道路は悪魔合体し、高度経済成長期らしい勢いと金の成しえた業の彫像物は緩急的渋滞と光化学スモッグを生み出し、万能科学と謳われた輝かしい時代の影が公害として社会に現れ人類に還元し、特撮ドラマの怪獣の素と成り、当時のキッズどもを恐怖のどん底に叩きつけ、一部の者はこれを歓迎しオタクとしてすくすくと育っていったのだ。
☆童話や民謡とは訓戒であり、特撮はその時代の技術を組み入れた訓誡といえる。

 道路公団は旧国鉄の轍を踏むかのように「建設費」「運営費」の借金を膨張させ続け、そんな折特殊法人の見直しが唱えられ、1998年に高速道路は民営化に。子供心に覚えている。それまでの高速道路のサービスエリア、パーキングエリアの食事は不味く、私はオートレストランに見られるハンバーガーの自動販売機を好んだ。パンズはあっつあつで、歯応えはしっとりを超えた湿気しけた大変微妙な仕上がり。味は勿論まあまあ不味く、物珍しさだけで腹を満たせた。トイレからは凄まじい匂いが放たれ、街にあるダメな感じの公園のそれ。子供の頃から汚いトイレを忌避する私は盆暮正月の家族旅行を嫌った。
 唯一の楽しみは車窓上の雨粒を眺めること。撥水剤を塗布され、ゆらゆらと動く水滴は何時迄も見続けれた。別ではクーラーが効いた車内の硝子に息をかけ「ポピー……」と、指で文筆したのが私の作家としての原初である。
☆唯一って書いたけど、水滴と指文字で二つあるよね。

 あるね。日本の高速道路の問題の核には首都一極集中の問題がある。地方農村の人と物を血吸いの鬼かのように呑み続け、東京都への一極集中は抜きん出て凄まじく、次いで大都市は大阪。その次に名古屋。
 二番目というのはしばしば葛藤を育む。大阪は東京を蛇蝎ライバル視し、名古屋を子分扱いするという面白い仕上がりを見せる。では三番目である名古屋はどうかというと、適度に都市で適度に田舎故、足り得るを知るというか田舎者扱いされても強ち間違いではなく「だから何?」と、感情を乱すことはない末っ子らしい牧歌的抑揚に帰着。手羽先ときしめんが食べれればそれでよく、啀み合うことはあまりないが、とんかつに味噌を選択しない者を目にすると「不憫だな……」と、心に哀れみ。侘しさ。黄色いのは辛子さ。を思うが、これらが口にされることはまずなく来訪者の知己には成り得ないのだ。
 そしてこの三都市に共通することは「都市高速」である。一部の好事家は夜な夜なサーキット走行として大変楽しいホビー活動が繰り広げられている。
 それ以外では「仙台」「京都」「神戸」「広島」「福岡」などが栄え、これら都市は港、鉄道、道路、空港で結び付き、人と物の移動が活発である。これら都市は全て太平洋ベルト帯に点在し、海近く故、一度に大量の物を作り運ぶことに長け、工業を下敷きに発展を遂げた。
 東京都は例外で、金融とサービスを主に発展。他都市とは異なるがそれだけ人が多いという証であろう。農業だろうが工業だろうが物を多く作るのには応じた土地面積を要するが、東京都にそのような遊びはない。娯楽はメッタメタにある。渋谷の交差点は毎日祭りか大物の法事をやっているのかと思う程に人も情報も多く、クラクラとするのだが、都心に暮らす方々は何か特殊な呼吸方法などを身につけられておられるのだろう。例の太陽と同じ波長を練り出し老化が抑制されるという。
「ゴゴゴ?」
 そう、後後である。我々は先代の人類の文明の上に暮らしを構えている。海の浮力というものは凄まじく、一度に大量の物質移動を可能とする海運を発達させ、世界と交易を酌み交わし、太平洋ベルトに都市が有るということは偶然ではないのだ。
 変わって山間部。船頭を幾人雇ったとしても山に船を浮かべることは出来ない。物流はトラック輸送か鉄道貨物輸送にしか担えないのだ。時間を最優先させれば航空機輸送も選択されるが、コストは鰻登りに至り、私は元鰻屋を経営されていた旦那と知り合い、何故店を畳んだのかと尋ねるとその答えは「高すぎるもん」 これ以上ない言葉であった。
 日本の主たる機能は太平洋側に集中し、山間部の限界集落とは鏡張りの関係にある。これまでは大量に物を作り運ぶことで成り立ってきたが、インターネット網の発達と少子高齢化は売買の形を変え、物流の変革期を加速させた。世界と個人を結びつけたように店舗と顧客の関係は変り、これにて大量生産の時代は終焉を迎え、個人の時代に至った。と、安易に片付けた方が判りやすく、何か新しい考えに至ったような気にさせられるが、どっこいそんなことはないだろう。少数生産とはそれだけコストも高騰する。また消費の源泉である労働環境がなければ収入はどうするのか? 私はある程度の生産規模と、個人消費の並列が現在とこれからも続くと想像している。
 地方に仕事がなければ糧を求め、都市に人が流入するのは日本だけのことではない。荘園を挫き、階級社会を民主主義に移し替えたのは産業革命あってこそ。産業革命が地方農村の労働力を欲したともいえ、双方の求めが時代を変えた。それ故、革命なのだ。農家の次男坊や娘っ子が農地という財産を継げず、一部の成功モデルに憧れ、都市に集いし悲しい現実を背負った名もなき者の数は枚挙に遑がず、現在もそれは踏襲され続く。
 東京一極集中の解決は山間部の経済発展により達成されるといってもよく、いや、むしろ経済活動は今後山間部に開発の余地を見出し、進出していくのではないか。生産地の確保という形態もあるが、都市にないものを地方に求め、地方にないものを都市に求める関係は需要である。
「人口減だから自然に解決する」と、それっぽい意見もあるが、逆であろう。人口減はまず地方農村を自然に還し始め、若者は都市に向かい、お年寄りは病院と介護施設が整った地区に集中し、超高齢地区が誕生する筈だ。
 それと同時にインターネット上に誕生していくコミューンは、蛮勇の誕生と、排外による結束を一掃と強めるだろう。つまりネットワーク上に村社会が幾つも誕生し、その後歴史をなぞるかのように社会ヒエラルキーを構築。部族社会らしい成り立ちからの変節を経て、ネットワーク先から現実に戻り始めていくだろう。
 限界集落から人が消えた後、残ったインフラを組み込んだ謎のコミューンが入植。地方発「土器ドキッ! 東京からやってきた生簀かねえ奴をボカリ撲殺部族社会」十村中八九村、過疎を乗っ取った部族社会は碌でもない仕上がりを見せ、最新型の生贄儀式は稀で、技術や道具が乏しいため古来からある見せしめ的処刑などで午後のニュースを賑わせるのだろう。
 結果、総人口は減ったが、若者は仕事を求め都市に向かい、あいも変わらず人々でぎゅう詰め。特殊な呼吸法を習得しなければ眩暈を併発させる情報量。日増しに増し増して人口密度。裏ドラ乗った土地価格高騰。またもバブル化。という未来を私は見ています。
 人と物が移動することが人類であり、移動することにより接触と変化が起き、それは経済活動だけでなく社会にも影響を及ぼす。経済格差を埋めるためにも平時から高速道路の利用向上は必要なことであるが、高速道路の料金の向上はあっても下がることはほぼない。1キロ辺りの走行料金は各国を抜きん出て最高額を叩き出し続け、利用者数がほぼ皆無の高速道路は誰がための道路なのか。
 では冒頭の「高速道路の無料化を今直ぐにやれ」というと、私は全ての道路にそれを適用するのは違うのではないかと考えている。そこで高速道路最適化案をここから呈上したい。

・高速道路 有料道路 最適化案
 まず、高速道路の利用料金が高いことは問題だ。料金区分に限らずこれを下げ、利用者数を上げ、人の移動を活性化した方が巡り巡って還元出来るのではないか。
 利益率の高い都市高速や、太平洋ベルト帯の高速道路は料金徴収を維持し、借金返済と運営費に充てていくべきだ。その他高速道路や有料道路については無料化し導線を担い、行先での経済活動を促したい。高速道路という高額の建造物を有効に活用し、物流のコストを下げる。地方農村に人と物の移動を促すし、経済、咀嚼すれば人と物の移動を活性化しなければ、建設時の借金の次に控える維持管理にもこと欠くことに繋がるであろう。
 次に物流事業の平日利用料を割引し、トラック走行レーンの厳罰化と、インター出入り口にて積載物の重量に変化がないかの検査取り締まり強化。
 平日に料金を割り引くことで物流を促し、週末は運転手に休息を与えてほしい。余裕のなさは何かと事故を誘発する。「時間厳守」と「なんでも詰め込む」のが戦後日本の悪しき手癖である。
 積載重量検査を出入り口で行い整合性を取る理由には、サービスエリア、パーキングエリアにて積荷の降ろしを行い、コストを抑制する者を未然に防ぐ為。これは「重量=路面への攻撃性=維持管理費」を抑制するという目的に基づく。路面が荒れれば補修が必要だ。そのためにはお金が掛かる。であれば法令に則した重量内で収まるように置くべきだ。現在のままで過積載が減ることは絶対にない。性善説に基づくならば既に解決している筈だ。現実はどうかというと「詰め込まないと利益が出ない」という声の下に続けられている。ここで考えてみたい。そうした状態化が運転手の労働環境の悪化に繋がっていることを。融通の効かなさは問題だが、誰それの都合の為に都合よく「融通」ということに置き変え、常態化させてきたことが問題の本質である。震災時や戦争時という異常な状態には融通を効かせるべきだが、毎日に無理をさせそれが祟り巡って来た結果が現在なのだ。
 併せてトラックの走行レーンの厳罰化を実施。80km/hのトラックを追越車線から追い抜きかかる激走トラックバトル。その後方に並ぶ普通自動車群。というのは稀に高速道路を利用してもよく見る光景である。走行レーンを規制せずトラックの料金割引だけを実施した場合、今以上に悪化するであろう。「物」だけでなく「者」の移動も促したい。その為にはトラック以外の自動車の不便を軽減する必要もあるのだ。
 将来的にはトラックの自動運転化により走行レーンの大部分は解決されるのだろう。だからといいい放置していれば片手落ち、別の問題を生み出し続く。事故防止の観点からも高速道路運転中の運転手には楽をして欲しい。追い越しレーンを激走する身重なトラックは交通全体の流れを滞らせる。これは別々の問題であるようで、繋がっているのだ。
「高速道路は車を持っていない者には関係ない」という考え方もあるが、私はこれを否定する。日頃消費している食料や燃料全てに輸送が関わっている。それ故、車を持つ持たないに限らず関係していく。日々の暮らしで忙しく、大多数の方々は各々の役割を分担し、互いの金銭と役割を交換することが経済の本質である。このように私は理解している。つまり運転手の労働環境を見直し、安定化させることはそれ以外の者の暮らしを安定させるのだ。消費のために運転手を消耗させ、継続不可能に傾けるのは自らの首を絞めることに繋がる。
「関係ない」と、断言出来る方は、電気ガス水道から食料まで全て自らで賄う方であろう。そして完全独立型自給自足を常とする方はこんなものを読まないだろう。何故ならば読む暇はない筈だ。一人で全てを行うというのは知識技術と連日濃密な時間を要するため。
「高速道路は高速道路のことしか考えてこなかった」と、前述したが、こうしたことは形を変え多く見られる。利用者、利用者以外にも高速道路の便益は関わり、それ故これは資源であり、有益に使うのは半ば義務に近しい。というのが料金区分に関わらず日本の高速道路全体の問題かと。
 ではここからは自動二輪車に関する高速道路及び、有料道路についてに視座を置く。読者の皆様は安心してくだされ。期待を裏切らずここでも自動二輪車は……。冷めた扱いにFワードが飛び出る、つまり、走行風直撃冷飯編の始まりである。

・自動二輪車の高速道路料金は雑で高すぎ
 現在の高速道路の料金区分は全部で5つ。
 重量級から並べると「特大車」「大型車」「中型車」「普通車」「軽自動車等」という仕上がり。
 おや、一つだけおかしな車がありますね。どれも種別末に『車』で終えるなか『等』がおられます。そう、「軽自動車『等』」の中に我らが愛する自動二輪車は圧縮し、放り込められている。
「インターネットなの?」
 地球と比べ太陽は滅茶苦茶にでかい。重い。めちゃ熱いことで有名でありますが、同様にトラックはでかい。重い。排気ガスはかなり熱いことでも有名でございます。重いものが走ればそれだけ道路が痛むのは当然のこと。また、重量級は概ね寸法も嵩み、目方はどん!と、占有する道路面積は大きくなります。「それ故、通行料金を高くする」という通行料設定の論理には一貫性がございます。しかし、何故だか軽自動車と自動二輪車は「まとめてどーん」扱いで料金設定のロジックが綻んでいる。
「えっ、何で?」 
 では、ここで軽自動車と、自動二輪車の規定された大きさを比較してみたい。
「軽自動車のサイズ制限」
 全長:3400mm以下
 全幅:1480mm以下
 全高:2000mm以下
 重量:制限なし
「自動二輪車のサイズ制限」
 全長:2500mm以下
 全幅:1300mm以下
 全高:2000mm以下
 重量:制限なし

 成る程、当然ながら自動二輪車が下回る設定に置かれているが、「全高」に同じ値が置かれたのは意外だった。
 次に実際の軽自動車両と自動二輪車両の大きさを比較検証を行う。参考対象はHONDAからN-VanとCB400 Super Fourを選出。両車両とも日本らしい車両であり、また同メーカー故、余計な角が立たなくて済むね。いえい!
 尚、私は軽自動車は一種の空間芸だとして捉えており、蔑むための当て馬に摘発していない。エンジンフード内ギリギリまでに必要な物を納め、車内空間は安全と空間確保の陣取りゲームを繰り広げ、なおかつ維持費も安い。日本らしい優れた乗り物であり、我が愛車ニャンスタ丸は次期に御年40万kmを迎える、エアコンは完全に死んだ軽トラック。夏が嫌だ。もう乗りたくない。

「HONDA N-Van 2WD/FUN/CVTモデル(2024年)」
全長:3395mm
全幅:1475mm
全高:1945mm
重量:960kg
「HONDA CB400 Super Four (2022年モデル)」
全長:2080mm
全幅:745mm
全高:1080mm
重量:201g

 言うまでもなくN-Vanに比べCB400は全ての値が下回る。「全長」は約70%の大きさ。「全幅」は50%以下。「全高」も凡そ50%の範囲。自動二輪車は道路に対し大変謙虚な大きさ。実測値を比較検証しなくとも自動二輪車の方が小さいことはビジュアル的に判ることなのだが、これが何故か理解出来ない方が居らっしゃる。
 ここでもう一つ思うことが。N-Vanの全高は軽自動車制限規格近くまで取り、室内空間を確保しているが、このルーフトップよりも上に「全高」を組むバイクとはどういう形になるのだろうか。珍奇な物への好奇心は強く狙撃され、「刺激」と書くべきところを事故った程であるが、感覚的には的を得た語彙であり、このままにしておきたい。
☆メモ:強い刺激は狙撃に至る。

 次に「重量」 タイヤで路面を踏みなする路面への攻撃性を見てみよう。
「わーお、これは凄い。約25%以下だ」 なんと軽いのか。であるが、CB400は自動二輪車では平均的な重量。中庸を代表する車両で、どちらかというとやや重い方である。これよりも嵩む車両もあるが人が押し引きできる上限は知れているので比較対象外とする。
 おまけ。路面への攻撃性の低さは重量だけに留まらない。自動二輪車はタイヤが二つ故、走行路面は四輪車と異なる。走行レーンのほぼ中央を走り、路面の轍を深くすることもない。路面の経年劣化や他車両による路面の補修はあれど、自動二輪車要因で路面の張り替えを行うことはまずありえないのだ。
 総括すると、自動二輪車の道路占有面積は「小さい」 重量による路面攻撃性は「小さい」 走行位置は車と「異なる」 つまり「軽自動車『等』」で括られているが、高速道路運営側自らが設定した料金徴収の骨子、ロジックに反した自動二輪車の取り扱いに論理を見出すことは出来なかった。出鱈目な設定に置かれて数十年。文面上にFワードを置くことを控えるが、強い不満を覚え大変不服である。
 ETCを利用した「自動二輪車割引」なるものがあるが、最低走行距離や、事前申請とめんどくさい手順が必要。そんなことをしていただく前に「路面占有率」「重量」「路面走行位置」から鑑みて料金設定の独立化を行なっていただきたい。価格帯は軽自動車から70%辺りが適正価格であろう。それではきついというのであれ50%が上限。料金表示は看板に強力マグネットで「自動二輪車 ¥ー」を貼り付け、掲示すれば十分対応可能でございます。またETCの設定にも「自動二輪」の枠を一つ作ることで済む。
 こんなややこしい仕組みが出来て、枠を一つ設けれないような設定ならば(現状維持するためそう口にするんじゃないかと推測しますが)元からの設計がダメなので、基礎がダメなものは総じてダメ。そのようなものを世の中に出すことがダメ絶対。御為倒おためごかしの割引、折角のご厚意ですが「得てして無意味な複雑さは害悪以外にならない」という持論を持つ。私はすべき順序があるかと考えています。過程を無視した結果主義のリアリズムのような者は行先の想像力を持ち合わせているか疑問。「ただマウント取りてえだけだろ、おめえ?」は内緒だよ。
 若者を遠くに送り出すためにも、高速道路及び有料道路の自動二輪車の料金設定を早々に見直しを願う。異なる土地、人、景色と旅順を経て、性差ない次なる世代の育成が必要である。人を遠くに運ぶ道路がボトルネックになるのは本末転倒。
 自身の論理に拘泥するのは融通の効かなさではないか。他者の考えを咀嚼し、その上で説けるのが理であり、論になる。
 高速道路の料金設定上の自動二輪車にはどこにも合理性はない。料金設定のロジックの一貫性も適応されていない。冷飯どんぶり勘定を感じる。何十年これを続けてきたのか。
「米がカチカチだぜ」

・自動二輪車のETCについて
「カードガ入ッテマセン」 日本で活躍した車達は海向こうに渡り「日本車は喋る」と、異国の民の肝を抜くそうだ。「流石プレイステーションの国だ」「スイッチもあるよ」
 米国テレビドラマ『ナイトライダー』の影響を受けた私はこれを歓迎したいのだが、異国の民にETCというものだと説明すると一層と混乱するそうだが、私もETCについては混乱を来す。何故ならば自動二輪車用のETCにも抜かりなく冷飯プランが適用されいるためだ。
 本体価格は凡そ¥2万円台前後。車両に取り付けセットアプを行うと¥5万円前後に跳ね上がる。これは2001年、世の中にETCが登場した頃の自家用車用と同等の額だ。当時のETC普及率は1%以下。あの手この手でETCを普及させ、その後自動車用ETCの本体価格は値下がり、現在車載器は¥5,000代で購入可能。
「お高いでしょ?」 四輪と二輪のおかしな価格差に眩暈を起こし、土間で横になっていると「くんくん、何か匂うワン」私の嗅覚は怪しい何かを嗅ぎ取り始めていた。経験上こういう時は現場に足を運ぶに限る。ということでフィールドワークに向かおう! 車に乗ると……直ぐだった。

・バイク屋到着
 私はつけ髭を着用し店内にて一般的なバイク購入者を装った。「へー」とか「ふーん」など、燃料タンクのエッジに指を這わせたりしていると店員さんが此方に接触を試みて来る。まんまと引っ掛かったな。
「何かお探しのバイクはございますか?」店員さんの声に、私は間髪なく戦闘体制に。腰手の構えアームアキンボで詰問をぶつけていく。
「自動二輪車用の、ETCってあるじゃないですか?」 まずは柔らかい口調でケツ上がり。
「はい……」 ETCという返しにやや困惑する店員。
「めちゃ高くてビビる」 がっかりだよ。という心情を表すため、両肩をぐったりとさせノーガードの構え。
「ええ……」と、店員は苦笑。
「ボリバーかよ。警察呼べよ」だらりと垂らした肩から、フッリッカー気味のジャブで君にワン・ツー。
「ええっと……車用と違い、二輪車用のETCは防水・防塵・防振が必要です。それ故本体価格が高くなり、また販売メーカーも少なく、価格競争も起き難いんです。だから警察は呼びません」理詰めでガードを固める店員。
「OK OK 確かにバイクは雨風直撃する。じゃあ、ETCの設置を何故ユーザーが出来ないのか?」ガードの上からジャブを見舞う。
「いや、それは」と、店員がジャブの打ち返し始めしなに私は被せた。
「ごくごく簡単な作業で出来マスト思ウ。私ワ設置ヤレマス」外国語の自動翻訳文のああいう感じで打ち返し、相手のリズムを崩し、詰めていく。
「……バイクは自動車と違い剥き出しのため、万が一ETCゲートとのバー接触があってはならないので……」と、此方の自動翻訳には、四角四面の紋切り型の口上で返すことを選ぶ店員さん。その声からは心というものが消えていた。俺は右人差し指を一本立て、彼の口元に近づけ棒読みを遮る。
「しー……」 すると、静寂。言い足りなげという顔つきの店員。俺は掲げた一本指を自分の口元に近づけ、一呼吸を置き折りたたむ。第二関節から折り曲げ、横に横にと屈伸運動のように動かすと、彼は再び打ち返してきた。
「……それは間違っていて、中古のETCはユーザーで設置は可能ですが、新品は出来ません!」強弁に私は指の動きを止める。丁度グーの形に。
 しばしの静寂。目を閉じ熟考しているということを相手に伝える。
「……それはおかしな話ではないですかな。二輪卿どの」片目を開け、側にあったYAMAHA XSR900 (2023) 走行距離3200kmの中古車。前ブレーキレバー、そのうわっぷちを親指でなぞり「美しい」と、私は溢し、両目を開眼。「中古のETC車載器は取り付けが出来る。間違いありませんな?」と、言葉を続けた。
「ええ……」店員からそれ以上の言葉はなかったが、ムカつく。こいつ。という目だ。
「しかし、新品は何故だかユーザーが取り付けることは出来ない」
「ええ……」店員はマスク姿であるが、頬の部分が硬調され、苛立っていることは明らかだ。
「……不思議だ」XSR900の鍵差し口を嬲る。
「何方にしろお店に来ていただいてセットアップは必要です。そちらのXSRに取り付けたETCにも」と、売り言葉に買い言葉。喧嘩腰のセールストークで俺に物を売りつけようと、ギラギラとした目で打ち返して来やがった。
「そんなのは知らない! そっちの都合だ。買わない!」 金無い! とは口にはしなかった。あの場で全てを正直に伝えたのならば命に関わっていくのだろう。
 ここで我々は物別れに。悲しいことだ。店員には何も落ち度はなく私もただのユーザーだ。何かおかしな仕組みが直接関係のない者同士を啀み合わせる。悲しいがな多く興ることだ。
 このETC再セットアップであるが、理解出来ないことがある。車の場合「特大車」「大型車」「中型車」「普通車」「軽自動車等」と、料金区分が異なるため「特大車」に取り付けたETCの設定を「普通車」とするような輩を防止したいのは判る。
 これは例えるならば、酔った勢いで親父が丈寸下回る子供のTシャツを着用し、腹を出すことで一寸愉快なお父さんという腹づもりが、どっこいそれがキッズの推しのバンドTシャツ。尚且つだ、思春期真っ只中のお子さんだった。家庭内の父親株はとんでもない動きを見せ、紙屑と化すが、ETCのセットアップ問題の本質はそれと似ている。
 これは自動二輪車も同様。登録されたETCを態々「普通車」や「特大車」に登録することは無い。いうなれば息子が実家に置いて行ったRUN-DMCのキャップをHip Hopにさして興味のない母親が面白半分で被り、両腕を前に組んだ写真をインターネット上に投稿したところ、恣意の方から「判ってる」と、称賛を得てバズりにバズり、いや、ただ単の偶然なのだが……あれ? 俺は何か途中で比喩の森に迷った気がするが、まあいい。兎に角態々高い通行料になるように登録設定を行うことはない。ないと断言したい。
 ☆別では「ハリウッドの撮影スタジオからエネルゴンを盗掘出来たとしても、普通車が特大車や、軽自動車にトランスフォームすることはない」というのも書いたんだけど、推敲を重ねた過程で関わる文章を削ったらしく、何に対しての例えだったかさっぱり行方不明。比喩を独立すると意味が消える体験を出来たので書き残しておくね。

 自動二輪車として登録されたETC車載器を、A自動二輪車からB自動二輪車に変わっても「自動二輪車」に変わりはないが、再セットアップが必要とのこと。教えて欲しい。この必要性を。
 色々と思うことのあるETCだが本来のの目的は料金支払い時の混雑解消である。普及を促すため「ETC割引き」などのサービスを実施しているが、これはSNSで店舗を友人登録することで受けれるサービスと似たものを感じる。
「私と貴方は友達ではないですよね?」 カツレツに味噌を付けないような相手とは知己には成れない。
 企図することは判るがここで一つ思い起こしてほしい。自動車に取り付けたETCを年に何度利用するのか? 大多数の方は盆暮正月の連休中であろう。その時の高速道路は大抵渋滞してるのではないか。ETCによる料金所の渋滞緩和効果に異論はないが、これだけ高価な物を取り付け高速道路料金も対して安く使用頻度は小さい。他に方法はなかったのだろうか?
 それがあったのだ。国交省の下に開発が進められた「スマートプレート」というものがある。既存のナンバープレートに取り付け、無線通信により車両情報のやり取りを行うという物。
 考えてみてほしい。公道を走る以上ナンバープレートは必要だ。つまり公道を走る自動車のナンバープレート装着率はほぼ100%である。このスマートプレートは車載器という概念の外にあり、普通車だろうが、軽自動車だろうが、バイクだろうがナンバープレートに取り付けることで、料金所のやり取りをデータ取引に変え、大きさは小さく、そして安い。ナンバプレート装着率100%故、開発生産コストを優に賄えられる。一体、何故これが採用されないのか?
 今後の海外道路インフラ整備を鑑み、作った以上メンテナンスが必要だ。では通行料を取ろう。そこには日本のETCという仕組みがある。これを使えば便利である。では売ろう。と、世界戦略を企図した物としてETCを設え、輸出品として展開すれば市場は世界にある。雇用も作れる。「成る程、先を見据えた戦略」に納得。だがそうしたことを窺える気配すらない。
 ETC2.0へのアップグレードにて得れる恩恵は、高速道路を一時的に降り、異なるインターから再度走行を継続した際に新規料金とせず、継続通行と判断するくらいだろう。天候情報などを表示も計画されているそうだが、これらは全てインターネットを経由し知ることが既に出来ているのだ。スマートフォンの普及と、高性能化のサイクルを下回る速度、割高な仕組みを実装して恩恵はあるのだろうか? ここでも日本が失った戦略というのを感じ、内向きの仕組みは問題を残し続ける。
 ここで振り返りたい。これらは全て「スマート・プレート」にて可能なことだ。この仕組みとチップ製品の輸出の方が外国からも受けが良いだろう。必然性がある。一粒の望みは、海向こうで「カードガ入ッテマセン」と、喋り続ける中古車を有効に活用することもある……いや、ないだろう。私が企業家ならナンバープレートとセットの仕組を売り込む。適切な品とそれへの批評。競争に耐えうる物を各国の誰かが虎視眈々と狙っているわけである。ETCはそれに応えられるのだろうか?
 新車であろうと中古車であろうと、登録時に新たなナンバープレートを取得する。そこにスマートプレートにするかの選択が出来れば事足り、必然性に至るのだ。

 バイクにとって料金所とは鬼門である。支払うためにはまずバイクを止め、足を着くのだが、ここで足着き性が関わってくる。両足か片足を地に着き、次にグローブを脱着。太もも付近やポケットから財布を取り出し料金を支払うのだが、これが雨になれば手はふやけ、冬になれば悴み、お札を取り出すのに四苦八苦。小銭なんてまず無理。次はお釣りを受け取るのだが財布に仕舞うのにも難儀し、足元はおぼつかず、後ろに車が列をなし待つとなると、焦り焦燥。
 例えるならば、厳冬の朝、通勤通学の時間帯コンビニの会計時に片足でレジ前に立ち、ウィンタースポーツ用グローブを外し、そこから財布を取り出すが、まごつき、後ろからは「おっせえな」「チッ」と、口にはされないが朝のイライラとした空気を色濃く浴びながら料金を支払い、お釣りを受け取る際に「あっ!」 ジャラジャラアっと音を立て、小銭が床に散らばった自身を想像してみて欲しい。
 で、ETCでありますが、全国の高速道路及び有料道路に適用されず、現金取引にてということはままございます。ライダーは懐から財布を出す四苦八苦。高い金を払い設置したETCとは?
 金に困っていなければ私は自動二輪車にETCを取り付るだろう。しかし、若者達はどうするのか。どの時代でも彼ら彼女らは金がないものだ。免許も取得した。バイクも買った。しかし、国内環境が若者の移動を後押しするようになっていなければ引き続きインターネット先の内輪に窄まってしまうのではないか。異なる土地と価値観の混淆と出会いと摩擦。物理的な移動は人を育てる。次世代があっての次。
 残念ながら現在は高速道路料金は高く、ETCが選択され、高どまりという塩梅である。それでも推したい自動二輪車。その先の諸君らが世の中をより良く、楽しいものにしてくれることを願っている。
 誰がための高速道路なのか。誰がための通行料徴収なのか。

「若者よ、スマホを握って旅に出よ」

☆参考資料:全軽自協(Webサイト)
https://www.zenkeijikyo.or.jp

『高速道路の謎』
著:清水草一
ISBN:978-4594060220
☆大変参考になりました。

バイクを買うぞ!