SNS という箱


実は、イーロンさんの某SNSがちょっと苦手です。

もちろん、そこで知り得る情報も沢山あるので、
恩恵にあずかりながら、苦手と言うのは不届者な発言だとわかっているのですが。

情報もたくさん、暴言もたくさん‥‥

個人的に「動物救出もの」のインプ稼ぎには震えがきます。
なぜ、ちょうどよい具合に「死にそうな犬や猫」がいるのか、見る側も考えてほしい。
逆再生や麻酔使用、分かる人にはわかります。
何度も見ることやリアクション。
「助かってよかった!ありがとうございます!」的な善意のコメントが、もの言えぬ動物の犠牲を生んでいます。
もちろん、本当の救出もあります。
しかし、道端で突然倒れている犬猫の心臓マッサージから始める類いの多くは逆再生の可能性が高いです。

‥‥何か、心からエネルギーが吸い取られて行くような。掠れていくような。
疲れてしまう。

良くも悪くも情報過多すぎることと、
攻撃的な文化が通用している世界、
節操なく言いたい放題、やりたい放題という感じに、どうも心が抵抗します。

その反面、
有意義な発信を続けてくださる方もいて、
身を挺して命がけの発信してくださる方々も沢山いらっしゃり、本当に頭が下がります。
しかし、そこへの吐き捨てるようなツリーが下がるのは何とも悲しい。
正当な議論ではなく、誹謗中傷がまかり通る箱の中。

真偽不明な情報も普通に交錯しているので
右往左往する方々も。
仕方ないのかも知れないけれど、
そんな自分は棚に上げて、調べずに打った人を「無知は罪だ」「加害者だ」と断罪している姿も何とも‥‥悲しい。

日本人って、こんなでしたか?

実際の知人で
その某SNSをメインに
「目を皿のようにして情報を仕入れてる」と豪語する方は、
普段、話していても思想や思考が四方八方に飛び散らかっている感じで、とても危うい。
危ういというのは、精神的に大丈夫?という意味で。

ご本人に自覚は無さそうですが、
暇さえあれば、情報収集して
様々な情報に左右され過ぎて
しかめっ面が多く
大切な感覚が退化してしまっている感じです。

かなり精神バランスが整っている方であれば問題ないのだと思いますが
どっぷり浸かっていては困難そうに思います。

情報過多から始まる危機意識。
敵対心や憎悪。

これはこれで、内乱のようです。

根底に恐れや怒りがある方にとっては
特に、そういったSNSの箱の中は、
中毒性をもたらすのだろうなぁとも感じています。

よく目にする文章というのは、
思考回路もそこに同調してしまう傾向があるので、
物事を白か黒かで完結してしまい‥‥
他責、断罪思考は、
とても生きにくいだろうなぁと思います。
実際、本当に偏っていて生きづらそうです。
その生きづらさも他責に終始して、SNSで意見に同調してもらい「私の考えは正しい」と安心するという。

それも個々の経験なのだから大きなお世話なのですが‥‥

日本人にある「自分の内側を観て照らす」という
学びや経験から、どんどん遠ざかる人が増えたなぁと残念に感じます。


玉石混交であるSNSの箱の中ですが

そこを
宝箱に思う人もいれば
便利な箱と思う人もいて
ゴミ箱のように感じる人もいる

本当に人それぞれです。

情報も必要なので、
探すときにアクセスするのは便利で有効だと思っています。
特に、最新の情報を知りたい時には1番有力なので、私も利用します。

ただ、何となくで毎日当たり前に使っていると
箱は、自分の思想と同じ類の思想を差し出してくる。
要はアルゴリズムとマーケティングで出来ている箱なので、
新たな考え方の側面に出会う確率は
かなり低くなります。

同じ箱の中で、似たような面子が
来る日も来る日も、同じ餅をこねている発言を目にしているのは、
テレビを毎日熱心に見ている人と何か違うのかなと。
テレビも手を変え品を変えの似たような情報を提供していますので、あんまり変わらないなぁと。

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図書館や書店に行って、様々な本がある中から
表紙をみて興味を惹かれて、
いつもは読まないような分類の本を手にする。

そういうアナログを
今はとても懐かしく、そして大切に思います。

今は例の匂いで
とても図書館の本は借りられないけれど、
そういう感覚は無くしたくないものです。

かく言う私自身、
ネット関連を業としています。
毎日毎日デジタルに触れまくりです。

だから余計にそう感じてしまうのかも知れません。

落ち着いて紙のページをめくり、印字を読むということが、どれだけ人のDNAに組み込まれた大切な所作なのかと思い知ります。
詳しくないですが、波動が違うという言葉が1番しっくりきます。

ゴミ箱の中にもダイヤがあったりするので
一生懸命、情報という宝探しをした時期もありました。

ただ、宝探しに没頭すると
大切な感覚を失って行くことを肌で感じます。

自由に発言できることが
今後は更に厳しくなり、
だからこそ、
発言ができている箱に集中するのは仕方ないとしても
その代償のように
感覚を失ってまで仕入れる情報の価値より
要らないゴミを見る回数の方が断然多い気がしています。

箱にどっぷりでは、
本来持っている人の感覚、
例えば、
陽の光を感じる幸せな感覚や
虫の知らせのようなものも感じられなくなる気がするので
箱は距離を置いて利用しています。
というより、あまり意識していない。

SNSという箱は、オオカミ少年のような大人を量産してしまったのかも知れないな、と思います。

そして、今、1番必要なアンテナは
箱の中より、自分にあるのではないかなと。

個人的にそう思っています。

色々な考え方があるから
世の中は面白いのですけれどね。

危機管理もオオカミが来ると騒ぐ声より
自身のアンテナで感じることの方が、確かな気がしています。

テレビは嘘が多く、
箱の中は、いささか情報が溢れすぎ。

だから、ここnoteをたまに見ます笑
私にはこのぐらいの情報量がちょうどいいのかもしれません。




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