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「役に立たなそう哲学」は何を養うのか
あなたは本気で悩んだことがありますか?
人生において、本気で悩んだ瞬間を思い出してみてください。
友人の励ましがどこか上滑りして聞こえたり、「これをやれば解決する」という解決策が薄っぺらく感じられたりする瞬間。答えがすぐに見つかるなら、こんなに苦しくはないのに。
そんなとき、人はどうすればいいのでしょうか?
「哲学」という言葉を聞いて、あなたはどう思いますか?
難しそう。役に立たなそう。なんだかとっつきにくい。
確かにその通りです。哲学は、今すぐの解決策を示すものではありません。
でも、だからこそ哲学は、本気で生き、本気で悩む人にこそ必要なものだと私は思うのです。
哲学の「役に立たなさ」が持つ力
哲学は、ビジネス書のように「成功するための法則」を教えてくれるものではありません。
自己啓発書のように「明日から試せるノウハウ」が詰まっているわけでもありません。
むしろ、哲学は「すぐには役に立たない」ものです。
けれども、どうしようもない壁にぶつかり、解決策が見えなくなったとき、その「役に立たなさ」こそが力を発揮します。哲学が提供するのは、答えではなく「問い続ける力」です。それは、「納得感が得られるまで問い続ける肺活量」とでも言えるものです。
本気で生きる人に哲学が必要な理由
本気で生き、本気で悩む人にとって、「安っぽい答え」ほど役に立たないものはありません。
「気にしなければいいよ」と言われても、「時間が解決するよ」と言われても、その場では納得できない。本当の苦しみは、そうした上辺だけの言葉を受け入れられないからこそ深くなるのです。
哲学は、その「上辺の答え」に頼らない力を養います。答えを保留し、問い続ける。その時間は苦しいかもしれませんが、問い続ける中で見えてくる景色があります。
ソクラテスの言葉を借りれば、「無知の知」を認めること。カミュの言葉を借りれば、「不条理と共に生きる」こと。哲学は、どんなに苦しくても、問い続けるための「肺活量」を与えてくれるのです。
問いを保留する力
哲学が特別なのは、「答え」に飛びつかない姿勢にあります。
現代は何事も効率化が求められ、「早い答え」が尊ばれる時代です。検索すればすぐに解決策が見つかる。しかし、本当に大切な悩みや問いは、検索しても出てきません。
哲学は、答えを急がない。「答えが見つからない状態」に耐える力をくれるのです。その力が、深い納得感にたどり着くための鍵になります。
「もがく力」の価値
人生の苦しみは、もがく力を失ったときに本当の絶望になります。
哲学が与えるのは、この「もがく力」です。
たとえば、カミュの『シーシュポスの神話』では、永遠に岩を押し上げ続ける神話の人物が描かれます。一見無意味なその行為に、カミュは「人間の崇高さ」を見出しました。哲学は、この「意味が見えない中でももがき続ける力」を肯定し、支えるのです。
おわりに
哲学は、あなたが今抱えている悩みに即効性のある答えをくれるわけではありません。
でも、だからこそ哲学は、人生において本当に大切な「問い」を問い続ける力を与えてくれるのです。
苦しいときこそ、答えを急がないという選択をしてみませんか?
哲学は、あなたが本当に納得できる答えにたどり着くまで問い続けるための肺活量を育ててくれるはずです。