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肯定ってなんだろう。

「肯」という字は、
訓読みすると

「がへんず」「うべなふ」「うなずく」

と読める。

つまり、
「うなずく」「よしとする」
という意味を持っている。

ここから考えると、「肯定」とは、
「うなずくこと」そのものなのかもしれない。

でも、この「うなずく」という行為は、
単なる首の動き以上のものだと思う。

もっと言えば、それは世界との関わり方
そのものに繋がる。

僕たちは、生まれた瞬間から世界に投げかけられる。

光、音、匂い、風の感触、誰かの声。
世界は常に何かを語りかけてくる。

そして、僕たちは、それに対して応じる。
「反応する」「無視する」「拒絶する」「受け入れる」。

この無数の選択の中で、「うなずく」という行為は、
世界に対して「聞こえているよ」と応えること。

完全に同意するわけじゃない。
だけど、一旦受け取る。

それが肯定というものなのかもしれない。

逆に、もし世界の呼びかけに一切応じなかったら?
「こんなの間違ってる」「こんなの認められない」と拒み続けたら?

きっと、その瞬間から世界との関係は断たれていく。

何も受け取らず、何も認めず、ただ否定し続けること。

それは、自分の内側の世界だけを守り続けることでもある。
でも、僕たちは世界とつながりながらしか生きられない。

完全に孤立することはできないし、したくない。
だからこそ、僕は世界に対して「うん」とうなずきたい。

生きるというのは、世界に呼びかけられ、
それに応じることの繰り返しだ。

僕たちは、何者かに問いかけられ続けている。
「お前はこれをどう思う?」
「お前はこれをどう受け止める?」

その問いかけに、どう応えるか。
それが、生き方を決める。

僕はなるべく、「うん」とうなずきたい。

たとえ納得しきれなくても、
たとえ完全には理解できなくても。

世界と関わり続けるために、
世界に対して心を閉ざさないために。

良し悪しのジャッジではなく、
「良し良し」とうなずきたい。

「よしよし」と。

世界のありようを、
「まあ、そういうものか」と受け止めたい。

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