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黒薔薇は夜陰に散った 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン4 その15

 石割桜は盛岡地方裁判所の敷地内にあり、そこからさらに暫く歩くと中津川という川がある。
 その川を越えると古い街並みの中に、古いビジネスホテルのような建物があった。

 それは異様。そうとしか表現のしようのない様相が目に飛び込んできた時、俺は思わず息を呑んだ。
 ビジネスホテルの看板であった部分には、赤い塗料で雑に上塗りされ、その上に尻毛学生会館と黒で上書きされていた。
 それだけでも充分に異様なのだが、その周囲は瓦礫やら何やらが高く積まれ、バリケードが張り巡らされている。


「まじかよ…、なんだよこれ」

 西松の呟きが聞こえる。

「これは嫌な予感しかしない」

 と榎本が呟いた。
 榎本の言う通りだ。嫌な予感しかしない。
 これはまるでテロリストのアジトか、悪の組織の基地のようなのだが、それが街中に堂々と存在しているのだ。これは只事ではない…
 
「面白そうじゃないの」

 皆それぞれ恐れ慄いている中、二号だけは楽しげであった。


 バリケードの前には大型の二階建て観光バスが横付けされているのだが、そのバスは窓を鉄板で塞がれ、鉄条網が張り巡らされている。これは何なのか。
 先頭を歩く尻毛が何やら手を振ると、バスの屋根の上に座っていた男がその屋根を三回叩く。
 するとバスは後退し、尻毛学生会館正面入り口が見えた。
 この大型バスを門にしていたのだ。

「ようこそ、我が家へ」

 尻毛は俺たちを歓迎するかのように両腕を広げるのだが、二号以外の皆は立ち止まり、中へ入ることに躊躇する。

「尻毛先生、これは何ですか?」

 西松は恐れ慄いているせいか、尻呼ばわりをせず先生呼ばわりしたのだが、尻毛と黒薔薇婦人はそのまま何も言わず中へ入っていく。
 
「さあ、今のうちに中に入って。対立する派閥からの襲撃があるかもしれないから」

 栗栖が若干、慌てている様子で俺たちに入場を促す。

「襲撃!何それ!」

 西松は栗栖のその発言にいち早く反応した。丸眼鏡越しの細い目が大きく見開かれている。

「詳しいことは後で説明するから、早く入って」

 栗栖が俺たちを急かしたその直後、学生会館からサイレンが鳴り響く。

「そうこうしている内に来ちゃったよ!早く!早く!」

 俺たちは突然のサイレンと栗栖のその言葉に驚き、小走りで中へ駆け込むと、大型バスによる門が閉じられた。

「セクタからの襲撃だ!」

 サイレンが鳴り響く中、門代わりのバスの上に座っていた男が叫ぶと、学生会館の中から多くの学生達が姿を現した。
 その学生たちは剣道の防具を着用する者がいれば、アメフトのプロテクターを着用する者もいる、といった具合に統一感は無い。しかしそれぞれ武器になるような物を手にし、武装している。中には猟銃を持つ者さえもいた。
 武装した学生らはバリケードやバスの上へと登る。

「セクタって何だよ」

 西松はすっかり怖気付き、顔を真っ赤に染め、今にも泣き出しそうだ。

「恐らく、英語で言うところのセクトのことであろう。
 宗派とか派閥の意味だ」

 榎本だ。

「なんでまたこんなことになるんだよぅ!」

 西松の言う通りだ。
 俺たちはなんでまたこんな場に迷い込んでしまったのか…

「だからこそ、その状況を楽しむしかない」

 二号だ。こんな状況なのに、こいつは妙に生き生きとしていやがる。


「ここは危険だから、中に入ろう」

 栗栖に促されるまま、俺たちは小走りで会館の正面入り口へと向かい、そのまま館内へと入った。
 館内は外観と同様に古いビジネスホテル然としていて、白い壁には所々、ヒビが入り、床の絨毯は薄汚れていて年月を感じさせる。

 俺たちは十階の食堂へ案内された。
 窓から外の眺望は中々のものだ。盛岡市の市街地とその先にある山々を見渡せる。
 観光で来たのであれば良い気分になるのであろうが、俺たちの眼下で繰り広げられている、あれを見たらそんな気分にはなれない。

 尻毛学生会館のバリケードの前に九台の街宣車が止まっており、中でも真ん中に停車している街宣車は大型であった。その屋根には舞台が設置されており、舞台上には三人の男が立っている。
 その真ん中でマイクを握る男は、見るからにチンピラかゴロツキか、といった風体をしていた。
 戦闘は始まっておらず、一触即発の睨み合いが続いているといった状況だ。
 学生会館側のバリケード上の学生らは街宣車側に怒号を飛ばすと、街宣車側も何やら怒号を返しているようである。


「あれがセクタってやつか?」

「うん 正式名称はラ・セクタ・ミヤツカって言うんだ」

 俺の質問に栗栖が答えた。

「ミヤツカ?」

「あの、街宣車の上でマイク握っている奴、あいつがリーダーのミヤツカだよ」

 栗栖は街宣車の上でマイク片手に何やら喋っている男を指差した。

「おい、あれ宮塚じゃねえか!」

 そんな中、堀込が突如として大声を上げた。

「本当だ!」

「間違いない。あれは宮塚だ」

 西松に続いて、榎本までもその宮塚という奴を知っているようだ。

「宮塚って誰だよ?」
 
「入間川高校の体育教官の宮塚だよ。風間、覚えていないの?」

 俺の問い掛けに西松は答えたのだが、そんな奴いたような、いなかったような…

「こっちの体育の担当は牛浜だったから宮塚じゃないんだよ」

 とパリスが言った。そうだ。高校時代、西松と堀込は違うクラスだったのである。よって体育の担当が違っていたのだ。

「だとしても、宮塚のこと覚えていないのかよ」

 堀込はそう言いながら、俺へ呆れたような視線を送ってきた。

「風間は体育の授業をほとんどサボっていたのだよ。だから牛浜が所用で来なかった時に、宮塚が来た時の事さえ知らない」

 榎本が例の大尉風の口調で言うと、サングラスを人差し指で治す。

「榎本っ!……………、さん」

 俺は榎本へ睨みを効かせた視線を送る。
 榎本のサングラスが一瞬、光を反射した。

「事実のはずだが」

 確かに榎本の言う通りだ。
 俺は中学高校と体育の授業に出た試しが無い。
 中学生にして俺の体重は優に100を超えていたからな。それを支える膝が常に悲鳴を上げていたのだ。
 俺にとって、スポーツなぞもっての外なのであった。


「なんだか、宮塚が妹を返せって言ってるみたいなんだけど」

 西松はそう言いつつ、窓の方に耳を傾けている。
 ここの窓は開閉出来ないようだ。

「うん…」

 栗栖は西松からの問い掛けに困惑の表情を浮かべた。

「尻毛と宮塚の間に何かあったのか?」

 栗栖は俺からの問い掛けに唸るのみで答えようとしない。

「何かあるのなら言ってみろ。
 話はそれからだ…」

 俺はここで流し目加減の眼差しを栗栖へ送る。
 すると栗栖は深く息を吐くと、心を決めたような顔をした。

「これは黙っててほしい事なんだけど…」

「大丈夫だ。俺は口の堅い男だ」

 俺のその一言に二号だの西松、堀込、パリスまでもが茶化してくるのだが、知ったことでは無い。

「麗花さん、黒薔薇婦人のことなんだけどね。
 麗花さんは宮塚の妹なんだよ」

 ここで皆からそれは意外だと言う声が上がる。
 十階食堂から街宣車の舞台に立つ宮塚という奴を見る限り、確かに黒薔薇婦人とは似ても似つかない。
 牙を剥いた犬が胸元に大きくプリントされたトレーナーだか、Tシャツを着ている。
 牙を剥いた犬…、犬?

 犬が胸元にプリントされた服を見て、心の中の何かが弾ける。
 今、思い出した。
 名前は知らなかったのだが、こんなのをいつも着ている体育教官が確かにいた。
 こいつは確か、白いフレームの眼鏡を掛け、チンピラゴロツキといった風体でありながらも、学生らに対して、あざといぐらいに理解ある兄貴風を吹かしていた奴だ。

 そうだ、思い出した!
 こいつは高校のラグビー部の顧問をしていた奴である。
 そのラグビー部の部員集めの為に、部費を使って学生らに奢っていたのだ。
 そのことが問題となり、体育教官のボス的な立場であった牛浜から、校庭のど真ん中で制裁を加えられていた。それを見た俺は腹を抱えて笑った記憶がある。

 過剰に男らしさや兄貴風を見せつけてくる奴、これぞ男のあざとさ、いやらしさである。
 俺のひねくれた無頼の根性が、宮塚のような類を信じるな、と教えてくるのだ。


 それはいいとして、宮塚は窓から肘を出してワンボックスカーを運転し、休日のショッピングモールに来てそうな雰囲気だ。
 黒薔薇婦人とは正反対の世界の人間と言ってもいいことからして、あんなのが兄だなんて意外過ぎる…


 ここで栗栖はより言い難そうに顔をしかめた。

「大きな声で言えないんだけど、宮塚は麗花さんに対して変な感情を抱いていたみたいで、」

 栗栖は小声になった。皆、耳を澄ませる。

「日頃から性的な虐待を加えていて、さらに結婚しようとしたんだよ。
 それを知った尻毛先生は麗花さんをその地獄から助け出したんだ」

「吐き気を催す話だ」

 榎本が呟くと皆、頷いた。

「そこから尻毛先生と麗花さんは結ばれたんだけどね」

 栗栖の言う“けどね”に何かを感じた。

「その、“けどね”ってのは何だ?何か含みがあるようだが?」

「なんでも無いよ!宮塚はああやって毎日、麗花さんを取り返そうと来るんだよ!」

 俺の問い掛けに、栗栖は急に必死に何かを隠すような素振りを見せた。
 まだ何かあるのだろうか。
 しかし、それは一旦置いておくとしよう。

「それはわかった。
 栗栖よ。お前は何でこんな所にいるのだ?」

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