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追憶の白いぬいぐるみ 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン3 その15

 中年女性の店員は俺が注文したメニューを読み上げ、手慣れた仕草で携帯端末を操作し、メニューを確認する。
 その店員が立ち去ろうとした時、俺は店員を呼び止め、流し目加減の眼差しを送り、

「黒薔薇婦人という店員はまだいるのか?」

「黒薔薇婦人?」

 中年女性の店員は困惑気味の表情を浮かべた。

「あぁ、ここでリサイタルをしていた店員だ」

「そのような店員は…、いないと思います」

「4〜5年前の話なんだが」

「私はここに10年以上前から働いていますけど、そのような店員はいませんでしたよ」

「黒髪のおかっぱ頭の浮世離れした美人なんだがな」

「申し訳ございません」

 と中年女性の店員は言い、この場から立ち去った。

「あの黒薔薇婦人はここで働いていたのか?」

 テーブルの向かいに座る西松が、興味津々といった感じに身を乗り出してきた。

「お前は知らなかったのか。
 黒薔薇婦人はこの店で店員として働いていたようなんだがな、店の営業中に突然、婦人は店内で歌い始めたんだ。
 あれはまるで黒薔薇婦人リサイタル。容姿も半端じゃないし、歌唱も只者じゃなかった。
 あれはまるで夢だ。この世のものとは思えない光景だった」

「それは聞いてみたかったな。俺は遠目で見たことがあるぐらいだけど、凄い美女だったね」

「あぁ、俺は黒薔薇婦人のリムジンに同乗したことがあるぐらいだからな。間近だともっと凄かったぞ」

 そうだ。俺は通学の途中で黒薔薇婦人のリムジンに乗せられて、同伴登校したことがあったんだよな。
 あの出来事は何だったのか。
 同伴登校の後、俺は別れ際に黒薔薇婦人からディナーに誘われていたんだ。
 俺はもしかして、あの浮世離れした美女から好かれていたのか?
 そんなことあり得ない。
 あの後から俺たちの運命は急転直下したわけだが、もしもあの後何もなかったら、俺は黒薔薇婦人とのディナーへ行ったのか?
 それもそれで信じられない、全く現実味を感じられない。
 あれはまるで夢だ。夢現ってやつだ。

 しかし、何故に俺は黒薔薇婦人の事を忘れていたのか。
 あんな強烈な体験を俺は何故、忘れていたのか…

 西松が俺の目の前で手を振る。

「なんだ、西松」

「風間が急に黙り込むから」

「そうか。
 黒薔薇婦人がここでリサイタルしてた話だよな。
 栗栖って奴を覚えているか?」

「うん いつも半ケツ出してた奴だろ?」

「そう、その栗栖が身の程知らずにも黒薔薇婦人を好きになったとかで、プレゼントを渡したいって言い出してな。
 それで奴がプレゼントを渡す為に、俺が黒薔薇婦人の退勤時間まで付き合わされたってことがあったんだ」

「へぇ〜、あいつにそんなことがあったんだ」

 と西松は笑った。

「ああ。しかもそのプレゼントがな、白い動物か何かのぬいぐるみだったんだ。浮世離れした美女にそんなもんプレゼントするか?子供じゃないんだから」

 西松が大爆笑をする。

「笑えるだろ?しかしだな、栗栖本人は大真面目だったんだ」

 そんな栗栖ももういない…
 俺は栗栖の行いを笑いものにしている。
 いなくなった奴の本気を笑いものにすることへ一抹の罪悪感を感じるのだかな。
 それでもやはり、栗栖のあの白いぬいぐるみは笑えるのだ。
 百歩譲って有名なキャラクターのものならまだしも、よくわからない動物のぬいぐるみだったのだ。
 今思い出しても痛々しい。色々な意味で心が痛む。
 追憶の白いぬいぐるみは俺の心を痛ませる。

 そんな中、西松が腹を抱えて笑ったその刹那、西松の背後に位置する、隣りのテーブル席に陣取る男の横顔が視界に入ってきた。
 俺はそいつを見て戦慄する。

 尻毛だ。

 入間川高校で教師をやっている、違うな“教師をやっていた”男だ。
 あの日、俺たちがこのファミレス、サンデーサンに来て席に付いて暫くすると、黒薔薇婦人のリサイタルが始まった。
 その途中、半ば気の触れたような尻毛が乱入し、黒薔薇婦人へ何か問い詰めたのだ。
 しかし黒薔薇婦人は何も言わずに拳銃を抜き、その放った一発の凶弾によって尻毛は倒れたのであった…
 そうだ、尻毛は死んだはずなのだ。

 俺は小声で、

「西松、お前の後ろを見ろ」

 俺のその一言に西松は笑いながら振り返る。

「尻ぃ!」

 西松は素っ頓狂な声をあげた。

「おい、西松」

 と西松を制止するのと同時に尻毛との視線が交錯する。

「あっ、西野君か」

 尻毛のその一言に頭の中が混乱する。
 西松の事か。そうだ、西松は本名西野松彦、略して西松だったな。

「君は確か風間君だったね」

 尻毛は俺を知っていたのか。
 確か尻毛は国語教師で、その授業を受けたことはあるのだが、授業中に当てられたり、何か話したりした記憶は無い。
 

「尻、元気かよ?」

 西松は尻毛を尻呼ばわりしている。
 確か高校時代、尻毛は尻だのケツ毛だのと呼ばれていた。
 思いの外、西松の尻毛への態度が馴れ馴れしいのは、西松のクラスの担任は尻毛だったからだろうか。
 だとしても、西松の尻毛への態度は若干、馬鹿にしているようにも見える。

「元気ですよ。西野君は元気ですか?」

 そう答えた尻毛の顔をよく見る。
 尻毛はあの日、黒薔薇婦人によって額を撃ち抜かれたのだが、今の尻毛の額には銃創が無い。無傷だ。
 さらに尻毛の様子をよく見る。
 尻毛は黒薔薇婦人に射殺された日と同様に、タキシードを着ていた。
 シャツはタキシードに合わせた襟の立ったもの、さらに蝶ネクタイをしている。
 尻毛は“あの日”と同じだ。


「尻は今日、休み?今日は授業ないの?」

 西松は尻毛へ質問した。そうだ、今日は平日、さらに昼間だ。

「休みと言えば休みです。私はあれから入間川高校を退職したのですよ」

 尻毛は淀みなく答えた。

「そうなんだ。じゃあ今は何やってるの?」

「今は無職です」

 尻毛は淀みなく、当然のように答えた。
 西松は言葉を失い、怪訝そうな表情を浮かべ、俺に何か言いたそうな視線を送ってきた。

 尻毛をよく見るとタキシードは所々、擦り切れ、シャツの襟周りは茶色く変色している。
 さらにタキシードの肩には大量のフケが粉雪のように散っている。
 この様子は俺の知る尻毛らしいと言えば尻毛らしい。
 高校時代の尻毛は常に背広をだらしなく着こなす、洒落なのか無精なのかわからない奴だったのだが、今のこの汚さは度が過ぎている。
 不穏だ…

「え?じゃあ…、そんな格好してどうしたの?」

 西松は今、尻毛がタキシードを着ていることに気づいたようだ。

「私はですね、ここである女性を待っているのです」

「女性?」

「黒薔薇婦人と言う女性です」

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