カッパ 気 錯乱 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン2 その36
嫌な予感がする。
パリスはいつも約束の時間を20分は遅れて来るのに、今日に限って10分遅れで来たのだ。
これは何かある予兆か?やはり糞平の言う通りの事が起きているのか?
不吉だ…
それは一旦置いておくとして、俺たちは早速、森本の家へ向かうことにした。
狭山ヶ丘国際大学からバスで最寄り駅へ戻り、そこから電車を乗り継ぎ、森本の家から最寄りとされる駅で下車し、その駅から約15分歩くと目の前に川が現れた。
パリスが言うには、その川沿いの道をしばらく歩くと森本の家に着くらしい。
俺たちは川沿いの堤防の上を歩き始める。
陽が傾きかけている頃だ。
先頭を歩くパリスの影を踏みながら歩いていると、前方に橋が見えてきた。
パリスが橋の方を指差す。
「あそこが森本さんの家だよ」
それを見た二号が吹き出したような笑いを漏らす。
「トレーラーハウスかよ」
二号の言う通り、パリスが指差したのは橋の下のある銀色のトレーラーハウスだった。
銀色のアルミニウム地が鈍い輝きを放ち、その光景は非日常的空間のようだ。
パリスを先頭に堤防を下りて森本の家へ近づく。
するとトレーラーハウス内から何やら物音が聞こえてきた。
その音は只事ではないことを物語り、一気に緊張感が高まる。
重い物が倒れたような音、食器の割れる音、鈍い音、何かを立て続けに叩きつけるような音。
そして何よりも断続的に女の悲鳴が聞こえてくる。
それを聞き、俺たちは思わず立ち止まっていた。
「パリス、お前がまず話を通してきてくれ」
と俺が言った時だった。
トレーラーハウスの玄関と思われるドアが突然開き、中から人の姿が現れた。
女だ。ザンバラ髪で顔は腫れ、目の周りには青タン、鼻血を流し服もボロ雑巾のようで酷い有様、まさに凄惨としか言いようのない姿だ。
女は言葉にならない叫びを上げ、その目つきは明らかに錯乱している。
錯乱した女の視線と俺の視線が絡み合う。
その刹那、俺は思わず息を呑む。
その一瞬に永遠を感じる。
これはどうしたものか…
女は再び、声にならない叫びを上げ、明後日に向かって走り去った。
これは危険な匂いしかしない。
このまま引き返したいのだが、ここまで来たからにはそういうわけにもいかない…
「パリス、まずお前がいけ」
「わかった」
二号でさえ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているのに、パリスだけはいつもの薄笑いだ。
パリスはトレーラーハウスの開け放たれたままの玄関に立つ。
「森本さん、俺だけどちょっといいかな?」
「パリスか、何か用?」
トレーラーハウスの中から声がした。
その声の響きはここまでの流れからすると、拍子抜けするぐらい凶悪な雰囲気は無く、若干こもり気味の声で方言なのか訛っているように聞こえた。
「シロタンっていう人が森本さんに話を聞きたいって言うから連れてきたんだけど」
「シロタン?……、ああ、あのもの凄いデブか」
森本は俺を認識しているようだ。
しかし、この言い草は無い…
「ちょっと待ってて」
と森本の声がすると、パリスは玄関から離れ、数秒も経たぬうちに森本が玄関に現れた。
チリチリの残り少ない髪を伸ばし放題に伸ばしたカッパ禿げ、と言うか限りなく落武者に近い頭がそこに現れた。
仕事中は警備員の帽子のお陰で落武者に見えなかったのだ。
森本の顔立ちはぼんやりとした雰囲気なのだが、眼光だけはやけに鋭いのが印象的だ。
俺はこれまで仕事中の森本しか見たことがなかったのだが、仕事中以上に危険さ、荒みきった雰囲気を全身から漲らせている。
さらに酒やタバコ、体臭、生ゴミなどの混ざりあった強烈な悪臭を漂わせている。
様々な“負”の要素を持つ、歩く混沌と言ったところか。
「君がシロタンだよね?」
森本が俺を見て、そう言った。
しかし俺を見ているようで、俺の背後にある何かに話しかけているような浮遊感がある。
「あぁ」
あの危険な雰囲気に飲まれ、言葉が続かない。
「シロタン、君は何の話が聞きたくてここに来たの?」
森本の発する臭気と邪悪さは圧倒的だ。
思わず、顔を背けたくなるのだが、ここは我慢だ。
心が折れそうになるからこそ、ここは強気に出るしかない。
「森本さん、あんたは狭山ヶ丘国際大学の事について詳しいんだろ?
俺は“工房”と呼ばれている場所を探している。どこか心当たりはあるか?」
「工房?」
「狭山ヶ丘国際大学の…、と言うより、
青梅財団の施設かもしれない」
青梅財団という言葉に森本のぼんやりとしていた目つきが変わった。
「青梅財団の工房か。知っているよ」
「それはどこにあるんだ?教えてくれ」
森本の目つきが再びぼんやりとしてくる。
「どこだっけ…、思い出せないな。
ちょっと待ってて…」
と森本は言い残すと、トレーラーハウスの中へ戻っていった。
「あいつ、大丈夫なのかよ」
西松が吐き捨てるかのように呟く。
「それは同感だが、手掛かりを持ってそうなのが今のところ、奴しかいないからな」
森本はすぐに玄関先に戻ってきた。
森本の片手には缶ビールが握られており、蓋を開けてビールを一気に喉奥へ流し込む。
「ブゴッブェェ」
森本は地の底から漏れ出したかのようなゲップをした。
「これを飲まないと頭の中がはっきりしなくてね」
その言葉通り、ビールを飲んだ後の森本の表情がはっきりしてきたように見える。
「狭山湖の近くに青梅財団の研究所があって、そこが工房って呼ばれているよ」
森本のその言葉に俺は思わず一歩踏み出し、
「狭山湖の近くか…、狭山湖のどの辺りだ?」
「うーん」
森本はポケットからスマートフォンを取り出すと何やらスワイプした後、画面をこちらへ向けた。
「この辺り」
スマートフォンの画面は地図アプリであり、森本は画面のある地点を指差していた。
狭山湖を表示しているのはわかるのだが、その地点への道らしい道が見当たらない。
悪臭に耐えながら森本へ近寄り、スマートフォンの画面の工房があるとされる地点を目を凝らして見るのだが、やはり道は無い。
「そこはどうやって行くんだ?」
「うーん 説明するよりも行く方が早いかな。
車で送って行ってもいいけど」
「有り難い!それは助かる」
二号が大袈裟なぐらいに喜ぶのだがな、森本という危険な男とそこまで関わっていいのだろうか。
「ところで、どうして工房なんかに行きたいの?」
薄らぼんやりとした森本からの質問の返答に詰まる。
「いいだろう、言っちゃえよ」
二号が囁く。
「友がそこで囚われている。助け出しに行きたい」
「ふーん」
森本は関心無さ気な返事をし、膨らみきったズボンのポケットから缶ビールを取り出すと、蓋を開けて一気に黄色い液体を喉奥へ流し込む。
「ゲボゴボウェェェッ」
森本はこれ以上の下品さは無いぐらいのゲップをした。
そして半開きで薄らぼんやりしていた眼を見開き、
「それは面白そうだね。よし、これから工房へ行こう」
とやる気を見せたのはいい。
いいのだか、それは一旦置いておくとして、森本はさっきからビールを何本飲み干したのか。
こいつはそれで運転するつもりなのか…