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丸眼鏡で無い袖は振れるのか 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン4 その11

 電車から降りると、西松は奇妙な叫び声を上げた。
 何かと思い西松の方へ向くと、その様相は一変していた。
 西松の髪は肩下まで伸び、服装は全体的に身体を締め付けているようなタイトな装い、しかも榎本が穿いているような裾が極端に広がったデニムを着用している。
 さらにジョン・レノン気取りみたいな細い縁の丸眼鏡を掛けている。
 周囲を見回すと、堀込とパリスも同様にして西松と同じような服装をし、丸眼鏡まで掛けている。しかしパリスはやはりパリスだ。
 丸眼鏡を掛けていてもPARISTシャツは変わらぬ。
 それなら榎本は?
 榎本はさっきと何も変わっていない。サングラスと黒のタキシード姿である。
 それはいいとして、俺だ。俺はどうなんだ⁉︎
 若干、腹に冷たい風を感じる。
 嫌な予感がする…、現実から目を逸らしたいのだが、それでも自分を確認せずにいられない。

 視線を下へずらすと目頭が熱くなった。
 俺もピタピタのTシャツを着ている。しかもタイダイ染めってやつか?やたら多色使いで滲んだような色合いで虹みたいな模様のやつだ。ダサい、恥ずかしい。
 さらにサイズが合っていないものを着用させられているのか、腹が出ていて寒いのだ。
 ズボンはどうかと右足を上げると、裾広がりのパンタロンってやつを穿かされている。
 そうだ。そんなことよりも大事な事がある。
 俺はパンタロンのベルトの金具を外し、腹のボタンを外して、ファスナーを下ろす。

 そこに見えたのは揺るぎない俺の象徴、白ブリーフの姿があった。

 俺の視界は感激のあまりボヤけてきた。涙が溢れ出たのか…
 違う。眼鏡が曇ったのだ。

 眼鏡だと!
 何かおかしいと思ったら、俺まで丸眼鏡を着用させられていたのである。

「この糞がっ」

 俺は丸眼鏡を外し、そのまま地面に叩き付け踏み潰した。
 かつての俺なら丸眼鏡でもいいのだが、今の俺は違うのだ。
 今の俺はアラン・ドロン似の美男子だからな。丸眼鏡なぞ許されない!丸眼鏡なぞ掛けていられるものかっ!
 いや待てよ、顔はどうだ?
 俺は電車の方へ振り返り、その車窓に映った自分の姿を確認する。

 アラン・ドロンだ…
 身体はスーパー肥満体だが、顔だけは維持出来ていた。

「シロタン、太った?シロタン、太った?」

 俺の一抹の安堵をパリスが引き裂いた。

「黙れ!このケツ野郎が!」

 と一括するものの、皆互いにそれぞれの変化を笑い合っていた。


「また世界が変わったのか?」

「そのようだ」

 俺の疑問に榎本が例の大尉気取りの口調で答えた。

「俺たちのこの格好は何なんだよ。フォークシンガーか?ヒッピーってやつか?1970年代か?」

 と言いながらポケットを探るとスマホが出てきた。

「いや、ここは過去では…、ないようだ」

 俺はスマホを皆に見せてから画面を点灯させ、カレンダーを起動させる。

「日時は過去へ戻っていないし、時間もそれほど経っていない」

「本当だ」

 堀込もスマホをどこからか取り出し、その画面を見ている。
 全員、スマホを持っているようだ。ふと気がつくと二号の姿が見えない。

「おい。二号、城本はどこだ?」

 俺のその一言に皆は辺りを見回す。

「いないよ。あいつ、どこいったんだ?」

「城本は昔からこうだ。神出鬼没なのだよ」

 西松の疑問に榎本が答えた。
 その刹那、榎本が押していた車椅子に座るペヤングが立ち上がった。
 その勢いはかなりのものだ。
 予想外の行動に榎本を始め、俺たちは呆気に取られる。

「安子?」

 榎本はペヤングに声を掛けるも、ペヤングは一目散に明後日の方に向かって走り始めた。

「安子ーっ!」

 ペヤングは榎本の呼び掛けをどこ吹く風とばかりに背を向け、近くに立っていた男の側へ直行した。


「ねぇ?貴方、凄くグットルッキングね!」

 惚けていたはずのペヤングがはっきりと喋っている。その声のうわずっている様子から、ペヤングの興奮が見て取れる。
 さっきまでのピンボケっぷりがまるで嘘のようだ。

「貴方、名前は何て言うの?」

 ペヤングの勢いに男は圧倒されているようだ。俺たちの位置からさほど遠くはないのだが、ペヤングの大きな声しか聞こえてこない。

「貴方、ケンって言うのね!名前も素敵じゃない!」

 ペヤングはケンという男と腕組みをした。

「ねえ、ケン!これから盛岡を案内してくださらない?」

 ペヤングは案内を依頼しながらも、ケンを引っ張って歩き始めた。
 大きなアフロヘアが揺れる。その後ろ姿に榎本はため息を漏らした。

「榎本さん…、ペヤングを行かせていいのか?」

「いいんだ。
 そっとしておいてくれ」

 俯き加減にそう言った榎本は、例の大尉気取りの喋りから、元の冴えない中年風へと戻っていた。


「これは堀込のセンスか?」

 俺はこの恥ずかしいタイダイ染めのTシャツの胸元を軽くつまみ、引っ張ってみせた。

「俺じゃねえよ。こんな趣味はないって」

 堀込は自分の服を見て顔をしかめつつ、丸眼鏡を外した。

「それなら何だ?西松か?」

「俺じゃないよ」

 西松は否定をしたものの、パリスさえも丸眼鏡を外していたというのに、一人だけ未だに丸眼鏡を掛けている。その表情は満更でもないといった雰囲気だ。

「じゃあ何だよ、その丸眼鏡は。お前だけノリノリじゃねえか。
 マギー司郎気取ってるのか?それとも南こうせつか?ジョンレノンか?ハリーポッターか?」

「本当に俺じゃないって」

 西松は若干切れ気味に言った。

「二号が言うには、世界を放棄すると次の誰かの世界に変わるって話だったけど、堀込くん、放棄したの?」

「そのつもりはないんだけどな。
 なんか腹減ってきたから、電車停めて何か食いに行こう、と思ってたらこれだ」

 西松からの問いかけに堀込は答えた。

「その程度の考えで世界を放棄出来るものなのか、二号に聞きたいところだ。
 しかし、なんでこんな時に限って、奴は姿を消すんだよ」

 と言いつつ、二号のスカした顔とオーバーアクションが脳裏に浮かぶ。
 何かと癇に障る野郎だ。
 しかし、俺も腹が減ってきた。

「何か食べに行かないか?」

「それなら焼肉とか冷麺食べに行こうよ」

 俺の提案に被せるかの如く、西松が提案してきた。

「確か盛岡は焼肉とか冷麺が名物という話だったな。
 それなら焼肉か冷麺食べに行くぞ。
 話はそれからだ…」


 俺たちは盛岡駅改札へ向かって歩き始めたのだが、盛岡駅の規模は俺の想像を遥かに超えていた。
 新幹線が停まる駅なだけあって大きいし、人も多いのだ。
 そんな中、改札が見えてきた。


「この田舎の駅にも自動改札があるのだな」

「風間っ!失礼だろ!」

 俺のつい溢れた一言に、堀込が声を荒らげた。
 しかし、それは俺の気付きによって、どうでもいい事へと成り下がったのである。
 その気付きとは、

 〈俺たちはこのまま、改札から出られるのか〉

 である。
 よく考えたら、俺と西松、堀込は盛岡駅の改札から出るにも、西武鉄道の池袋駅からICカードで入場して以来、入退場していないのだ。
 その事について他の二人に尋ねると、パリスはJRとはいえ鶯谷から入場、さらに榎本に至ってはどこからICカードで入場したのかさえ不明だと言う。
 俺たちは改札から出られるのか。

 堀込と西松は鉄道について詳しい。
 二人から乗り越しで大体、どれだけ精算する羽目になるのかを知らされると、一同、戦々恐々となった。
 俺は精算する程の金を持ち合わせていない…
 どうしたらいいのか。
 神は乗り越えられない試練は与えない、などという台詞があるが、これをどうしろと言うのか。
 無い袖は振れぬ、まさにそれだ。

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