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44歳と11ヶ月の時に考えてること
何か文章を書きたいなー、と思い書き出して止める、というのをこの数年、何度となく繰り返している。
そのためnoteの下書きには日の目を見ることない書きかけが多数ある。
(この記事も3週間かかりなんとか公開…)
書くプロセスで気づきが得られることも多いのと、頭の中に溜まったモヤモヤを言語化することで気持ちがスッキリできるので、書いて発信したいという欲求は定期的に湧き上がる。
仕事に関わることを発信したいと思うことが多いけど、個人アカウントとして書けないことが多いのと、まだ発信に見合う成果あげてないだろうという自粛的な気持ちで控えることもある。
最近また書きたいモードが再燃して何を書くか悶々と考えた時、ふと40歳になった時の記事を見返した。
ああ、この時こんなこと考えたんだな、と感慨にふけるとともに、こんな感じで、今の気持ちを残しておくのも悪くないな、と思った。
ちょうどこの時から5年というのも良きタイミングでもある。
目に関する色々
今年の前半は例年にないくらい運動が習慣化した。週2から3回は会社帰りにジムに通ってスイムかウェイトをやり、週末にはランやバイクなど初夏のシーズンに向けて着々と身体を作っていた。
5月のある土曜に長男とバスケの練習をしてた時、急に右目に違和感を覚えた。
視界に100円玉くらいの濁った丸いレンズのようなものが現れ、目が見えづらくなった。
診断結果は中心性漿液性網脈絡膜症。
40代の男性がかかりやすい目の病気らしく、網膜の一部に水が溜まる症状で、原因はストレスであることが多いとのことだった。
お医者さんからは仕事でストレスをなるべく溜めないでとかハードな運動をしないでとか言われた。
それほどストレスを溜めている自覚はなかったので少し笑ってしまったが、幸いなことに仕事には全く支障をきたさなかったと思う。
ちなみにこの記事を書いている11月には、ほぼほぼ完治している。(再発することもあるようなので気をつけたい)
目といえばもう一つ、6歳になる次男くんがどこからかウイルスをもらってきて結膜炎(目が真っ赤になる)になり、それが家族全員に広がった。
結膜炎自体は1週間くらいで症状が治るのだが、その影響で角膜に小さな濁りができ、目が霞むことで視力が低下するという症状があり、これは未だに治っていない。
この症状はいずれ治っていくようだが、家族全員で3種の目薬を毎日打ち続けている。
京都の魅力に気づいてしまう
目の症状が出たとき運動をやめざるを得なくなったことで、若干気持ちの面で落ちた瞬間があった。
何か変化を作らないとメンタルがヤバくなりそうという直感が働き、妻にも相談して翌日の金曜から日曜まで、一人で京都に行くことにした。
場所はどこでも良かったのだが、現実的に2泊で環境を変えることできる選択肢の中から京都が選ばれた。
そして結果的に京都にどハマりした2日間になった。
京都が見どころが多いのは当然だが、その楽しみ方が以前よりも大きく変わった。
30代から歴史小説などを読むようになったのと、大河ドラマの影響か平安時代の解像度が高まったこと、もともと持っている都市に関する知識なども相まって、点と点が繋がり、今まで見えてなかったものが見えるようになったことでアドレナリン出っ放しだった。
学ぶことで世界が見え方が変わってくることは、年齢を重ねることの楽しみだな、と改めて思った。
京都には1000年以上の間に、各時代において歴史上重要な物語が生まれているが、その「歴史の舞台」となった場所が面的に分布している。そして同じ空間の中にそれぞれの物語をもつ「時代」という多層的なレイヤーが重なっている。
都市空間には物語を物理的に保管する記憶装置のような機能が備わっている。
いまだに言語化ができていない「まち歩き」の楽しさだが、京都の魅力を通して少しだけわかってきた気がする。
小6の長男との時間
今年1年の最大のトピックといえば、小学校6年生の長男と過ごした時間だ。
1年前は受験云々による影響で、それなりに家庭内にストレスがあった。
当時は、性格の向き不向きや精神的な成熟度、その他もろもろの要素により、このまま1年間を費やして良いかを夫婦でかなり悩んでいた。
6年生という1年間をいかに過ごすのが本人とって良いかを妻とも長い期間相談したりして、色々考えた結果、今年の2月末に我が家なりの結論を出した。
ある程度将来に繋がる学びは続けつつも、所謂ハードな受験戦争からは撤退して、本人が一番熱中できることに時間を費やすことにした。
4年生の後半から地域のバスケクラブに入っており、5年生の間は塾も忙しくそれほど上達をしていなかったので辞めることも少し視野に入れていた。
しかし本人的には徐々に上手になるのが楽しかったらしく、続けていきたいという気持ちが芽生えていたようで、話し合いの結果この1年のバスケ頑張ってみようということにした。
個人的には地域クラブに求められる親の負担が大きいのが気になっていたけど、この1年は子供のため、と思って積極的に関わっていくことにした。
朝5時台に起きて朝練をしたり、試合ごとに動画を一緒に見て振り返ったり(時に言いすぎて煙たがれて反省したり)、と色々あったが、結果的に自分にとってもかけがえのない時間となった。
変な表現だけど「6年生の長男」との付き合いというのは、人生において今しかない。
おかげで年間通じて週末はほとんど自分の時間や家族4人の時間みたいなものはなかったけど、なんというか、子供から大人になる途上のこの瞬間、1年前から驚くべきスピードで成長していくこの瞬間を横で見ているのは、とても豊かで楽しいものであった。
次の15年をいかに生きるか
社会人になったのが2004年なので、今年で21年くらい経過したことになる。
仮に定年が60歳だとすると(もっと長くなるかもだが)、あと15年くらいになる。
この15年をいかに生きていくか。
最近、そんなことをよく考えるようになった。
5年前よりもそのことをより意識するするようになったのは、この5年が恐ろしく早かったためだ。
早かったとはいえ、この40代前半の5年はとても充実した時間だった。
子どもの成長にも寄り添えたし、仕事もチャレンジできてた。また肉体を鍛えるチャレンジも取り組めた。
家族、仕事、自分の3つに対してバランスよく、それなりの強度で向き合えることができた。後悔のない恵まれた時間を過ごせたことに対して、あらゆる人に感謝したい。
そして、この先である。
おそらくこれまで以上に早く過ぎ去るこれからの時間を、いかに後悔することないように過ごすか。
"1秒も無駄にしたくない"
先日たまたま見た以下の動画をみた。
PIVOTでビジネス系や教育系の動画見ることもあったので竹下さんの存在は知っていた。
ハフィントンポスト編集者からPIVOT創業、そして今度はTBSの特任執行役員となられたようだ。
この方、同い年らしい。
いくつか印象に残ったシーンがあるうちの一つは、転職する理由を聞かれた時の「1秒も無駄にしたくない」という言葉。
自分の今後の時間を考えるとき、なかなかに染みる言葉だ。
最近よく聞くミッドライフクライシスという言葉があるが、それとも近いような気もするが、それほど悲観した気持ちでもない。
自分自身、世間的に見るとあらゆる社会的な仕組みに支えられて恵まれた環境にあると思う。
そうした恵まれた環境に身を置きながら、もう少し社会のために役に立たないといけない(役に立ちたい)感覚がある。
綺麗事ではなく、その方が楽しい、という感覚だ。
もう一つ印象的だったシーンは、最後のPIVOTの共同創業者で社長の佐々木さんとの対談。
ちなみに佐々木さんも同い年らしい。
お互いに尊重しながらも、それぞれ信じている道を確固たる決意で歩み始める姿は、同じ1979年代に生まれて同時代を生きてきた人間としても感じるものがあった。
40も半ばになると、自分の行いによる期待効果がだいたい読めてくる。そのため周りに気を使いすぎているとリソースは分散してしまい成果に結びつけづらくなるため、ある程度やることをフォーカスさせていく必要がある。
社会の中での「役割」を自分なりに明確に定義していかないとただ振り回されるだけになってしまう。
これからの時間をいかに使うか。
まちを使いこなすコンピテンシー
ここ数年取り組んでいるのは、スマホアプリを使って多くの人にまちづくりに参加してもらうサービスだ。
これは2021年にスタートした直後に書いたnoteである。
スタートしてから3年以上が経過した。
この時から実現したいことは変わっていないが、これだけの期間サービスを運営していると、その技術の特性やできること、できないことがかなり分かってくる。
またアプリというものを通じて、それより前には無かった視点で社会を捉えることができるようになった。
都市で生活している「人の内面」を通して社会を見る視点である。
不動産開発事業や、商業施設などの物理的なサービスという、供給サイド側からとは根本的に異なる。
最近になり、そうした経験を踏まえた上で改めてこの先に自分が為すべきことを考えるようになった。
まだ上手く表現はできないけど、一人一人が、これまでは当たり前すぎて無自覚だった(都市という名の)自分の周辺環境について、そのポテンシャルを引き出して活用することで豊かになったり便利になったりできないか。
あるいは都市の持つリスクをコントロールすることで生命や資産を維持する仕組みを作れないか。
あるいは、そうした個人個人による都市での営みがネットワークとして相互に繋がることで、結果的にある一定地域のコミュニティという単位での持続可能性を高めるような、そんな「系」を作れないか。
そんなことを考え続けて、もうすぐ45歳になろうとしている。