東大法学部→大蔵省というコース
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昭和(特に戦後〜バブル前夜あたり)の時代の東京大学法学部、ないしその入り口である文科一類(通称「文一」)の地位は今とは比較にならないほど高かったという。
東京大学法学部は明治政府が一刻も早く先進国に追いつくため、優秀な官僚を供給する目的で設立した官営学校がその前身となっている。
政界、官界、法曹界どこにおいても絶大な存在感を放っていたが、特に「東大法学部→キャリア官僚」というコースはこの頃の文系エリートの王道ルートであった。
法学部の優秀層には官僚でなくても司法試験を受けて法曹になる者も多く見られたが、都市銀行や総合商社といった民間企業に就職する者は「ミンカン」と一括りにされ、キャリア官僚や弁護士になれなかった残念組という認識すらあったようだ。
本記事では、そんな東大法学部の威光について掘り下げていきたいと思う。
東大法学部→キャリア官僚というルート
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