福本伸行作品の天と同人誌の話
自分が出した天 天和通りの快男児の同人誌について備忘録と補足。
以下原作と自作同人誌の内容に深く突っ込みますのでよろしくどうぞ。
赤木しげるは原作にて安楽死を選んでいること、その後のスピンオフ作品にて彼の人生における話は10代の限られた部分しか明かされていないことを踏まえて、自分だったら何を書きたいかを考えたときに、前作の赤木しげる追悼本にて触れた他者視点からの彼を書きたいと思い、捏造したモブキャラとの対話をテーマにした。
タイトルの名もなきわたしとは主役に据えた女性のことでもあり、赤木しげるに出会って何かしらの変化が人生に訪れたすべての人を指す。私も含めて。
何も持たず生まれてきて、何も持ってゆくことを許されずに死ぬ。そんな人生の数十年のスタート、まず名前を与えられ、学校では役割を与えられ、あだ名で呼ばれることもあるだろう。社会的役割、立場によっても名前は変化する。皆さんも色々な名前をお持ちのことと思う。
私も赤木しげるに出会って創作を始めるにあたり、ペンネームを作った。あおいあめがそれだ。青は空と海の色。あめは雨でもあり飴でもある。どちらも人間の乾きを潤すもので、創作を通じて誰かの乾いた部分を少しでも満たすことができたら、そんな意味を後付けしている。
実際のところ読みたいものを探すより自分好みのものを書いたほうが早い、そんな軽い気持ちで始めた創作もおかげさまで本を4冊出すまでズブズブにはまった。
本題に戻るが、赤木しげるは麻雀と出会うことで人生が変わり、神域の男という名前を得て、その偶像を壊す前に死を選んだ。
麻雀賭博というのは現在違法とされている。賭博自体、その魔力によって道を踏み外す人間が多い。パチンコ店にはギャンブル依存症の相談窓口案内があり、定期的に闇カジノが摘発されている。
そんな今の時代ではありえないくらい、反社会的勢力という夜と普通の人間が生きる昼の世界の境界線が曖昧な時代で、矜持やスジ、落とし前、そういった無形のモノを何よりも大事にしていた業界で生きることは、心臓を相手に預けて金を得ることだったのだと思う。
そんな人間たちに神と呼ばれた彼は、昼夜、生きる世界関係なく関わった誰かの記憶に少しだけ存在して、影響を与えているのではないかと考えて書いたのが名もなきわたしである。
生き方というのは常に無い物ねだり隣の芝生は青い、そんなことばかりで、完璧な満足などは存在しないものだと思う。それを死に際にやりとげてしまった赤木しげるの凄さ、胆力というのは窮屈な現代人にこそ響くのではないかと、死後二十年以上も愛され命日にはファンアートであふれるSNSを見るたびに思う。
というわけで、皆さん天を読んでください、ご縁があったらわたくしの本もよろしくどうぞ。