「あなたのために言ってるのよ!」という人は、ズルい言葉を使ってあなたを丸めこめようとする
突然ですが、あなたがやりたいことが見つかり、まわりに「今度○○をやろうと思ってるんだよね」と言って「いいじゃん、やってみなよ!」と応援してくれる人もいれば「そんな無理、やらないほうがいいよ!」と否定してくる人もいると思います。
否定してきた人とその後、会話を続けいくうちにヒートアップしてきて、最後にはズルい言葉で「あなたのために言ってるのよ!」と押し通された。
私のことを思って言ってくれたのだと思うけど、ありがたいというよりはむしろ傷つく。
なにげない会話だったのに、イラっとしたりモヤモヤした。
でも、やっぱり間違ってるのは私ではない気がする。
こんな経験ありませんか?
そんなズルい言葉を使ってくる人には、「どうして私のためになるのかを、ちゃんと説明して」と切り返しましょう。
それでも、ちゃんと説明してくれない人だったら、そんな人は放っておきましょう。大切な時間を失います。きびしいことを言うかもしれませんが、たとえそれが「親」でも「友人」でもです。
なぜなら、ズルい言葉を使ってくる人は
「こんなにあなたのことを思っている、私の判断が間違っているわけがない!」
と思っているからです。
今回はズルい言葉を使ってくる人への対処法を紹介します。
「どちら側にも問題がある」は便利でズルい言葉
どちらの立場が正しいのかも考えず、中立な立場になったつもりで「どちら側にも問題がある」と言いがちではありませんか?
たとえば学校で
宿題の提出があり、ちゃんと提出したのに、先生から提出していないと一方的に怒られた。
カチンときて「ちゃんと提出したので、もう一度確認してください!」と大声で言い返した。
のちに先生の勘違いで、ちゃんと提出されていたことが分かった。
けど、先生からの謝罪はなく、イラっとした。
このことを友人に話をしたら、「どちら側にも問題があるんじゃないの?」と言われた。
グチをこぼした友人に「お前にも問題がある」と言われたら「君なら分かってくれると思ったのに」とげんなりしてしまうこともあるでしょう。
当たり前のことですが、誰が宿題を提出したかを把握できていないのは、先生のミスです。自分のミスで悪いことをしていない生徒を、怒ってしまったわけですから。悪いのは先生です。
もちろん、先生といえども間違えることはありますが、それならミスが分かったときにはきちんと謝るべきです。
ですが、あきらかに先生の悪いこのエピソードが、どうして「どちら側にも問題がある」ことになってしまったのでしょうか?
友人の中では、どちらも怒鳴ったんだから、どちらにも問題があると思っているからです。
行為は同じでも、怒鳴る理由がまったく違います。
つまり、主張を無視して方法だけに意識がいってるので、なにが悪いことなのかをきちんと考えることから遠ざかっているのです。
このグチに対して友人は、一緒に抗議するとか、怒りに共感するとか、面倒なことはせず自分を正しく見せるために、本当は正しいと分かっていることを正しくないと言ってしまっているのです。
そんな友人には、「怒鳴る行為はすべていけないの?」と聞いてみましょう。それでも「どちら側にも問題がある」と言われたら、こんな友人とは、遠ざかりましょう。
「時代のせい」にするズルい言葉
学校の給食で、先生が時間内に食べきれない生徒に
「先生が小学生のうちは時間内に残さず食べたものよ!」
「昔はそれが普通だったのに」
と言われたことはありませんでしたか?
「のに」という言葉には、ふたつの対立することがらをつなぎ、あとのほうのことがらに、不満の気持ちを表す役割があります。
それは「いまはそれが普通ではなくなった」ことが不満なのでしょう。
昔の普通が今できなくて、不満を言う人には
「昔のやり方のほうが、よかったということですか?」
とはっきり聞いてしまいましょう。
多くの場合、「そうは言ってない」と答えるはずです。
相手が昔の普通にもどろうとするのを、やんわりと防いでおきましょう。
昔の肯定する意見に引きずられず、よりよい方法を模索しましょう。
「努力は無駄」と決めつけてるズルい言葉
「○○なんて絶対になくならない」とズルい言葉で返してくる人
たとえば、友人との会話で
「いまだに男同士で手をつないでるカップルをジロジロ見る人っているよね」
「気持ち悪いとかじゃなくて、単に珍しいってことなんじゃない?」
「珍しいって思うこと自体おかしいよ。当たり前のことにしていかなきゃ」
「差別なんて絶対になくならないんだから、そういう努力って無駄じゃない?」
さて、このように差別がなにかを確認した上で、差別が今後なくなるのかを考えてみましょう。
残念ながら、世界から差別がなくなることはなさそうです。
殺人も詐欺も、残念ながら完全になくすことはできていません。
だからと言って、○○なんて絶対になくならないという人でも、「何をやってもいいんじゃない」とは思ってないはずです。
なぜなら、殺人も詐欺もやってしまったら、人としていけないし、悪人として一生レッテルを負うのを十分に知っているからです。
でも、差別についてこそ「絶対になくならない」と言いたい人は「差別がなくなってほしくない」あるいは「これまでのように誰かを差別し続けたい」などと思っているのではないでしょうか。
つまり「差別は絶対になくならない」と言われたら
「でも、あなたは差別が存在すべきだと思ってるわけではないですよね?」
と返せばよいのです。
よほどのことがないかぎり、この質問に「いいえ」と答えることは難しいからです。
「はい」という答えが返ってきたら、引き下がってもいいですし、
「では、差別を減らす努力そのものは無駄じゃないですよね」
とさらに返してもよいでしょう。
相手が認めたら、差別を減らすための最初の目標は、もう達成されているからです。
今は、社会にあふれるイメージやものの見方を受け入れてしまい、構造的弱者が同じ弱者の側の人を差別してしまうということもあります。
けど、「なくす努力は無駄ではない」と言わせるようにうまく仕向けることも大切です。
おわりに
ズルい言葉で「あなたのために言ってるのよ!」って正当化する人は、自分では気づかずに「誰かを傷づけてもよい理由」を必死になって探しているのかもしれません。
ズルい言葉だと分かれば、何かしらの対処はできると思うので、従うのではなく、促すことはできると思います。
それでは、また。