FOSS4GとOSMと僕の10年間

はじめに

FOSS4G Advent Calendar 2020

12月10日の関さんの記事

ジオとコミュニティと私に触発されて書き始めてみた。

2020年は僕がQGISを使い始めて10年。2021年はFOSS4G Hokkaido10周年ということで、色々と振り返るには良い機会だと思う。

で、書き始めたのはいいものの2020年のAdvent Calendarには間に合わず、そのまま約1年間寝かせたままにしていたのだけれど、せっかくなので加筆したうえで公開しておこうと思った次第。
暇な方はお付き合いください(長いです)。


自己紹介

はじめに簡単な自己紹介を。

主にjyun76というハンドルネームでジオ界隈を徘徊している公僕。

9系出身。21年間過ごした後、就職を機に12系へ移住。約20年間、道北に生息していたが2017年に脱北。でも相変わらず12系在住。


2010年 最初はGoogleEarth

以前から職場にGISはあったのだが、その使いにくさから必要最小限にしか使っていなかった。2010年あたりに「GoogleEarthに職場のデータを表示すりゃいいんじゃね?」と気づいて、特に2011年に入ったあたりから、GoogleEarthにシェープファイルを表示するべく、何の知識もないのに とにかく足掻きだした。
https://denthor.exblog.jp/12126752/

同じ思いの方がたくさんいたのか、GoogleEarthとシェープファイルに関する記事は長い間 閲覧数で上位だった。

文字コードに関する知識すらなく、Shift-JISのシェープファイルをkmlに変換しては、文字化けしてしまって どうしよう…みたいな日々を送っていた。


2011年 QGISと出会う

https://denthor.exblog.jp/12310674/

とにかく職場のGISが使いにくかったので、何か使えるものはないか、と探しているうちに出会ったのがQGISだった(version1.6)。
この時はまだ本格的に使おうとは思っていなかったし、FOSS4Gなんて何も知らなかった。オープンソースという概念に関しても知識なし。

MapwindowGISやMandara、TNTmips等とにかくGISを探しては試していたのも この時期。

色々と試した結果、QGISを使うことにしたのはいいものの、そもそもGISの知識もなかったし、ひたすらググって情報収集してはトライ&エラーを繰り返していた。

分からないことがあって検索しても英語のサイトばかりが引っかかるし、当時の相当ぎこちなかったGoogle翻訳に頼って よく分からないながらも何とかニュアンスだけでも読み取ろうと四苦八苦していた記憶が。

30歳代も半ばになって初めて「もっと真面目に英語を勉強しておけばよかった」と実感したのである。


2012年 QGISを本格的に使い始め、OSMに出会う

https://denthor.exblog.jp/14506885/

『オンザフライCRS変換』とか『相対パスで保存』とか最近とんと聞かなくなったな。

このあたりから、森林土木memoサッポロ日記QGISとかなどなど日本語の情報もボチボチと検索に引っ掛かりやすくなってきた印象。

特に同じ業界で突っ走っていた『森林土木memo』(喜多さん)を強く意識する。

SNSで朝日さん、古川さん、久保さんなどFOSS4G関係者と面識ができて(会ったことないのに面識とは)、FOSS4G Hokkaidoというイベントがあるらしい、と気づく。

GNSS・マップ関連のモバイルアプリにやたら血道をあげていたのも この時期。https://denthor.exblog.jp/i9/4/

シェープファイルのない国有林外の道路データなどをどうしようか、とネットを探索する内にOpenStreetMapの存在に気づく。

当時のGoogleMapsは、地方は道路以外 空白地帯に近い状態で情報がなく、自分で編集できるウェブマップというコンセプトに強く惹かれたものの、これを始めると「日常生活が疎かになりそう」という思いから ひとまず見なかったことにしておく。


2013年 おたふく風邪で倒れる

待ちに待った2013年7月。FOSS4G 2013 Hokkaidoに参加する気満々であったにも関わらず、直前に娘(当時8歳)からおたふく風邪を感染されるというアクシデント。

大人になってからのおたふく風邪はヤバい。熱が出て辛かったのもあるが、何より辛かったのは、咀嚼すると激痛が走る=何も食べられない、という状況。

ネットの情報では、アイスクリームやゼリー飲料は大丈夫という場合もあるらしいが、僕の場合はそれらを口にしては、悶絶してのたうち回ることを繰り返し、液体しか口にできなかった。

この頃から、本格的に職場内でQGISを普及させることを考え始め、箔をつけるために『森林情報士(森林GIS2級)』の資格を取得(私費)。
その時の様子が森林技術2014年6月号に綴られている。

出来れば1級も取得したいところだが、受講料が捻出できていない(10万円くらい)。


2014年 血迷う

1月1日、OSM編集開始

家族に気を使いつつ編集してるつもりでも止まらなくなるw
マッピングパーティと呼ばれる何やら楽し気なイベントがあることを知る。

6月27日、FOSS4G 2014 Hokkaido

念願のFOSS4Gに参加。朝日さんや古川さんなどなどに声を掛けられ初顔合わせ。懇親会にて名物ザンギタワーを拝む。何を血迷ったか Lightning Talkで登壇。何を話したかあまり覚えていないけれど、職場のGISをディスってQGIS普及させるよ、みたいな話をした気がする。

FOSS4G Hokkaidoが楽しすぎたため、地元(道北)に戻っても何かがしたいと考えた僕は何を血迷ったか、いきなりマッピングパーティを主催することに。

9月27日、稚内マッピングパーティ

さらに11月8日、下川マッピングパーティ

と、こんな感じで活動していたところ、古川さんから
SotMに出ないかい?」と唐突に声を掛けられて(ジオ界隈あるある)、何を血迷ったか あれよあれよという間に12月に東京へ行くことに。

12月14日、State of the Map Japan 2014OSM wikiのまとめ

そういえばこの年が日本で開催する初めてのSotMJPでしたね(その後、参加できていない…)。
三浦さん、古橋さん、東さん、ikiyaさん、nyampireさん、久保田さん、下り専門さん、などなど有名なマッパーにも会えて楽しすぎた。

12月、Overview of OpenStreetMap Contributorsで『Gold』になる(編集回数2,000以上)。ちょっとやりすぎたかな、と思っている(反省はしていない)。

2014年は自分で振り返ってみても、色々とありすぎて1年間の出来事とは思えない。


2015年 本格的普及活動

札幌に家を購入。家族だけ引っ越し、北の果てに1人取り残される。

これまで職場内の興味を示しそうな若手中心にデータとプロジェクトファイルを渡してQGISを使ってもらい、何かあれば個別に対応することでサポートしてきたが、少し限界を感じていたことに加え、転勤族である我々、基礎からちゃんと使えるようにしておかないと異動を機にQGIS離れが起こるのではないか、との不安から本格的な普及活動を開始。

職場内での勉強会開催の許可を取り、4回にわたって開催(各4時間程度)
https://denthor.exblog.jp/21949665/

職員の約半数が参加し、思いのほか好評だった。

4月25日、ネパール地震

本格的にクライシスマッピングに参加。OSM界隈も英語のサイトが多いため、僕のように英語を見ただけで二の足を踏みたくなるような人のために、マッピングと並行してクライシスマッピングへの協力方法をまとめたりしていた。SNSで関さんがシェアしてくれたことを覚えている。

7月2・3日、FOSS4G 2015 Hokkaido

旭川市の北海道地図株式会社の見学とコアデイに参加。懇親会では懲りずにLTで登壇。SotMで喋った内容をチョロチョロっと弄った程度のたいしたことない内容。それなりに盛り上がったので満足。札幌に自宅があるのを良いことに朝まで飲んだくれる(下戸のためソフトドリンクのみで)。

そのほか、SotMJP2014で出会った【北大WheelmapProject】小坂さん主催の『礼文島地図書き書き大会』に協力し、1日で礼文島の建物を描き尽くすなどOSM活動も継続。

マッピングパーティも開催予定だったが、関係者との日程調整が上手くいかず断念したことに加え、主にQGIS勉強会の資料作りに時間を取られ、他に表立った活動なし。


2016年 燃え上がる

7月8・9日、FOSS4G 2016 Hokkaido

4月、FOSS4G HKD運営から「コアデイで何か喋れ」とお声を掛けられまして、その後 内容も定まらないうちに、
「とりあえずタイトルを出せ」とのお達しがあったことから
「タイトルは『燃え上がれ道北』でいかがでしょう?」と伺ったら即採用&トリになるというプレッシャーを掛けられる。

家族(嫁&3人娘)も見に来ることになって、お父さん張り切る。
発表はおおいに笑いをとり大満足(そこ…)。

家族と懇親会も参加。お父さんは例によって、朝まで飲んだくれる(ソフトドリンク)。

LTにも登壇。『Mapillary @オロロンライン』で70km走行しても ほとんど変わらない風景を紹介。おおいに盛り上がる。

単身赴任のため、週末の自宅への片道300km(6時間)の移動で心身ともに疲れ果て、ほかに表立った活動なし


2017年 脱北

3月半ば転勤することが決まる。約20年間慣れ親しんだ道北から離れることになるのが寂しい気持ちがありつつも、札幌の自宅で家族と生活できる喜びの方が大きい。

3月19日、もくもく会in稚内を開催。転勤前、道北での最後の活動となった。

4月1日付で異動。札幌の自宅から岩見沢へ通勤する生活に。
その日のうちにFOSS4G HKD古川さんから運営入りの打診が…(早い)

6月30日・7月1日、FOSS4G 2017 Hokkaido

ハンズオンデイの『QGIS初級編』講師を担当。ペースがよく分からず、後半駆け足になってしまう。アンケート結果は概ね好評であったことから、一安心。

懲りもせずLTでも登壇。
QGISのプラグイン【Freehand Raster Georeferencer】のデモンストレーション。
とある画像をジオリファレンス(幾何補正)して、【Qgis2threejs】プラグインで三次元化、グリグリっと動かすところまでリアルタイム(5分間)で行う。

どんな画像を幾何補正したかはご想像にお任せします。
(@tmizu23さんリスペクト&オマージュ)
おおいに盛り上がった。

毎日 車で通勤中、赤信号のたびに1・2点ずつOSMを編集(poi追加)、札幌・岩見沢間の交差点周辺だけ地図が詳細になっていく。

毎日のようにルートを変えて通勤。札幌・岩見沢間のMapillaryを充実させる。

この年、なぜか自分の中でmarkdownが大ブレイク。プレゼン用スライドをmarkdownで作ったり、css弄って公文書をmarkdownで書けるようにしたりしていた。
https://jyun76.github.io/revealjs-vscode/

仕事が忙しく、次第に疲弊していく。


2018年 燃え尽きる

1~2月、職場でQGIS講習会(3回×4時間)
内容は2015年の内容をブラッシュアップしたもの。
https://forestry-gis.blogspot.com/2018/01/qgis.html

資料の大半が使い回しできるため安請け合いしたのはいいものの、年度末を控えた1・2月が思っていた以上に忙しくて泣きたくなる。

休日 布団から出られなくなるようになり、ジオ系イベントを心の支えにして生きる。

2月17日、小樽マッピングパーティ

一般参加しようと思っていたら、古川さんから「サポートに入れ」指令が入ったので、ちょっとしたスライドをでっち上げて参加。年度末を控え仕事が忙しい中、良いリフレッシュになり おおいに楽しむ。

5月に会計検査院の実地検査が入ることとなり、FOSS4G Hokkaidoの準備に参加できないまま、ハンズオン講師のみ担当することに。

6月22・23日、FOSS4G Hokkaido 2018

例のチラシ

昨年に引き続き、ハンズオン『QGIS初級編』を担当。昨年に引き続き、やはり後半が駆け足になってしまう(そもそも詰め込みすぎか?)。昨年に引き続き、アンケート結果も概ね好評。昨年に引き続き、一安心。

相も変わらず懇親会でLT登壇。
『空間演算ツール紹介』と題して、テ〇andト〇の画像をベクタに変換し、バッファを作ったり、凸包や差分データを作ったりしながら、最終的に交差によって真のテ〇andト〇データが作られることを実証。

10月27日、小樽マッピングパーティ#02

前回は2月で寒かったので、室内でトレースがメインだったが、今回はグループに分かれて街中を散策。途中 皆で昼食をとったりしながら、情報収集。やはりマッピングパーティは外歩きが楽しい。

年末、片側2車線の左車線を走行中、右車線から いきなり左の店舗 駐車場に入ろうと左折した車に激突される。雪が付着しておりウィンカーも確認できない状況で、まったくこちらに避けられる要素のない もらい事故で泣きそうになる。

相手は「自分は左車線を走っていた」と一切自分の非を認めず、あろうことか後になって「車線変更だった」と証言を変更。もちろん相手の言い分は通らなかったが、事故対応で疲弊する。

激務と事故対応でおおいに凹む。

この年以降、OSM編集日数が300日/年を超えるように。写経が精神安定剤となる。


2019年 鬱る

完全に平日は仕事、休日は布団の中という生活を送る。精神的にやられてる時は身体を動かしたらいい、という良くある話を鵜呑みにして筋トレしたら、精神的疲労に身体的疲労が上乗せされてタヒにたくなる。
日常生活が破綻する。

時折、開催されるジオ系イベントを心の支えにして生きる。

2月17日、小樽マッピングパーティ#03

興味を示した次女(9歳)を連れていく。暇を持て余した時のために3DSなども持っていったが、予想に反して建物トレースを楽しんでいた。

まさかの2年連続 会計実地検査が決定し、FOSS4G Hokkaido準備は不参加。LTの準備もままならず。

7月12・13日、FOSS4G Hokkaido 2019

ハンズオンのサポートなど当日お手伝いのみの参加。LTもなし。何かもう色々と覚えていない。

12月14日、GeoSaturday Sapporo

イベント参加のためにノートPC(surface)を購入してきた兵(ツワモノ)がいて、開封の儀からイベントが始まる。

マッピングパーティに引き続き、次女 参戦。最初はマッピングパーティの続きで建物トレースをしていたが、途中からタイピング練習になり、好きな歌の歌詞をタイピングしていた。

同日、OFF4G Hokkaido 2019

1次会会場にて妻と合流。家族3人で忘年会に参加。

1次会だけで妻と次女は帰る予定だったのだが、そのまま2次会に突入。何か色々とあって、さずりん(ヒゲ)氏の持て余したパーツでPC組み立て講座が行われることになる。


2020年 脱獄

1月、PC講座に向けて、OSやSSDを購入。家族5人でさずりん宅へ。
PCの各パーツの説明や組み立て方を聞きながら、長女(13)・次女(10)でPCを組み上げる。三女(7)が暇を持て余し、さずりん氏のドールを弄るが、その手つきの危なっかしさに冷や汗をかく。メルちゃんとは違うんだよ…

すぐにでもマイクラをやりたい娘たちを抑えて、「まず冬休み自由研究レポートを作れ」とPC組み立て講座の振り返り。レポートをさずりん氏にも報告し、無事娘たちはPC使用権を得た。

3月、内示が出て転勤が決まり、地獄からの脱出が決定。単身赴任になるが、去年は最早 家に居ても居なくても変わらないような存在だったことから「一向に構わん」という気分。

9月26日、FOSS4G Hokkaido 2020

オンライン開催。転勤して間もない状態で仕事や職場にも慣れていないし、COVID-19関連でゴタゴタしたこともあって事前準備の手伝いもできず、当日の手伝いもできなかったことから、運営メンバーを名乗るのが申し訳ないレベル。


2021年 祝FOSS4G HKD 10周年

職場のOJTでGISを扱うというので、資料を用意したりしていたが、例によって例のごとくCOVID-19で話が立ち消えに。

ちらちらっとオンラインでGeoSaturdayに参加したりしつつも、なんだか去年からオンライン続きの様々なイベントそのものに嫌気がさしてしまって、何1つテンションが上がらない。

以前から、半分ネットで生きているような生活を送っていたし、「後頭部にプラグを刺したい」と常日頃から考えているような人間なのに、いざオンラインしかない、という状況になってみたら「いやウェビナーはもうたくさん」という気持ち。

そんなこともあり、FOSS4G Hokkaido運営もおざなりに(ネット環境が悪くてzoomがすぐ途切れる問題もあったが…)

各地のFOSS4Gオンラインイベントも閲覧すらしていない状態。

もう全然『祝』じゃない話になってしまった。すいません。


おわりに

早く皆で集まって飲みたい、しか考えていない。来年は会えたらいいね。

今年こそ365日OSM編集を達成しようと思っていたが、ふと気づいたら2日間抜けていた。来年も頑張る


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