僕が嫌いだったオジサン
オジサンはよくわからない人だった。
自分のオヤジのアニキだということは幼心に承知していた。僕のオヤジにはアニキが二人、妹が一人いた。オジサンは二人のアニキのうちの上のほうで、だから長男のはずだった。長男といえば長男なのかもしれないが、なんとなく長男らしくない人という印象を子供ながらに受けていたような気がする。
まあオジサンはしゃべらない人だった。まったく無口といっていいほど口数が少ない。オジサンは吃音で、じつはオジサンの甥である僕も若干ではあるけれどもその傾向があるのだが、その影響がもしかしたらあったのかもしれない。それにしてもろくに話をしない人だった。寡黙で、わけがわからないことをしでかす人だった。
僕の家にある日突然、小さな女の子がやってきた。小さなといっても当時の僕と同い年の女の子だったのだが、なぜ同い年とわかるのかというと同じ保育園に通っていたからだ。女の子はモンチッチというぬいぐるみに似ていた。今日から我が家でしばらく一緒に暮らすという。もちろん赤の他人だ。わけがわからない。なんでもオジサンがらみという。オジサンはその前に離婚していたのだが、その女の子の母親といい仲になって、それはまあ勝手にすればいいが、なぜか女の子をうちで預かることになったらしい。どういうこと?
女の子はしばらくうちで生活をともにして、やはりある日突然いなくなった。オジサンか女の子の母親といい仲ではなくなったらしい。僕はただただ困惑しただけだったが、きっと女の子にとってはそれではすまなかったことだろう。女の子の母親もどうかと思うが、自分の弟である僕のオヤジの家に交際相手の幼い娘を短期間とはいえ押しつけたのは結局、オジサンだ。僕のオヤジは女の子の母親とは何の繋がりもないのだから、多分にオジサンのせいということになるだろう。少なくとも僕はそう受け取った。なんじゃこいつ、という思いを強くした出来事だった。
それからも何だかんだあったのだが、最終的にはオジサンが我が家で暮らすことになった。我が家はもともとオヤジの実家で、オヤジが家業を継いだことから家も引き継いだので、オジサンにとっては実家に帰ってきたということになるのだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。僕にしてみればなんじゃこいつとしか思っていないオジサンがいきなり転がりこんできて、やがて僕の部屋になるはずだった一室を占拠したのだから、嫌悪や憎悪しか抱きようがなかった。しかも友好的とは言いがたい。甥である僕と顔を合わせても挨拶すらしようとしない。一つ屋根の下に住んでいても食事をともにするでもない。
僕はオジサンがはっきり嫌いだった。迷惑でしかなかった。オジサンは酒飲みで糖尿病だった。だいたい子供が三人もいるのに酒のせいで生活が乱れに乱れて離婚に繋がったらしい。我が家に住まうようになっても何か働くわけでもない。何をしているのかというと部屋にこもって、ずっと爆音で音楽を聴いている。ビートルズ、マイケル・ジャクソン、マドンナ。どれもこれもやたらとかっこいいが、子供の僕はまるきり知らない音楽ばかりだ。あとは飲むなといくら周囲が止めても酒を飲んでいる。
オヤジも自分のアニキにはほとほと困り果てていたようで、どう接したらいいのか悩んでいたらしい。だからといって何かにつけ息子である僕にオジサンへの伝言を言いつけるのは違うだろう。おまえが言え。おまえが。僕だってオジサンの部屋になんか入りたくはない。口もききたくないというか、僕が何か言ってもオジサンはうんとかすんとしか返さない。なんじゃこいつ。何なんだよ。朝から晩までうるっせえし。あんたのせいで、ビートルズもマイケル・ジャクソンもマドンナもローリングストーンズもレッド・ツェッペリンもけっこう覚えちまったよ。
その日はオヤジが自分のアニキに何か用があるということで呼んできてくれと頼まれた。それでいやいやオジサンのいやに静かな部屋に入ると、大いびきをかいて眠っていた。これがまあすさまじいほどのいびきで、この時点でちょっとなんか変だなと僕は思った。いくら声をかけても起きないし、これまずいんじゃねえのと感じてオヤジに言いにいった。オヤジは狼狽して、いや、おまえ、確かめてくれ、と僕に懇願した。どういうこと? いやだから、どういう状態か、もう一回、ちゃんと確かめてきてくれ。僕が? なんで? いや、俺は無理だから、とオヤジは泣きそうな顔で言う。意味がわからない。アニキもアニキなら弟も弟だ。何なんだ、このくそ兄弟。
仕方なく僕はオジサンの部屋にふたたび赴いて、さわりたくもないが肩を揺さぶってみたり、頬をつねったりひっぱたいたりしてみたものの、やはり何の反応もなく大いびきをかきつづけている。ふとアンモニア臭を感じたので布団をめくってみたら、失禁していることも判明した。これはもう明らかにただことではない。眠っているのではなく意識を失っているのだろう。オジサンはインシュリンの注射を射っていて、それに加えて薬をたくさんのんでいたし、その中には睡眠薬も含まれていた。薬の過剰摂取で病院に運ばれたことも過去あったと聞いていたから、まあそういうあれなんじゃねえの。僕はオヤジみたいに慌ててはいなかったので、わりと冷静にそう考えた。もう救急車だろこれ。
オジサンは救急車で運ばれていって、いったん戻ってきたものの、その後入院することになった。オジサンはその病院のベッドの上で息を引き取るのだが、それはずいぶんあとのことだ。入院期間はそうとう長かった。オヤジは自分のアニキの見舞いに行く際、必ずといっていいほど僕や一つ下の僕の妹に同行してもらいたがった。ちょっと一人では行けない、と情けない顔で言うものだから、妹は同情してついていくし、僕も毎回はいやだが、二回に一回は一緒に行ってやった。事情はよく知らないけれどオジサンは閉鎖病棟に入院していた。恐ろしい目に遭ったことは一度もなく、入院患者たちはむしろ僕や妹に親切だったが、かといって居心地がいい場所かというとそんなことはない。何と言っても当のオジサンが相変わらずしゃべらない。自分の弟である僕らのオヤジが何を言っても、ほぼ相槌を打つくらいのことしかしない。オヤジが何か欲しいものはないかと訊いたときだけ、ぽつ、ぽつ、とその名を口にする。たいていは本だった。オジサンは音楽を聴くのと読書を趣味としていた。
我が家にはそれなりにたくさんの本があった。もともとオヤジの実家なわけだし、オヤジの本かと思ったことはない。オヤジもまったく本を読まないということはないけれど、読む本の種類はかなり限定されていた。歴史を題材にした小説や推理小説、手塚治虫の漫画本などは明らかにオヤジが読みそうになかった。僕はそれらの本を読んで育った。裕福でもなかったし、近所にしっかりとした書店があるような環境でもなかったので、本が読みたければある本を手当たり次第に読むしかなかった。見舞いに行くたびオジサンが欲しがる本のタイトルから、我が家にあった本の大半はオジサンのものだということがわかってきた。本人に確認したわけじゃない。僕はオジサンが嫌いだったし、哀れに思ったこともない。けれどもオジサンの本を読んで育ったことは紛れもない事実だった。
オジサンが退院することは当分ないという段階になって、オジサンの部屋はようやく僕の部屋になった。ただし、それにあたって、僕はオジサンの所有物を片づけなければならなかった。レコードは売り払ってCDはオジサンの病室に持っていった。全部じゃない。僕は何枚かのCDをくすねて自分のものにした。心は痛まなかった。それくらいのことはしてもいいはずだし、文句を言われる筋合いはない。オジサンに返してしまったCDの中でもこれはと思うものは、あとで自分で買った。ローリングストーンズはどうでもよかったが、ビートルズもマイケル・ジャクソンもマドンナもレッド・ツェッペリンも買った。気がついたら僕は洋楽ばかり聴くようになっていた。