その感情にはわけがある。
こんばんは、アリス食堂です。
7月は自分の内側との向き合いの月でした。
この事をどう表現しようかと自分の中で文章にしていたのですが、
表現することに怖さを感じたりしていました。
それぐらい、今回の内容は私の芯の部分にあることの表現です。
どうぞ、お付き合いください。
自分のネガティブこそに幸せがある、それはとても私にとって痛い部分でもあるわけです。
その痛さの中を突き詰めていった先に出てきたのは、ある感情でした。
「やきもち」という感情です。
私はこの「やきもち」という感情にいつも翻弄されていたように思います。
無意識だった、けれどこれまでの人生の中を振り返ると、あの時も、そうあの時でさえも、「やきもち」という感情に振り回されていたのです。
「やきもち」をやかれる事に怖さをもっていました。
私が「やきもち」をやかれる人間だと言っているわけではありません。
「やきもち」という感情が怖かったのです。
そして、もっと突き詰めて出てきたもの。
私自身が「やきもち」という感情を持つことが一番の恐怖でした。
マヤ暦を学ぶようになって、私の人生のターニングポイントとなった年があることがわかりました。幾つかある中でこの事と繋がる年があります。
26歳の時です。
その年、私はある人と出会い、付き合うことになります。
彼には私の素のままを出せました。
とても気が楽で一緒にいて楽しかった。
だけど、イライラしたり感情の起伏が激しくなることも多かった。
そういう私のままも出していたのです。
2年が経ち、彼の心が離れていき、お別れしました。
家族、友達よりも私のままを受け入れてくれた彼の存在は大きかった。
忘れられず、1年ほどたった時に思い切って電話するのです。
彼には付き合ってる人がいて、結婚するようでした。
とてもショックだった。
何も喉に通らず、辛い、初めての経験でした。
あの時の私はただ時間が解決してくれることをずっと待っていた。
我慢という枠の中で必死だった。
それは、寂しさという壁を超えられたいい経験でもあったけれど、
一つの感情を抑え込んだ印象的な経験でもあります。
彼のお相手さんへの「やきもち」という感情。
私なんて・・という自分を卑下する事で「やきもち」を抑え込んだ。
もってはいけないと思った。
その感情をもってしまったらどうなってしまうのか、その恐怖があったから。
抑え込んだ「やきもち」という感情は私の中にモヤモヤといつでもありました。
幼い頃から、大人になってからも。
その感情は何かの拍子に素直でない言葉や行動で出てきました。
誰かの中にある「やきもち」の感情にも敏感に反応しました。
周波数が合うというのでしょう、恐怖に思うことで余計に引き寄せていました。
どの場面でも、どこに居ても翻弄されていました。
「やきもち」という感情、ほんとのところ、恐怖なのだろうかと考えます。
愛する人への「やきもち」、なんと可愛らしいことだろう。
愛する人が「やきもち」をやいてくれたなら、なんと幸せな事だろう。
「やきもち」とは愛情深い感情なのです。
そう思えた時に、より私は私に寄り添え、私自身を愛おしく思えたのです。
私の中の氷が溶けていった感覚でした。
あなたが握りしめている感情は何でしょう?
恐怖で見ないようにしているものはありませんか?
あなたのネガティブにこそ、幸せがある。
そう言える人に一歩近づけたように思います。
お読みいただき、ありがとうございます。
また次回のアリス食堂で。