なぜ 生きるのか
#8月31日の夜に
というタグつけたいので、こんな深夜ですが
月曜から学校の皆さんへ。
私は中学と高校の時、
学校に行きたくなかったな。
早く消えたいと思ってた。
体は元気だけど学校休んだことが私もありました。行ってみるか、って行ったこともありました。
そんな少女が、いま年齢だけは大人になって、
生きる意味を考えてみている投稿です。
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なんでこうも満たされないのだろう。
人が持っているものばかり良く見える。
自分が恥ずかしい、なんてことを思う自分はいつ消え去ってくれるのか。
人と比べてばかり。
この人より良いところ、私には無いな、とか考えて。
この人より、、なんて、なんて失礼なんだろう。
この人の良いところも、私の良いところも、
その人だけのものだ。私の良いところも、私だけのもの。優劣はない。なのに。気づいたらそんな思考。
私は、なぜ生きるのだろう。
「夜と霧」を読んでいると考える。
なぜ生きるのだろう、
私のこれまでの全ての苦しみを無駄にせず、
誇りを持って死を迎えるため、
私は何を理由に生きようとしているのだろう。
私は、
周りから見たら些細なことでも、
その人自身にとってはとても大きく残り続けることを知っている。
そして、その苦しみを抱えながら生きるのだけど、人によってはその苦しみで、他人には見えない内側を傷だらけにしていることを知っている。
その傷は、その人だけのものだけど、
でも時折、中から刃が突き出て、他人を傷つけたりもして。
でも、誰であろうと、命は大切で、
内側を傷つけるのをやめなければいけない。
それは他人を傷つけるのをやめることでもある。
そして、もし傷がついたら、癒す方法を、身につけないといけない。
そして、その心が、どれほど傷がついていようと、どれだけ美しいかということに、気づかないといけない。
どうすれば、
やめさせられるのか、癒せるのか、
そして気づかせられるのか、
どんな環境が、そのために有効なのか。
私は、その環境をつくるための何かを残したい。片鱗でもいい。
それは研究なのか、製品なのか、政策なのか、誰にも見られない日記なのか、
どんな形で残したいのか、分からない。
ただ、そのために何か残せたら、そのために命を注ぐことができたら、
私の内側の目も当てられない傷も、存在していた意味はあったということ。
どんな形なんだろう、ただ、確かなものを残したい。答えは1つではないけど、本当に、その目的を果たせる環境をつくるためのものを。
でもやっぱり、見えてこないから。
とにかくまずは、人の内側の傷に寄り添う方法を、
そして表面には傷じゃない形で現れる、
その人の内側の傷に、寄り添える力を身につけたい。
私は、
人の内側の、癒えない傷の痛みを、
鎮めるために、
そして、その心の美しさに自分自身が気づけるように、
そのための何かを残すことに、
命を燃やしたい。だから生きる。
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