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櫻井敦司氏急逝の報に接して

「櫻井敦司急逝」
そんな文字がニュースサイトのトピックスをチェックしていた私の目に飛び込んできたのは、2023年10月24日の夜のことだった。

……櫻井?え、誰?翔でなく敦司!?え?えぇ!?BUCK-TICKの櫻井敦司、さん……?

言葉はわかる。でも、脳が理解を拒否したというか。
暫く呆然として、我に返って慌てて内容を確認。
10月19日のライブの途中で緊急搬送され、その日の夜に息を引き取られた、と。

確かに数日前、3曲歌い終えたところで体調不良で公演中止となり、「あっちゃん大丈夫?」と心配されていたファンをネット上で何人もお見かけしてはいた。でも、まさか。少し休んで、また元気な姿を見せてくれるのだろうな、と何の根拠もなく信じていた。こんなにすぐにいなくなってしまうなんて……。

櫻井敦司氏は、私の推しの氷室京介氏と同じ高校卒の後輩(但し6歳違うので被ってはいない)で、氷室氏と親交もあった御方。
彼が所属するバンドであるBUCK-TICKは、BOOWYとともに”群馬の3B”の一角。
同郷ということもあって、ブレイク前のBOOWYのライブをBUCK-TICKのメンバーが見に来たり、BUCK-TICKも出演したアマチュアバンドのイベントにBOOWYがゲスト出演したというエピソードも残されている。
出典を思い出せなくて申し訳ないが、氷室氏がソロデビュー間もない頃、自宅で開いたクリスマスパーティーにBUCK-TICKのメンバーを招待。彼らを迎えにトナカイの仮装をした氷室氏がオープンカーに乗って目黒駅へ迎えに行ったという逸話もあったような。(うろ覚えなので間違っていたらごめんなさい。)

私にとってBUCK-TICKは、氷室氏とのエピソードがきっかけで何となく好意を持ったバンド。ライブへ足を運んだことはないが、WOWOWでライブが放送されれば観て、あの独自な世界観に感嘆し、そこでいいなと思った曲があればチェックする程度でした。
そんなお粗末すぎるレベルの私でさえ、これだけの衝撃を受けたのだ。本当に彼を、彼らを愛するファンにとってこの訃報は、どれだけの哀しみと驚きを持って受け止められたことか……。衷心よりお悔やみを申し上げます。

私ごときが、櫻井氏やBUCK-TICKについて語れることなどそうはない。
ただ、櫻井氏は、生前、折に触れて氷室氏とのエピソードを語ってくださっていたので、それをいつくかご紹介させていただきたい。
また、櫻井氏逝去のニュースを知った人々の反応について、私が感じたことを書かせていただければ。

櫻井氏と氷室氏の関わりについては、すぐに出典がわかったものだけのご紹介となることをご容赦下さい。

まず一つ目は、氷室氏のソロ一発目のツアー「KING OF ROCK SHOW "DON' T KNOCK THE ROCK"」に櫻井氏が観に訪れたというもの。(1988年7月25日 真駒内陸上競技場)

ロビーには意外なゲストが来ていた。
BUCK-TICKのヴォーカリスト、桜井敦司である。
もちろん、同郷ということで交流もあり、昨日のイベントにBUCK-TICKが出演していたことも聞いた。
しかし、彼らもまたレコーディング、イベントと分刻みのスケジュールのはずだ――。
「ええ。他のメンバーはもう東京へ帰ったんですけど。俺、氷室さんのステージをどうしても見たかったんですよ。見られるチャンスがここしかないんで、俺だけ残ったんです」
オフ・ステージの彼は実に落ち着いた、静かな人だ。
(そういえば――)
初めて彼にインタビューした時のことだったと思う。彼がこんな話をしてくれたことがあった。
(バンドを始めてからずっと自分はドラマーだった。ヴォーカリストの背中を眺めながらリズムを叩いているうちに、――俺の方がカッコいい。俺ならもっと違うパフォーマンスをやる。俺はヴォーカリストになりたい――。そういう欲求がどんどん大きくなっていった。
迷っていたそんな時期、自分にヴォーカリストになることを勧めたのは氷室京介だったという話だ。『歌ってみればいい。オマエはきっとヴォーカリストに向いてるよ』)
そして、彼は本格的に歌を始めた……。
- 桜井くんにとって、氷室京介の最大の魅力はどんなところなんだろう?
にわかインタビューになってしまう。
『個人的にも知ってるから……凄く尊敬できる人だし、カッコいい人だし……。でもヴォーカリストとしての存在感ていうのかな。あの存在感なんですよね」

『Kyosuke Himuro Tour Document Book1 KING OF ROCK SHOW  DON' T KNOCK THE ROCK』 P44-45

次にご紹介するのは、月刊カドカワの「氷室京介総力特集」にコメントを寄せていただいたもの。

「刺激のある大きな先達」桜井敦司(BUCK-TICK)

僕がまだアマチュアの頃、地元のバンドのイヴェントに同郷のBOOWYがゲスト出演。その打ち上げで初めて氷室さんとお会いしました。高崎の駅前の居酒屋だったけど、氷室さんは酒を飲まずにコーラばかり飲んでいました。でも、そのコーラを飲む姿や、注文の仕方さえもカッコよかった。男が男に魅力を感じさせるくらい、人を惹きつける不思議なパワーを持った方でしたね。その時ドラムをやっていた僕に「お前、ツラがいいからヴォーカルやったほうがいいよ」って言ってくれたこと、もう忘れてしまっているでしょうね(笑)。
僕にとって氷室さんは、いつも刺激を与えてくれる人です。音楽性も、目標とする方向性も全て違うけれど、氷室さんが頑張っている限り、僕も頑張っていけるような気がしています。だから、刺激のある大きな先輩という感じ。いつまでも氷室さんにはラヴ・ソングを歌い続けていてほしいです。

『月刊カドカワ1991年4月号』P60

次は、ソロ活動15年を迎える氷室氏に対してのもの。
氷室氏の印象などについて、同じバンドの樋口豊氏とともに答えている。

Q1.氷室京介の魅力やイメージを教えてください。
A1.
櫻井敦司:人として好きっす。唯一無二の声、何よりも色気があります。
樋口 豊:優しい兄貴的な存在

Q2.印象に残っているライブを教えてください。
A2.
櫻井:88年の北海道野外ライブ
樋口:グリーンドーム前橋のこけら落としのライブ。前日、同じ所でBUCK-TICKもやったんですよ。

Q3.氷室京介の曲の中で、好きな曲を教えてください。
A3.
櫻井:『DEAR ARGERNON』
樋口:『ANGEL』

Q4.初氷室体験を聞かせてください。
A4.
櫻井:群馬、高崎のアマチュア・バンドのイベントにゲスト出演したその夜、居酒屋でご一緒させていただいた時、「お前、ツラいいからボーカルやれよ」と一言。その時、私はドラムやってました。
樋口:高校生の時、群馬のイベントで会った時、怖くて話しかけられなかった。

Q5.氷室京介へのメッセージをお願いします。
A5.
櫻井:健康でありますように。いつまでもセクシーボイス聴かせて下さい。愛を込めて ステキな先輩へ
樋口:15年経つのは早いものですね。これからもカッコイイ氷室さんを楽しみにしています。

『KING SWING Case of HIMURO 15th Anniversary Special LIVE ISSUE』 P24

氷室氏へのメッセージが「健康でありますように」って……。
先輩よりも早く逝ってしまうなんて……早すぎるでしょう。
本当にやるせない。

そして、最後にご紹介させていただくのが、氷室氏のソロデビュー25周年を記念して出版された「氷室京介ぴあ」に寄せられたお祝いコメント。

櫻井敦司(BUCK-TICK)
(ミュージシャン)
拝啓 氷室京介様
いつまでも、肩で風切る様にそのロマンティックな歌声で酔わせて下さい。「敦司、お袋さん大丈夫か?」一言ありがとうございました。ボーカリストとして人としてずっとFANです。ソロデビュー25周年おめでとうございます。愛を込めて

『25th Anniversary Speial Book 氷室京介ぴあ』 P43

ご家族を気遣う言葉を氷室氏からかけられたという……。
お二人ともプライベートをあまり大っぴらに語らないタイプなので世に伝わっていないが、親交は続いていたのだろう。彼が氷室氏に向ける視線は、強すぎる顔力に似合わず、穏やかで温か。
いずれも氷室氏への敬意に満ちた、血の通った言葉だ。彼の人柄が偲ばれる。

さて、これらの櫻井氏の言葉の中で共通して語られていることがある。
一つは、氷室氏を「人として」も「ボーカリスト」としても尊敬しているということ。
もう一つが「氷室氏と櫻井氏が初めて出会った時のエピソード」。

櫻井氏が氷室氏と初めて出会ったのは、高崎で行われたアマチュアバンドのイベントの打ち上げでの席。
そこで、当時ドラムをやっていた櫻井氏へ「お前、ツラがいいからボーカルやれよ」と氷室氏が言って、その後櫻井氏がボーカルへ転向したというもの。
このエピソードは櫻井氏が上記のほかにもラジオやテレビなどでも語ったことがあるためか、よく知られているようだ。
櫻井氏の訃報に触れた人々がこぞってこのエピソードを取り上げる程度には。

で、そんななかに私がちょっと「……うん?」と感じたツイート(Xになってからなんて言ったらいいのだろう)がいくつか混じっていたのだ。
それを仰っていた方々は、氷室氏に対してもBUCK-TICKに対しても、それほど熱心なファンというわけでもなさそうにお見受けしたので、恐らくそんな深く考えて発してはいなかったと思うが、ちょっと引っかかってしまいまして。(本当に面倒臭い人間ですみません。)
それが「櫻井さんがボーカルになったのは、氷室さんの『お前、ツラがいいからボーカルやれ』という助言のおかげ」「氷室さんの言葉がなかったら今のBUCK-TICKはなかった」といったようなもの。(一字一句同じではありません。そういう趣旨ということで。)

それはちょっと違うのではないかなぁ。
氷室氏が櫻井氏に「ボーカルをやった方がいい」と助言したのは確か。
櫻井氏がその言葉に感銘を受けたのも間違いない。
何せ言われた本人が証言しているので。(言った方は何も語っていないけど。)

でもそれは、ボーカリストの道に進んでいいのか悩む櫻井氏の背中を氷室氏の言葉がそっと後押ししただけ、或いはドラマー以外の道もあるよと新たな可能性を示しただけ。
ボーカリストを選んだのは、紛れもなく櫻井氏の決断であり、今のボーカリスト「櫻井敦司」を形作ったのは、何よりも彼の天賦の才と不断の努力、そしてバンドメンバーやファンの理解と支持によるもの。
「ボーカリストに、俺は、なる!」と宣言したところで、そう簡単にあの高みに至れるわけではないのだから。
氷室氏の言葉だけで櫻井氏がボーカルになったわけではない。
あくまでもきっかけ。

正直なところを言えば、私の推しの言葉が、あれほどに独自の地位を築いたボーカリストに対して何かしらの影響を与えたというのであれば、とても嬉しい。
BUCK-TICKのファンが「あっちゃんにボーカルを勧めてくれて、氷室さんありがとう!」と無邪気に感謝していただいているのを見ると、何ともくすぐったい気持ちになる。
だけどそれは、櫻井氏及びBUCK-TICKに対するリスペクトが大前提なので、「氷室氏の言葉のおかげで~」みたいな言い方をされると、逆に氷室氏のファンだからこそ気になってしまう。櫻井氏やBUCK-TICKを心の底から愛する人々にとってその言葉はどう響くのだろうか、と。彼らにとっての推しの才能や努力を軽んじているように捉えられやしないかな、と危惧した。

ちなみに、このエピソードについて、氷室氏自身は何も語っていない。氷室氏関連の記事で紹介されたのは事実だけれど、自らが発したわけではない。この情報の発信源はいずれも櫻井氏。
「もう忘れてしまっているでしょうね(笑)」と櫻井氏が仰っていたように、氷室氏自身は多分言ったことも忘れてる(苦笑)。
誰かからそのエピソードを聞かされても、「あーそういえばそういうこともあったね」か「そうだったっけ?覚えてない」のどちらかだと思う。
御大は、「自分で考え抜いて、自分で自分の生きる道を決め、自分の足で歩いていくこと」に非常に重きを置く御方。もし自分の言葉がきっかけで他人がポジティブな方向へ進んでいったのであれば、そのこと自体は喜んだとしても、それを「氷室さんのおかげです」と言われたら、即座に否定しそうな気がする。「俺のおかげじゃねーよ、アイツの力だ」と。(まぁ、これまでの氷室氏の音楽やインタビューから推測した私の想像にすぎないんですけどね。)

ただ、あまりそういう言い方を私が好まない(というか、そこだけ切り取られた言葉が一人歩きしてしまうのを危惧している)というだけで、そういった言葉を仰っていた方々に恐らく悪気は全くないし、そこまで深い意味はなかったとは思っています。文字数制限がある中での言葉なので、前後の文脈もわからないし、発言者のキャラクターや想いも伝わりにくい。そんな中で「そこだけ」切り取ってしまうと、発言者の意図するところと違う風に見えてしまうことがあることも重々承知しているつもりです。
もしこれを読んで不快になられた方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。

ついでなので、もう一つ。
上記のように、氷室氏が櫻井氏と親交があったことがわかっているので、双方の一部ファンから櫻井氏の訃報に対する氷室氏のコメントを求める声が上がっていた。
特に氷室氏とBUCK-TICKの兼オタとお見受けする方が強く願っていらっしゃった。

ただ、氷室氏がコメントを出すかどうかというと……出さないんじゃないかなぁと(私は)思うわけで。
何故ならこれまで氷室氏と親交のある方、氷室氏がお世話になった方が何人かお亡くなりになられているけれど、基本的に氷室氏がコメントを出したことはないから。
ちょうどそのタイミングでインタビューなりライブなりがあれば話は別。その流れの中で必要があれば触れることもあるだろう。でも個人でSNSをやっているわけではない(少なくともファンは知らない)氷室氏がわざわざコメントを出すとも思えない。(そもそも人前に出なくなって何年経つかという。)
決して櫻井氏の死を悼んでいないというわけではなくて。
それが氷室氏のスタンスではないかと。

哀悼の意を表することについて、興味深い氷室氏のインタビューがある。
2011年に東日本大震災復興支援ライブを決意した際の心境を語ったものだ。

「日本に住んでいる人たちよりも大分情報が遅れているとは思うんですけど、自分に出来ることは何なんだろうとは考えましたよね。ただ、この話は何度かしてきましたけど、今までチャリティということでは、これはどういう結末を迎えているんだろうと思うようなものにも参加したことがあるんで、簡単ではないということと、本当に困っている人たちに声なんかかけられないというところもあって」
- 本当に困っている人たちに、声なんかかけられない。
「俺、すごくそういうところがあるんですよ。例えば、身近な人の奥様が亡くなった時なんか、ご愁傷様の一言が言えないというか。その感じってたぶん分からないと思うんですけど、社会的に普通の人は挨拶しますよね。俺は逆にそれが言えなくなってしまうんですね。もちろんチャラついているわけじゃないんですけど、本当に痛みを持っている人に軽々しく声をかけられないんですよね。あの時にも友達やそういうサイトをやっている人たちから被災地の方に温かい言葉を送りたいんでコメント下さいと、ずいぶん頼まれたんですけど、ほとんど断りましたよね。俺が今、彼らに言えることなんてないよ、ということで。その時にまず思ったのは、俺がもし出来ることがあるとしたら、温かい言葉ではなくて、具体的に彼らがくるまる毛布とか、彼らが何かを食べるお米だとか、そういうことだと思ったんですね。そういう意味では俺はすごく現実的というか。夢も浪漫もないですけど、そこはきっちり現実的な考え方をする男なんで」

 『KING SWING 2012 SPRING』 P32

「本当に痛みを持っている人に軽々しく声をかけられない」
「ご愁傷様の一言が言えない」
悲しんでいる人の痛みや苦しみを自分のものとして受け止めてしまうが故に、どれだけ悲しんでいるかがわかるからこそ、何て声をかけていいのかがわからない。櫻井氏の死を悼んでいるからこそ。その死を嘆き悲しむ人がいるのをわかっているからこそ。
そういう人、なんだと思う。

これも出典が思い出せなくて申し訳ないのだが、大昔、土屋氏が氷室氏についてこんな感じのことを言っていた。
曰く、BOOWY時代にファンとの交流イベントを企画すると、一番難色を示すのが氷室氏。「どうしてそんなことをしなければいけないんだ?」と言って。
だけどいざイベントに臨んでみると、メンバーの中で一番真摯に丁寧にファンに応対していたのも氷室氏だった。
そのくせ、そこでのファンとのやりとりを記事にしたりすると、氷室氏は怒る。
きっと彼にとって、ファンとのそのやりとりは文通のようなものであって、自分と相手がわかっていればいいもの。私信をみんなに公表しないでしょう?と。

コメントとはつまり「相手に対する自分のお気持ち」の表明である。でも相手はもういない。自分の言葉が相手に届くことはもうない。それならその気持ちは自分の中で消化(または昇華)しようとするのではないかなぁ……。
氷室氏と櫻井氏の関係性は二人だけのものだから。

かつて氷室氏が大変お世話になった佐久間正英氏がお亡くなりになった時も、氷室氏は追悼コメントを公表しなかった。
だけど、彼は闘病中の佐久間氏にお見舞いの花を贈っていた。佐久間氏がSNSに氷室氏への感謝の言葉とともに写真をアップしていたため、そのことがわかったが、氷室氏側がそれに触れることはなかった。
「自分が何をした」ということを声高に主張したりはしないが、お互いの関係性でやるべきことはきちんとやる人。
なので、櫻井氏に対してもそうだと思う。

悼み方は人それぞれ。その方法に正解はない。
恐らく、みんなの心を動かすような追悼コメントを書こうと思えばいくらでも書ける人だろう。悲しんでいないはずがないし。
「社会人として」考えるならば、コメントを出した方がぶっちゃけ波風は立たない。きっとその言葉で救われる人もいるだろう。
でも、自分の気持ちを伝える相手はもういない。相手にかける言葉を他人に公表することを好まない。彼を失って嘆く人々に軽々しく声なんてかけられない。そんな風に考える人が、自分が悪く言われないように追悼コメントを出すかというとね……。

だから私は、この件で(も)氷室氏が追悼コメントを出すことはないと思っている。
たとえ「コメントを出さないから冷たい」と誹られようとも。
もし出すことがあったら、よほど断れない筋から頼み込まれたか、今すぐではなくある程度時間が経って、櫻井氏の死をみんなが受け止められるようになってからではないかなと思う。

逆に、追悼コメントを出したことによって、その内容に批判が寄せられたミュージシャンもいらっしゃるようで。難しいですね、コメントを出すというのも。

なんか衝動の赴くままに、ここまで書き散らかしてきてしまいました。
自分の気持ちの整理を兼ねて、推敲もせずに書き流してきたので、いつも以上にとりとめのない文章になった自覚はあります。
後日読み直してあまりにも恥ずかしくなったら、削除するかもしれません。


櫻井敦司氏のご冥福をお祈りします。
どうぞ、安らかに。

※2023年12月8、9日にZepp Hanedaで開催された櫻井敦司氏の献花式に行かれた方のお話によると、氷室氏からもお花が贈られていたそうです。
会場には氷室氏以外にも多くの著名人から贈られた花があったとのこと。本当に沢山の方々から愛されて、そしてその死を悼まれていたことがわかります。
また、会場ではピンクのカーネーションが配られ、ファンは献花台にその花を手向けてそれぞれ櫻井氏との別れを惜しんだそう。
ピンクのカーネーションの花言葉は「感謝」。
……うん。どんなに悲しくても、その死を受け止めきれなくても。やっぱりファンが最後に愛するミュージシャンに捧げたい言葉は「ありがとう」ですよね。

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