「これが作戦だ」ー 日中戦争で旧日本軍が致死量のイベリットを含む大規模な化学戦をしていたこと裏付ける資料が次々と明るみに出たが、当時、中国の戦線の第百一師団に所属していた神奈川県在住の元将校Aさん(七〇)がこのほど、朝日新聞社に「私は毒ガス攻撃の現場いた」と当時の撮影写真を提供した。「これまでだれにも見せられなかったが、最近、当時の日本軍の行為を正当化するような動きがあり、憤りを感じたため、公表することを思い立った」とAさんは語っている。
写真は昭和十三年一月から十五年一月までの中国戦線での戦闘場面などを収めた記念写真帳のうちの一枚で、見開き二ページにわたる。写真帳は「支那事変記念写真帳第二輯」といい、Aさんの所属していた部隊が作成し、十五年十二月五日発行、同部隊の佐官級以上の将校に配られたという。百五十余ページの写真帳に掲載された他の写真にはすべて説明があるが、この写真に限って一行の説明もない。
Aさんは「南昌攻略作戦の一コマで、十四年三月二十一日午後、中国・南昌市の北約五十キロ、修水県域近くで撮影されたものだと思います。写真の光景にはっきり見覚えがあり、手帳に日時も記入していた。当時、写真集をもらってこのページを開いたとき、あの作業だ、とすぐわかった」と証言する。
対岸にいる中国軍に向けて毒ガス攻撃をするというので全員が防毒マスクをつけて待機、ガス係が点火して写真のような光景になったという。その夜、渡河作戦は成功した。
中国戦線の毒ガス作戦を裏付けた陸軍習志野学校の「支那事変ニ於ケル化学戦例証集」によると、修水渡河作戦は「あか筒及あか弾ヲ大規模ニ使用シ軍ノ敵前渡河ヲ容易ナラシメタル例」とあり、使われたのは、中あか筒約一万五千、あか弾約三千、小発煙筒約五千、という、化学戦としては最大規模のものだった。
通称「あか」は非致死性の毒ガス、ジフェニールシアンアルシン。くしゃみ性ガスともいわれ、吸い込むと激しいくしゃみや吐き気に襲われ、戦闘不能に陥る。
実際に中国戦線に従軍し、最近は日中戦争での化学戦の実証的研究を進めている藤原彰・一橋大学教授(日本近・現代史専攻)は「写真を見ると、発煙筒ではなく、毒ガスに間違いないと思うが、放射筒が写っていないので、写真だけからガスの種類を特定することはできない。私自身、日中戦争での毒ガス実写写真を見たのは初めてだし、公開されるのもこれが初めてだろう」と話している。