1982年7月1日発行の『続・悪魔の飽食』は、森村誠一の連載(共産党機関誌「赤旗」掲載)を書籍化してベストセラーとなった『悪魔の飽食』の続編。
鳴り物入りで発売された本書であったが、核心ともいうべき掲載写真が全く関係のない明治時代の書籍からの盗用であったことを9月14日、日経新聞による本人取材で明らかになる。翌15日、日経新聞は前日の取材内容と合わせてニセ写真事件として報道した。
■自滅した初版本PR
■盗用した巻頭写真(36枚中20枚)と、共産党赤旗特報部長下里正樹氏による解説文の捏造
*注:写真には『明治四十三四年南滿州「ペスト」流行誌附録寫眞帖』関東都督府臨時防疫部発行年「1912.3」と国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1880517/1/1 のコマ番号を白文字で注記しています。
*『明治四十三、四年南滿州「ペスト」流行誌附録寫眞帖』緒言
<引用元>
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■出版に協力した731部隊元隊員の証言
■新聞報道等
1981年09月 元七三一部隊U・N氏、下里氏を”甥”と偽り、戦友会での"潜入取材”に協力
1982年02月20日 下里氏がA氏宅で問題の写真を入手
1982年02月末 下里氏「部隊地図の作成」を依頼
1982年04月中旬 新宿ブリンスホテルにて「部隊地図」完成
1982年07月01日 「続・悪魔の飽食」刊行
1982年09月14日 改訂版で削除します(森村さん)
(日本経済新聞 9月15日朝刊 23pより)
1982年09月15日 『続・悪魔の飽食』“生体実験写真”は別物、森村さん認める―実は明治のペスト資料
(日本経済新聞 9月15日朝刊23pより)
1982年09月16日 「続・悪魔の飽食」勇み足 写真20枚、別物 森村さん「新版で削除」
(朝日新聞 9月16日)Wiki「悪魔の飽食」より
1982年09月16日 「続・悪魔の飽食」写真誤用―森村氏の入手時すでに赤十字など消える
(日本経済新聞 9月16日)Wiki「悪魔の飽食」より
1982年09月16日 森村誠一・光文社「お詫び」
1982年09月19日 一面コラム「春秋」それこそ“悪魔の飽食”というもの
(日本経済新聞 9月19日より)
1982年09月26日 ニセ物以外の写真は建物5点、実験用ガラス器具4点、計算尺等々
(日本経済新聞 9月26日より)
1982年09月30日 成田空港で記者会見
1982年10月03日 「私たちは嗅覚をとぎすまして『オカシイ』と直感したものの真贋に食いさがってみたい」
(読売新聞 10月3日より)
1982年10月04日 森村氏ほか2名による記者会見
著者 森村氏、日本共産党幹部/赤旗特報幹部長 下里氏、写真仲介者 A氏の3者による記者会見(於:新宿の京王プラザホテル)
1982年10月12日 「奉天停留所停留人ノ入浴」写真は白衣の人物に墨が入っている
(サンケイ新聞 10月12日より)
1982年10月12日 写真提供者Aを隠すために「米軍押収証拠写真」へ
(サンケイ新聞 10月12日より)
1982年10月15日 「本来、ノンフィクション物では、どこか一点でも虚偽があったらそれで全体が信用されないはず」
(読売新聞 10月15日より)
<引用資料>
『改革者』「悪魔の飽食ニセ写真事件で朝日とサンケイが対立」 ー「赤旗」の責任に言及できない問題体質ー (鞍馬天狗)
『現代の眼 23(12)』「続・現代虚人列伝」森村誠一/偉大な『悪魔の飽食』から遁走するベストセラー作家 (中島 誠)
『かくしん (149)』トピックス 「なぜ、事実を歪めたのか」
解決されていない「続・悪魔の飽食」ニセ写真事件のナゾ
サンケイ新聞社会部「悪魔の飽食」取材班 石川水穂