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自分が死んだ夢を観たのは人生2度目

沖縄とは不思議な土地である

もうかれこれ
7年連続くらい1年に一度

沖縄本島が多いですが
過去には石垣島・宮古島・鳩間島に
短くて1週間長くて2週間 
仕事を頂き観光とは異なる感じで
沖縄暮らしをしてます

宮城海岸・北谷・沖縄

仕事以外に何かの役目があって、
この島に呼ばれているのだろう

とぼんやり感じてはいますが
まだその答え合わせは出来ておりません

私は沖縄と相性がいい
そのだけは何となく感じます

沖縄に滞在している時は
スピリチャルな力が覚醒する
といいますか
そのような錯覚も多々とあります

毎回、沖縄では摩訶不思議なことがありますが
今回は不思議な夢💤を観ました

自分が飛行機事故で死んでしまう
そして死後数日の体験をする

そんな夢を観ました

ここからは夢の中のはなし

飛行機事故を緊迫した様子で
報道するキャスターが映し出されるテレビ画面

“飛行機事故が起きたんだ“

テレビを俯瞰する私

シーンが変わり

今にも雨が降り出しそうな厚い雨雲に
覆われたような重々しい雰囲気の部屋に
仲間や家族が集まっている

誰かひとりが泣き出したら
まるでダムが崩壊するかの如く
泣き声が続くことを避けているかのように

唇を噛み締めているみんながいました

その瞬間に飛行機事故が
自分の乗った飛行機だとわかりました

泣き出しそうな家族や仲間たちを見て
“あれ、もしかして俺 死んじゃった⁈”

この場所にいるってことは
俺、死んだんだな
と自覚しました

ただただ流れる
その部屋の様子をしばらく眺めていました

どうやら、飛行機事故により
私の亡骸が見つかっていない

この事故による生存者はいない

部屋の片隅で
映し流れるテレビの報道で理解出来ました

「ああ、このひとも駆けつけてくれたんだ」

集まってくれたひとたち

私は真っ先に崩れそうな母親の横に立ち
「こんな事になってごめん」
そう謝りました

「あの約束、守れなくなってごめん」
「あの時の恩返しも出来なくてごめん」

私は泣きじゃくりながら集まってくれた
ひとりひとりお詫びしました

ひとりひとりそれぞれに
私が近づくと
“あれ、今 近くに来ました!”
と自分の存在を感覚でみんなわかるようでした

それから自分の葬儀の場面で目が覚めました

枕がぐっしょり濡れていて
自分の顔も涙で濡れまくっていました

実のところ
人生で自分が死んだ夢
2度目なんです

約20年前にインドで体調を崩し
明日ガンジス河で沐浴という日に

自分が死んでガンジス河に
亡骸を流せれるという夢を観ました

その夢を観た後
不思議と何事も無かったかのように
体調を復活して翌日無事に
ガンジス河に沐浴

その後、うたた寝をした時に夢の中で
「これから君は“ゆうしん“として生きなさい!」
と声だけが聞こえて来て
その日から数ヶ月後に僧侶となりました


夢占いで調べてみると

事故に遭う夢はトラブルを予感させるものの、
事故が原因で死ぬ夢の場合は、
運気上昇を知らせるサイン。

自分の意思で状況が変わるというよりも、
何か突発的な出来事に巻き込まれる形で
状況が激変しそうです。

夢の中の事故が派手であるほど、
運気はますます上昇していくでしょう。

これからまた
何か大きく人生が変わるようなことが
あるのかも知れませんね

自分が死んだ夢

そこから感じたこと


ありがとう と ごめんなさい

を含む、なるべく後悔することなく
日々の行いを大事にすること

自分が眼に写らない存在を感じたら
それは近くにいらっしゃるということ

このふたつです

今回の沖縄暮らしの終わり前に
ウチナーの方から言われました
「 あなたは今回、
  ※清明祭に呼ばれてきたね」

夢を観た翌日は飛行機移動でしたが
さすがに無事に着陸した時は
思わず合掌しましたね

2024年の清明(シーミー)の節気は
4月4日から4月18日

旧暦の三月上旬、沖縄本島中南部を中心に
祖先供養のまつりが盛大に行われます
シーミー(清明祭)といわれる行事です
那覇市首里近辺では
ウシーミー(御清明)とも呼ばれています。

清明祭は門中(もんちゅう)墓に一族が集まり、
各世帯が持ち寄った重詰料理や酒、花など
お墓にお供えします。
その後、皆でお供えしたごちそうをいただきます。
清明祭はピクニックのような感覚で行われ、
親族の親睦の場にもなっています

清明祭 いなり寿司重箱
お供え

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