ワタシノ足跡 第十七章〜最初で最後の3冠王〜
アサヒビール株式会社に携わり約10年間
最後の1ヶ月のアサヒビールの仕事
全部門営業成績No. 1を達成してから約2年間程
順位を気にせずオンリーワンな営業活動を
地味に展開していました
最後の1ヶ月
最後のNo.1に挑んでみました
その理由としては、
あれは運がよかっただけなのか⁈
今でも過去の自分を超えることが出来るのか⁈
それを確認するため
そして、
お世話になった上司や周りの皆様へ
多謝を形にしたかった
選んだ商品は
アサヒビールグループである
ニッカウヰスキー シードル
シードルを選んだ理由としては
酒の席で直属の上司(ニッカウヰスキー出身)に
アサヒビールの販売商品の中で
一番身体にいい物を訊ねました
その答えが、りんご果汁100%のシードル
「わかりました、シードルですね!
シードルの月間売上No. 1を最後に目指します‼︎」
上司に宣言しました
【 がんばって! 】そんな答えを待っていましたが
【シードルは、やめときな。
あれは東京とか大阪とか富裕層の多いエリアで
売れ行きの良い商品だから
ちょっと、鹿児島では難しいと思うよ】
まだ鹿児島に赴任1年目の上司
私がNo. 1を連覇していた頃を知らない
【鹿児島では難しいと思うよ】
その言葉で
「やってやりますよ‼︎」
言葉に出さず静かに私の魂に着火しました
芋焼酎王国の鹿児島での麦焼酎かのかの展開活動から
始まったアサヒビールでの自分の歴史
鹿児島では無理といわれた商品の数々の道を拓いた
そんな自負もありました
他にもシードルを選んだ理由があります
シードル工場に問い合わせしたら
青森産のりんごを使用しているとの事でした
(当時の話で現在はわかりません)
青森県産のりんごを使って製造されたシードル
2011年の東日本大震災で青森のりんご農家さんも
大きな被害を受けましたので僅かでも青森の為になり
間接的に応援出来るのであればと思いました
我が街 鹿児島でもシードルのような
小洒落て容姿がちょいといい
お値段が高めの商品を定着させて
お客様のお酒LIFEに
「ちょっとだけの自分へのご褒美感」という
選択肢を提供したいという想いもあり
また、私が2010年に立ち上げた
ボランティア団体の東日本大震災支援活動に
ご協力頂いた青森県出身 佐藤竹善さんへの恩送り
この3つの理由も加わり
2年ぶりのNo. 1への意志を強くしてくれました
シードルには
スウィートとドライのテイストが2種あります
甘い味付けを好む鹿児島ですので
スウィートの売上No. 1に照準を絞りました
実際のシードルの過去の販売実績を調べると
スウィートがドライより遥かに売上が上回ってました
だからと言ってスーパーなどの陳列棚に
スウィートだけで販売するよりも
差し色といいましょうか
スウィートとドライの二種展開した方が
不思議とシードル全体の売上が上がる。
他の商品販売の経験上
そのように感じていました
鹿児島という土地柄を鑑みて
スウィート6 ドライ4 というバランスでの
商品販売提案で実施しました
月末までラスト10日間
月初早々から営業展開を猛烈にしました
No.1獲得へ手応えは、ありましたが
東京の自由が丘エリアの販売実績が
自分より2割ほど販売実績が上回ってました
ラストスパートの10日間
そしてアサヒビール生活の集大成
もう我武者羅に動きました
一度、商品展示した店舗も
商品演出に手を加えたり
売り場に展示場所を変えたりしました
月末最終日に恐る恐る
全国の販売実績を調べました
東京の自由が丘エリアは2位
☆スウィート1位
☆ドライ1位
☆シードル全体1位
2位に2割マシマシ程の差で
鹿児島というアウェイな状況の中
2年振りのNo. 1
そして3部門No. 1の熨斗をつけて
返り咲きを果たせました
シードルNo.1獲得に困難を示した上司に
販売実績をお伝えすると
【流石、御見事、天晴れ 恐れ入りました‼︎ 】
直立に席を立ち直角に頭を下げて頂きました
「 大きな被害のあった青森のために
微々たることですが声援になれないかと
思い、また竹善さんへの恩送りに成れば!
そう思い動きました 」
と竹善さんに連絡すると
【 全然微々たることでは無いよ‼︎
青森のみんなにも明るい話題になるよ
ありがとううれしいよ 】
と返事を頂きました
過去の自分の実績を超えた事が
次なる自分への声援となりました。
アサヒビール生活に終わりを告げました
つづく