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家庭教育とは

 うちには、小学4年生の娘と5歳の息子がいます。
娘が最近YouTubeをよく見ている。
(注意しないと永遠に見ているのではないかというくらいに><)
娘と一緒に息子もYouTubeを見るようになり、最近では息子もYouTube漬けになってしまいました。息子は5歳で、まだ文字の読み書きが出来ないのですが、しかし今は、音声で検索が出来てしまう!なのでSiriにお願いして、見たい動画をいつまでも見ている始末・・・そして、「もう良い加減にしなさい!!」と妻の怒りの雷が落ちる。
というのが、うちの日常となっています。

叱ると怒る

 ここで突然ですが、少し仏教のお話をします。
怒り(腹を立てる)というのは、仏教では良くない事として説かれています。
煩悩(苦しみを生み出す原因)というが私たちにはあり。その煩悩を私たちは沢山持っていると説かれています。その煩悩を大きく3つにまとめると、


・貪(欲しい欲しいと尽きることなく思う心)
・瞋(腹を立てる心)
・痴(愚痴の心)
  ・・・例えば、旅行に行く日に外に出ると雨が降っている
     「なんで雨やねん」という心。もちろん、雨はこち
     らの都合で降ったり止んだりしないのは分かってい
     ても、愚痴が出る。


 この3つを“三毒の煩悩”と言い、私たちの心を毒するものとして説かれています。
仏教徒は、この貪・瞋・痴を意識して、気を付けながら生活をしています。(腹立てる心をまた起こしてしまった、と反省する程度ですが)
もちろん、欲しいと思うからこそ頑張れたりということもありますが、ここで重要なことは、全ての煩悩に共通することが、我欲であるということ。自分の都合、私利私欲がともなうことです。

 最初に書いた子供がYouTubeをずっと見ているのを叱る。というのは、もちろん子供の為を思って叱っているのですが、たまに、これが煩悩の“瞋(腹を立てる)”が原因で叱っていることがあります。
自分の都合が悪いから叱っているということは、私自身よくあります。子供を早く寝かしつけて、自分の時間を作りたい。その為に「早く寝なさい!」と子供を叱る。私自身よくあることです。

もちろん、親子でもお互い1人の人間でお互いにそれぞれの人生があるので、子供の為に親が全てを犠牲にする必要は決してないと思います。
しかし、叱る時、子供の為に叱っているのか、自分の為に(自分の都合で)𠮟っているのかを自分で分かっていないと、自己中心的な私利私欲の考えが当たり前になってしまいます。子供を親の所有物のように扱うようになってしまいます。

家庭教育とは?

 あるご老僧の説法のお話の中で、「家庭教育とは何ですか?」という質問をされていました。
私は「ちゃんと挨拶をさせること」「間違ったことをした時には素直に謝る」ことを教えることかなぁ、と思いながら聞いていました。
そのご老僧は、

「家庭教育とは、言って聞かせることではなく、真似させることです。言うことを聞かない、と思われているかも知れないが、あなたがやれば勝手に子供は真似してやりますよ」


と言われました。

 確かに、子供を早く寝かしつけようと思えば、自分たち(親)が早く寝れば子供も一緒に寝てくれる・・・子供が寝た後、自分の時間にするか、または早起きして自分の時間を作るか・・・「早く寝なさい!」「いつまでYouTubeを見てるの!」と𠮟る分、自分の時間管理も考えさせられます。

子供は幸せの姿を教えてくれる

 親は気が付けば、自分を差し置いてでも子供のことを心配しますし、何をするにも子供中心となることが多くなります。

旅行に行くにも、ご飯を食べに行くにも、子供の行きたい所や食べたい物を優先して行先を決めることが多くなります。
ここには“子供の為に親が犠牲になっている”という思いは、親には起こっていないようです。子供が楽しんで、喜んでくれることが、親にとっての一番になってしまうのです。
「純粋に自分のことより、他者に喜んでもらいたい。」という心が起こるのです。
そんな出来た人間でない自分も、子供からその心を育ててもらっています。

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