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自由と助け合いはセットだぜ。

You tube等々の動画配信サービスの出現で、

個人が自由に発信できるようになった。

子ども達が見ている動画を時々覗くと、

あんまりみてほしくないと思う動画も

正直、結構ある。

子どものチョイスする動画を、

「それは見ないで。」と云いたくなる事も

多々あるが、グッと堪えている。

(結構、ストレスたまる)

Youtubeで、その動画がでないように

登録出来ないか、調べたりもしたが、

どうもなさそう。

そうか、ここは、言論の自由が大前提

なんだな。と思うに至った。

(あまりに残虐なシーン、刑法に抵触

するようなネタは、もちろん消して頂きたい。)


個人の思想や言葉遣いに関しては、

やはり、言論の自由は守られた方が

社会は健全に作用すると私も思っている

所もあり、相変わらず子ども達は、

私がうーん。と思う動画を楽しんでいる。

仕方ない。それが楽しいのだから。

彼らは私とは違うのだし。


先日、メンタリストdaigo さんがyoutubeで

過激な発言をしていると話題になっていたが、

それは、彼がそう思っている事なのだから

仕方ないと思う。

そういう考え方もあるんだね。

と、受けとめるしかない。

私とは違うな。と思えばいい。

相手にしなければいい。

そもそもYou tubeに、誰かに正論を言って

もらう事を期待する事自体が違うんじゃ

ないかなと思う。

発信しているのは、個人なんだから。

倫理委員会とかスポンサーとか、

コンプライアンスとかスルーして

発信できるツールなのだから。


オンデマンドだし、見たいもの聞きたいもの

も自分で選べるから、

違うなと思ったら、はね除ける。

ドラスティックに、はねのける。

自分に一切取り込まない。

もしくは、反論する動画をアップする。

そういう覚悟を持って、利用するツール

だと思う。

Youtubeをはじめ、自由に発言できる

ツールが生まれ、

個人が個人らしく発信できる。

その人らしく、発信できる。

世界中に発行できる。

かつてない新しくて自由な時代。


一方で、今まで以上に個人の倫理観が

試される事になるのかも。

極論で最悪の事態を招いたとされる

歴史上の人物としてヒトラーが

あげられる事は珍しくないが、

ヒトラー1人で、あの惨劇を生んだのか?

私はそうは思わない。

彼の思想に同調し、彼を煽り、組織化し

うまい汁を吸おうとした者たちがいた筈だ。

ヒトラーの思想に同調する人間が

いなければ、

彼の先導に、もっと冷静で客観的に距離を

持って、そのおかしさに巻き込まれない人が

大多数だったら、

あんな事にはならなかったと思う。

今、動画サービスを観ている個人個人が

またヒトラーを生むかもしれないリスクと

隣り合わせ。


自由とは。。

自由とは。。

それが言論であっても、生きる権利で

合っても、自由のあるところには、

必ず、選ぶという事がついでまわる。

何を選ぶかという思考や責任もついて

まわる。

もしかしたら、振り回されない強さも

必用なのかもしれない。

そう考えると、

なかなかの重責。

自由になれば成る程、人はパワーが

必要になる。


生まれつき強くて、

さらにずっと強いままでいられれば

いいのだろうが、

人生、いつ何が起きるか分からない。

それに、人は必ず老いる。

ずっと若くて元気で病気知らずで、

誰の世話にもならないぜ。

なんてのは、ないと思う。

おそらく誰にでも弱る時がある。

だから、助け合う必要がある。

助け合って生きる前提がないと、

自由な社会は実現できないと思うんだよな。







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