男社会に敗北宣言。
昔、サラリーウーマンをしていました。
お茶汲み、コピー係、文房具の補充に
トイレットペーパーの補充、
郵便物の送付に社内配分。
ひたすら電話当番。
上司の使い走り。
屈辱的でした。
大学までは、性別なんて関係なかった。
成績、学内活動、リーダー担当、
全て平等にやってきた。
社会に出た途端、
男性の召し使いになってしまった。
それでも抗って、
何とかお茶汲みやコピー係を脱却。
男性と同じ様に、一担当としての
ポジションを手にした。
が、給与には大きな差があった。
やはり、屈辱的だった。
目を見張るほど有能な女性の先輩方も
仕事内容は課長並みなのに、
主任以上には上がれない。
係長になるなんて神がかってる位の
奇跡的な事件。
まるで昇進できない。
そういうのを見るのも
ほんとうに屈辱的だった。
出産した後の彼女たちの疲弊して
いく様は端から見ていても明かだった。
私は会社を出た。
出産し、専業主婦になった。
そうしたら、召し使いに逆戻りして
しまった。
前よりも、もっと本格的な召し使い。
本業が子育てになったはずだが、
ご飯をつくり、洗濯をし、掃除をし、
家系を管理し、雑務処理。
完全なお世話係りになってしまった。
これといって非凡な才能も今のところ
みつからない私は、
子育てだけでは、
彼らの社会の土俵にも上がれず、
評価もされず、
これ程までに、全力を尽くして、
子育てに家事をしていても、
社会からは非労働者として扱われ、
そろそろ疲れ果ててしまった。
彼らと同程度では
社会で、彼らと同じ様には生きられない。
働けない。
出産すると、一層、その世界は遠退き、
子育てしながら、働くイメージすらも
湧かなくなってしまった。
目指していた遠くの摩天楼は霞んで、
見えなくなってしまったような感じだ。
会社を離れて10年。
やっと言える。
私は男社会で生き残れなかった。
彼らほど有能ではなかった。
敗北。
家族を底支えするポジションに
誇りを持つことにし、
我が家の家計が維持できる限り、
満を持して、
家で三食昼寝付きに専念するのも
悪くない。
やっと、彼ら同じように働く事を
諦められそうだ。
新しい人生の幕開け。
祝。