半藤一利『日本のいちばん長い日』
8月6日に広島、同9日に長崎へ原子爆弾が投下された。投下前の御前会議では、降伏か戦争継続かで意見が紛糾していたが、それ以降はおおむね無条件降伏という形で議論がまとまった。なぜまとまったのかといえば、昭和天皇による直々の御聖断があったからである。
一億玉砕を訴える青年将校らは、阿南陸相のもとへ行き、説得を試みるも、陸相は御聖断には逆らえないとして、説得を退けた。
【各青年将校の主張】
井田中佐・・・全将校が自刃することによって、敗戦の責任を取る。
畑中中佐・・・降伏したところで国体護持できるかは不透明なため、軍人たちだけでも逆賊の汚名を受ける覚悟で戦争完遂させる。
畑中少佐と椎崎中佐は井田中佐のもとを訪れ、森師団長の説得に出馬してもらいたいと頼んだ。井田中佐が「森師団長がうんと言わないときにはどうするつもりか」と問うと、畑中少佐は「斬る覚悟がなければ成功しない」と言った。
8月14日深夜、ついに玉音放送の録音が始まった。スタッフは皆、涙をこらえながら録音に臨んだ。11時50分に無事終了し、降伏への第一歩が終わった。
同じ時刻、井田、畑中らクーデター計画者たちが一同にそろい、いらいらとした期待の感情をもってその時を待っていた。
井田中佐が熱心に森師団長の説得をしていると、隣室にいた水谷参謀長、畑中少佐らが師団長室に入ってきた。事件はあっという間だった。畑中少佐らは素早く森師団長と部下の白石中佐を斬り殺してしまったのである。これにより、反乱軍はもう後に引けなくなった。
畑中少佐は自らが殺した森中将の印で、宮城通信網を遮断すべしといったニセ命令を出した。その後、反乱軍は下村情報局総裁や放送局員を拉致した。
結局、畑中らが出したニセ命令はばれてしまった。畑中らはせめて十分間だけ自分らの気持ちを一般国民に聞いてもらいたいと参謀長に頼んだが、それも却下され、計画は完全に頓挫した。それと同じ頃、阿南陸軍大臣が自刃した。
8月15日午前7時21分、天皇陛下自らの御放送という予告が全国に流れた。米国からの攻撃も停止され、15日正午、玉音放送が全国に流れ、日本は敗戦した。