*相反する性質とバランス
セッションの中でお客様のオーラの詳細を拝見させて頂いていてよく見えてくるのは、自分で短所だと思っている性質が、実はその人の全体のエネルギーバランスを保つ役割をしている事があるという事です。私はサイキックリーディングを行う時、全てを「エネルギー」としてキャッチしており、それを言葉に直してお客様にお伝えしているのですが、この場ではそのまま「エネルギー」という言葉で表現しているので、ちょっと伝わりにくいかもしれませんね。
話が戻りますが、リーディング#2のセッション(深いリーディング)でお客様のエネルギーフィールドを深く探って行くと、バランスを取っているそれぞれのエネルギーが見えてくることがよくあります。それらは相反するエネルギーである場合が多く、片方は本人が肯定し、受け入れることが出来ているエネルギーであり、もう片方は本人がなかなか受け入れることが出来なかったり、否定的に捉えているエネルギーだったりします。その人が否定的に捉えている部分は、もしかしたら、もう片方の肯定的に捉えている部分のエネルギーを支えるために役立っている可能性があります。そして、その逆もまた同じです。「エネルギーを支える」とは何のことを言っているかというと、片方のエネルギーが大きくなり過ぎて、偏ってしまうのを防ぐことを指して言っています。
多くの人々が、自分の中に相反する性質、または相容れない性質を持ち合わせていると思います。それは2つのみに限らず、7つ或いは8つ、または数えきれないくらいの数ほどあったりして、人によってその数は異なります。例えば、ある人が「何でも相手のいうことを受け入れてしまう性質」と「プライドが高く、簡単に人を寄せつけないような性質」の両方を持っていたとします。このどちらかの性質を当人が否定的に捉えて、その性質を抑えて抑えて出さないようにしていたり、またその逆に、肯定的に捉えた方の性質ばかりを「自分そのものである」として表現し続けていたとしたら、そのエネルギーは次第に膨張して行き、その人の内的な(または心的な?)バランスが崩れていきます。それで一旦バランスを取るために、今度はその性質と相反するエネルギーが無意識に発動します。これをシーソーの動きなどを想像して当てはめて頂けると少し伝わるかもしれませんね。または、あまりにもテンションが上がって陽気な気分になり、はしゃぎ過ぎた数日後、気分がドーンと落ち込み、何もやる気が起きなくなってしまう、というような心の現象と似ているかもしれません。私はこのようなことも、エネルギーの動きによるものだと思っています。または、バランスの法則のようなものが働いているのではないかと思っています。
人もエネルギーで出来ていると捉えれば、バランスを欠いた時には、それを調整してバランスを取るためのエネルギーの動きが生じるのではないかと思うのです。それで例えば、プライドが高く、人を寄せつけないという性質の自分ばかりを表現していた時、もしかするとその人は、もう片方の相反する性質を持つ自分を表現する機会をどんどん失って行き、それが苦しくなってしまうかもしれません。苦しいと感じた時点で、おそらくは既にバランスが崩れている状態に在ります。または、突然暴走、爆発してしまうかもしれません。暴走・爆発の仕方はそれぞれに異なりますが、急に相反するエネルギーを取り込もうと必死になったり、そのエネルギーに偏っているかのような行動をし始めたりするかもしれません。先ほどの例で言えば、今度は突然「他人のいうことを何でもかんでも受け入れてしまう」という性質の自分に偏って表現し始めるということです。
または「プライドが高く、人を簡単には寄せつけない」という性質を肯定的に捉え「他人のいうことを何でもかんでも受け入れてしまう」という性質を否定的に捉えた場合、前者の自分を表現してばかりいたなら、その人はどんどん高飛車で人を見下すという性質が強くなって行ってしまうかもしれません。そのエネルギーを抑える(バランスさせる)ために、他人を何でもかんでも受け入れてしまうという性質も合わせて持って生まれて来ている可能性もあります。それは魂の学びのために、です。まあ、2つの性質について、それぞれオーバーな表現で書きましたが、プライドが高く、人を簡単には寄せつけないというエネルギーについて違う見方をすれば、高嶺の花だとか、憧れの存在などとも捉えることも出来るかもしれません。また、他人のいうことを何でもかんでも受け入れてしまう、というエネルギーについては、受容力がある、おおらかさ(ゆるさとも言う?)優しい、とも捉えることも出来るかもしれません。これは単なる例ですが、その他にも色々な性質の組み合わせで、多くの人々が相反する性質を自分の中に持ち合わせている事と思います。(中にはこのような葛藤が殆どない人などもいると思いますが・・・)
ただ、どちらの性質も自分の中にあるエネルギーであり、それはけして不要なものではありません。その性質を見ている人が単に「良い」「良くない」のレッテルを貼っているだけであり、本当はどちらの性質にも「良い」とか「良くない」などというものはないのです。そのレッテルを、社会的な定義に当てはめて貼っているのだとしたら、自分自身が可哀想だと思いませんか。他人が人にレッテルを貼りたがるのは止められませんが、せめて自分自身だけでもレッテル貼りを止めてみるのはいかがでしょうか。エネルギーの視点から見ると、多少バランスが取れていないものがあったとしても、自分の中にあるものは、どのようなエネルギーも大切なエネルギーです。バランスが取れていない部分は、調整してバランスさせることも可能なのですから。