「信じるって難しい」

あなたは、どこまで人を信じますか?
私はいつも、どこまで信じていいだろうかと迷います。なぜなら、裏切られるのが怖いからです。

最近交遊関係が広がり、今まであまり話す機会のなかった年上の人や、友達と関わるようになりました。新しい出会いは生活を豊かにしてくれますが、心はなかなか落ち着きません。一挙一動に振り回されて、嬉しくなったり、予想外なことに落ち込んだり、いろんな感情を経て初めて安定した関係性に落ち着けるのだと思います。

例えば、明日原宿駅で芸能プロダクションを名乗る人物に声をかけられたとき、私はその人の言葉を信じるだろうか。どうせ嘘くさい別の勧誘だと信じなければ、自分は守られるでしょう。傷つくことも、リスクを負うこともない。でも、もし信じたら、別の人生が開けるのかもしれない。ただ、信じることは同時に大きなリスクを背負うことになる。  

極端な例ですが、要するに信じるって相当なエネルギーを必要とすることだと思うのです。信じるの対義語は、裏切られるだと思っているのですが(実際は知りません)、人間誰しも裏切られたくなんかないでしょう。だから人は安易に信じることを避けるし、信じて失敗した人を笑うのです。

疑いを持つことは大事だと思います。悪意をもって提示されることだってありますし、作られた部分を見ていていい人だと思っていたけど、蓋を開けてみたらとんでもない人だった、なんてこと一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

でも、裏切られるのが嫌だからやたらと疑ってかかるのは違う気がするのです。本当はもっと別の部分があるかもしれない、友達はああ言ってたからやっぱりいい人じゃないかもしれない、とか揺れる気持ちはあっても、自分の感覚を信じることだって必要なんじゃないかと思います。なぜなら、感じ方はひとそれぞれだからです。

私の親友の彼氏は、女好きで有名な人でした。外から見れば女の子をとっかえひっかえ、まあ恋愛に関して良い噂を聞かないような男です。友人たちは皆あいつとはやめたほうがいいと、口を揃えます。
その彼女である私の親友は、とても堅実な人です。最初に彼と付き合うという話を聞いたときは、正直心配しかありませんでした。もちろん彼女も、彼が女好きで有名なことは知っていました。彼女なりにおそらく腹をくくって決めたことなのだと思います。

彼氏のほうはもって数ヶ月で有名でしたが、彼らは遠距離で1年半近く続いています。では、これまでと何が違ったのか?それは、彼女が彼のことを本気で信じたからだと思います。たとえ周りになんと言われようとも、信じ続けた彼女の思いが彼を変えたのではないでしょうか。

どれだけ本気で信じても裏切られることもあるでしょう。しかし、信じなかったら得られないこともたくさんあるのではないかと思います。「信じる」ことは難しい。でも、「ちょっと信じてみる」を増やしていくと、これまで見えなかった世界が開けてくれるかもしれない、と私は思うのです。

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