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6.大きなオマケがふたつ!

6-1.退院したけどビリビリ痛いよ?

7月2日。予定より2日ほどオーバーして、僕は無事に退院した。退院前夜の病院食は、偶然にもすき焼きで、まるで僕の退院を祝うようだった。翌朝、最後まで世話になった特別個室を片付け、荷物をまとめた。病院の会計で、ほぼ見積もりどおりの50万円を支払い、タクシーで家に帰るとさっそく寝込む。なんせ腹に5つも穴が空いている身だ。痛み止めもしっかり飲んでいるが、それでも痛い。痛くて痛くてたまらない。とにかく安静だ。それでも夕方になると、僕は街に出た。ここは意地の張りどころだ。行きつけの呑み屋で飲み食いをして、カラオケスナックで歌う。腹に穴が空いている割に、ちゃんと声は出た。僕は病気になって治療したけど、心まで病んだ訳じゃない。退院したからには、普段通りのことをやるんだ。それがOKだから、病院側も退院させたのだろう?僕はそのままいつもの日常に戻っていくつもりだった。酒とバラの日々(笑)に。

退院の翌週くらいまで、経緯は悪くなかった。傷の痛みも収まるものと思っていた。しかし収まるはずの痛みが収まらない。鎮痛剤のロキソニンは、1日2錠までと言われていたが、4錠、6時間おきに飲んでもまだ痛い。しかも痛みの感じが違う。左右の足の付根の少し上部あたりが激しく痛む。なんとか日常生活を送りながらも、痛みは日を追って酷くなる。なんだこりゃ?退院2週間後の連休中、僕はお昼に蕎麦屋に行き、そこで動けなくなった。痛みのあまり、掘りごたつから脱出できなかったのだ。僕はそのまま総合病院に駆け込んだ。あいにく休日の外来で特別の費用を取られたが、そんなこと言ってられない。痛み止めの座薬をもらい、翌朝のCT検査をお願いした。翌日は早朝からCTを受けたが、結果は大きな問題なし。心配された、大腸の吻合不全などはなく、手術した箇所はすべてキレイにつながっていた。ただし腹腔鏡を入れた時、左右下側の腹腔鏡が、腰から腿につながる筋肉に穴を開けており、CTで見るとその周囲に炎症反応がある。痛みの原因はそれだろうといわれた。

なるほど。筋肉の穴周辺の炎症か。僕はホッとした。術後なんだから痛いのは仕方がない。ただしその痛みが「耐えればよい」ものか「耐えたらダメ」「すぐに医者に行かなきゃダメ」なのか、その区別がつかないのが困るのだ。今回の痛みは「耐えればよい」ものだという。ならば薬の力を借りて耐えるのみだ。ロキソニンを飲み、座薬を使い、痛みに耐える日が始まった。痛みの発生源は、確かに左右の下側の腹腔鏡の傷付近、と思われた。ところがだんだんと様子が変わってきた。日を追って皮膚の表面がチリチリ、ビリビリ感じるようになった。大げさにいえば、細かなガラスの破片が無数に埋まっている感じ。ちょっと押すだけでビリビリ痛い。神経過敏になってる。しかも痛む箇所も変わってきている。なんだか変じゃないか?鎮痛剤は効いている感じがない。ロキソニン4錠に加えて、痛み止めの座薬も1日4回入れるようになった。それでも痛みは全然治らない。明らかに鎮痛剤の使いすぎで、それもまた心配だ。そんな悲惨な事態だったが、僕は幸い、椅子に座ることはできた。だから何とか自宅で仕事を続けることができたんだ。

手術の傷跡そのものは、この時点でほぼ問題なしだった。腹腔鏡のための1センチくらいの穴が、腹に4ヶ所あるが、もう虫に噛まれた跡みたい。そしてヘソの下の5センチの大穴も、傷のケロイドはあるが触っても痛くも痒くもない。ただただチリチリした痛みだけが問題だった。だがしかし僕は、経験的に知っている。自分の病気とあまり向き合ってはダメなんだ。安静状態で目を閉じて、体の中に異常を探す。そりゃ多かれ少なかれ、痛いとか痒いとかあるよ。小さなそれを拾い出して、痛い痛いと考えていたら、痛みが育ってくる。痒い痒いと思っていたら痒さも育ってくる。わざわざ苦痛を培養しているみたいなもんだ。それより痛みを忘れる方向で、仕事に集中する。作業に熱中していると時間を忘れる。痛みもいつの間にか和らいでいる。人体なんてそんなもんだ。だがしかし、横になるのはダメだった。体を起こしている状態から寝る。寝返りをうつ。体にかかる重力の向きが変わる。その時、突然の激痛で呻いてしまう。

そうこうしているうちに、痛みの箇所は右側の足の付根、鼠径部に集中してきた。なんとも微妙な場所である。そこにザクッと突き刺す痛み、バリッと皮膚を剥ぎ取る痛み、ジュッと熱湯をかけられる痛み、がランダムにやってきた。ええ大人が思わず泣くほどの痛み。寝る、起き上がる、体の向きを変える。そういう動作のはずみで、痛みはいきなりやってくる。しかし同じことをしても、来ないときもある。再現性がないのだった。苦闘しているうちに、退院から1ヶ月近くになった。退院1ヶ月でこの有り様は明らかにおかしいと思った。ある夜僕は、ついに痛みで眠れず、夜の3時からソファで過ごした。そして朝一番で、最初に総合病院の紹介をお願いした町医者に駆け込んだ。眠れない中、ネットで調べたところ、僕の痛みはどうやら神経性のような気がした。いくつものペインクリニックのHPに、僕とそっくりの悩みが書かれていたんだ。

6-2.これはもうペインクリニックやろ?

僕は主治医に「どこかのペインクリニックを紹介して欲しい」と頼み込んだ。ネットによると、神経性の痛みには、炎症などに効く鎮痛剤は効かないらしい。どうりであれだけ鎮痛剤を使っていても効果がないはずだ。神経の専門医であるペインクリニックに行くしかないのだ。ところが主治医は、まあまあと僕をなだめた。いきなりそんなこと言わず、とりあえず今かかっている総合病院に行きなさいよ。今すぐ電話してあげるから予約なしで大丈夫だから。総合病院は渋っていたようだが、主治医が電話で強めに押し込んでくれた。総合病院は徒歩10分の距離だった。僕はそのまま腹を押さえて、真夏の炎天下を病院まで歩いた。通常の予約外来と違う扱いで、いつもの外来診療の方々とは違う、若くて利発そうな女医さんが出てきた。女医さんは僕の訴えを聞いて、神経系の痛みに効く鎮痛剤を処方してくれた。なんとその薬がしっかりと効いたのだ!

薬は「リリカ」という名前だった。なんか女の子みたいな名前やな。薬局で薬を受け取り、待ちきれずその場で服用する。するとしばらくして、下腹部のピリピリ感に変化が感じられた。これまでいくら鎮痛剤を飲んでも、何の変化もなかったのに、はじめて変化の予兆が感じられた。それまでスカスカと空振りだったのが、やっと指先がかかった感じだ。夜になった。相変わらず痛みはあったが、なんとか左向きなら眠れるようになった。右向きは痛くて痛くて、どうしてもダメだった。それでもベッドで眠れたんだから大進歩だ。その翌々日、いつもの予約外来の時間、僕は担当医にそれを伝えた。そうですか、リリカが効いていますか。では1日2錠で2週間ほど様子を見ましょう。僕は薬をたくさんもらって帰宅した。しかし依然として不意打ちの強烈な痛みがある。その翌々日、撮影のために外出した僕は、結局、1日に4錠リリカを飲んでしまった。それ以降、1日4錠でないと動けなくなってしまった。

毎日が痛みとの格闘だった。ネットによると、僕の症状は「神経障害性疼痛」にそっくりだった。神経障害性疼痛とは、文字通り、神経が傷つくことで、痛みの信号が出すぎて、ピリピリ感や激痛を感じるもの。たぶん外科手術の時に、右鼠径部に近い部分の神経を傷つけたのだろう。炎症の痛みが引くにつれて、僕の痛みは神経性のものに移行していったのだ。そしてリリカはまさにその神経障害性疼痛のための薬。リリカが効くんだから、神経障害性疼痛であることは間違いなさそうだった。まあ病気ってのはそんなもんで、正体が分かるまでが大変なんだ。正体さえ分かれば対処方法はある。それならもう毎日格闘していること自体がムダである。担当医は2週間といったけど、僕は外来予約を変更して、1週間後にもう一度総合病院に押しかけた。そしてハッキリとお願いをした。先生、僕が求めているのは、様子見ではなくて治療なんです。処方してくださったリリカは効いています。ただし効きが弱くて、すでに僕は倍量飲んでいます。そうしないと動けないんです。

僕は担当医にハッキリ言った。リリカが効くのだから神経障害性疼痛なのでしょう?手術の時に神経を傷つけたんじゃないかとか、そのへんは何も言いませんから、いますぐ専門医につないで、治療を開始してください。言っては悪いがここは消化器外科でしょう?神経障害性疼痛の診断確定はできないのでしょう?僕は様子見ではなくて、診断確定と治療が欲しいのです。いますぐに専門医につないでください。担当医も理解してくれたが、しかしあいにく、その総合病院に神経科はなかった。神経の痛みとなると整形外科のリハビリ対応になるという。それは何か思ってるのと違う。それなら先生、近所のペインクリニックに紹介状を書いてください。僕は60代になって、もう何でも遠慮せずハッキリ言うんだ。遠慮してるうちに寿命がきちゃうからだ。担当医がその場で調べてくれたクリニックは、眠れぬ夜に、僕がネットで探したのと同じところだった。そこでいいです。僕は紹介状をもらって、その足でクリニックに行った。午前中の診療時間ギリギリの滑り込みだった。

6-3.痛みからの解放が見えてきた

ペインクリニックで診てくれた医者もまた女医さんだった。優しい感じの方だった。後で聞いたことだが、痛みは精神と大きな関係があり、不安は痛みを呼び起こす。だからまず不安を取り除いてあげるのも治療のうちらしい。有り難かったのは、僕の1日リリカ4錠を、間違っていないと言われたことだ。私はリリカは専門なんです。一般には2錠とか言われるけど、経験上、6錠までいける。それを越えても大丈夫だけど、見合った効果がない。貴方は4錠ではなく、朝昼晩、そして寝る前に2錠、つまり1日5錠飲んでください。私がそのように処方します。この言葉は、薬の飲み過ぎを心配していた僕の不安を解消してくれた。さすが専門医だと思った。もう大丈夫ですよ。3ヶ月見てください。私が治します。まるで慈母のような先生だった。大げさだけど毎日、痛みとの格闘でヘロヘロだった僕にはそう見えたんだ。

僕が処方されたリリカの飲み方は、かなり多め、1日5錠をどんと入れる。薬の血中濃度を濃く保って、神経の興奮を押さえ、痛みの信号が出ないようにする。そしてその状態を体に「覚えさせる」。言い換えれば、痛みを「忘れさせる」。それを一定期間保ったのち、段階的にリリカを減らしていく、という方法のようだ。それにしても、と僕は思う。リリカという薬は本当に不思議だ。だって体のどこの疼痛にでも効くんでしょ?これが頭の痛みなら分かる。腰の痛みにはこの薬、ってのも分かる。しかしリリカはどこでも効く。すごい万能薬じゃないか!というか、つまり、体のどこでも、疼痛が起こる機序は同じなのだろう。だから薬が同じように効く。理屈ではそのように理解できるが、それでも、不思議なもんは不思議だ。僕はリリカを大量処方してもらった。病院を出たとき、そのクリニックの看板を撮影して、SNSにアップした。次のようなテキストを添えた。「さすがワタシ。お盆休みに入る前に、ちゃんと専門医に辿り着いた!」

その日の夜も、僕は飲酒のうえ、リリカ2錠とベルソムラを飲んで寝た。ちゃんとシーパップも装着した。もちろん怖いので右側は向かない。なんだか、とても深く眠った。翌朝の目覚めは、上を向いたまま、突然、すっと覚醒がきた。なんかごちゃごちゃした夢を見ていた気がするが、その記憶はすぐに消えていく。シーパップを外したりもしていない。どこも痛くない。何の異常もない。珍しく良好な目覚めだった。その後もリリカを1日5錠飲んでいると、右鼠径部の強烈な痛みは出なくなった。相変わらずチリチリした感覚はあるが、あの強烈な痛みはない。もちろん確認するために、わざわざ無茶な動きをすることはない。それなりに慎重に動いてはいるが、僕はその翌日から、普通に寝返りが打てるようになり、自転車にも乗れるようになった。専門医が与えてくれた安心感も大きいのかも知れないが、まったくこれまでの苦闘は何だったんだ?

人生とは、睡眠で途切れ途切れになるけれども、連続した意識の旅である。それには区切りがないので、どこかで区切らなければならない。慈愛に満ちた女医先生と出会い、神経障害性疼痛の治療に目処がついたところで、今回の僕の旅は、ようやく終わりが見えてきた気がする。この痛みはおそらくきっと治る。総合病院との関係も、まあ、落ち着くところに落ち着くのだろう。生活と仕事がどんどんと動き出し、旅を終えた僕は、また日常の中に紛れていく。それはたぶん、とても幸福なことなのだろう。そう思えたところで、僕は一旦、この稿を終えたい。次の旅がいつになるか、どんな旅になるのかは分からないけど、これを読む奇特な方々とも、また機会があれば会えるでしょう。どうぞそれまでお元気で。僕も元気でやるつもりだ。次の闘病までお元気で、というのもおかしな話ではあるが。

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