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僕が情熱を失った日 第3部 幼少期からの思い出が消えた日

第3部 「幼少期からの思い出が消えた日」

続いては城戸の死後わずか数日後に起きた出来事である。
この出来事はその後から今に至るまでの俺の人生を良くも悪くも大きく変え、情熱を捨ててた期間に起きた一番大きな出来事だろう。
2023年1月25日に東急電鉄からとある車両が姿を消した。それは田園都市線で活躍していた8500系だ。



オールステンレス製のその車両は、側面は綺麗に輝くシルバーのコルゲート車体で、前面は切妻構造の所に赤色の帯を貼り付けたシンプルなデザインだが、洗練された車両であった。1975年のデビュー以来多摩田園都市からメトロを経由して東武線方面まで駆け抜け活躍した電車が終焉した日である。
自分は祖父母の家が田園都市線沿線にある関係で幼少期からこの電車を使っていた。当時、電車の絵を描くのが好きだった自分は、このシンプルなデザインは他の電車より描きやすいからよくこの電車の絵を描いていた覚えがある。当時の自分はJRの新型車ぐらいしか鉄道とは接して無かったので、車内に案内用のテレビジョンと自動放送が無く、扇風機が設置され、床下からは聞いたことのない低音のうるさいモーター音のこの電車はその非日常性から俺を8500系の世界へと惹き入れた。



本来であれば2010年代の初頭には全車の置き換えが終わる予定であったこの車両だが、2010年のJAL倒産の影響で、JALの大株主だった東急は大損害を被った上、東横線に副都心線との直通に備え新車を大量増備しなければいけなかったので田園都市線の8500系の置き換えは2018年まで中止された。中には廃車になった8500系が復活して、その分余剰になった新車を東横線に回したりした影響により、田園都市線の主力車両は変わらず8500系だった。
小6の頃から塾の行き帰りの時に渋谷駅で少しずつスマホでこの電車を撮るようになった。自分が小6の時はこの電車の置き換えが中止されていた終末期であり、下手な写真ながら、貴重な記録となっている。
そして中学1年の頃から再び少しずつ8500系が廃車される。時間が経つにつれて置き換えペースも早くなる。


20年5月には最後まで原型を留めてた編成が廃車に。この編成は今も東急テクノシステムで保存されている。



20年初夏にはブルーハワイの色を纏った編成が廃車に。
自分がコロナで自粛している間に特徴的な編成が廃車になってしまった。20年の夏休み中からは撮影活動を再開して、再びこの電車の記録をどんどん集める。
2021年に入ってからは月に1本から2本のペースで廃車になる事もあった。



21年8月の写真。手前にいるのは保存車。奥にあるのが廃車になった車両。



廃車になった当日の写真である。ドアのガラスにドア挟み注意書きのシールと広告シールが無いのが特徴である。




2週間後には次の編成が廃車になり、先程の編成はブルーシートを被り、トラックの台車に乗せられている。この日の夜に解体場へ運ばれた。
このペースで廃車が続き、2022年を迎えたのは2編成のみだった。そして4月頃に引退の発表がされる。引退に伴いイベントも開催される事が決まった。



引退記念イベント第1弾は撮影会だった。もちろん参加した。残ってる2本を並べての撮影会である。



普段は見れない角度から写真が撮れたり、綺麗に2本並んでる姿も撮れ、運転台の撮影も出来た。小さい頃はこのマスコンを握ってこの車両を運転するのが夢だった。
撮影会の翌週にも動きがあった。

残る2編成にさよならヘッドマークの取り付けが行われた。各編成両先頭車でデザインの違うヘッドマークが取り付けられた。



ヘッドマークが付いた翌月には最後の赤帯編成が晴天の中、長い生涯を終えた。ちょうどこの日は学校の修学旅行最終日で見にいけなかったのが悔やまれる。
残り1本になった後も追いかけ続けた。



引退記念イベントの一環として臨時運転も行われた。11月の臨時運転最終回は乗車できた。



最後の1本は東急Bunkamuraのラッピング車で、他の8500系とは違って青帯でカラフルな車体だった。
時には部活を休んだりしながらも撮影をし続ける事8ヶ月。遂にその時がやってきた。



2023年1月25日、8500系は東急電鉄を卒業した。
8500系が居なくなったとの虚無感というのは今まで体験した事のない事だった。心の拠り所にしていた電車が消え、全てを失ったような感じである。幼少期から乗り続けてきた思い出や、中学に入ってから暑い日、大雨の日、雪が降る日でも追いかけ続けてきた思い出を思い返すと泣いていた。一方、毎日8500系の動向を見続け追いかけ続けた生活が終わり、謎の解放感もあった。大好きだった電車が消えたことにより俺の情熱は燃え尽きてしまった。そして、鉄道に対する情熱はその後も完全に回復してない。受験期に突入する寸前で引退したのである意味学業の面からすればいいタイミングでの引退ではあった。俺は受験を終えた後も、鉄道に対する情熱が再び燃えるかが不安な思いがある。鉄道が完全に冷めた日には、無気力で何も出来ない人間になってしまうと危惧している。



車両基地公開で再び会えた時は情熱が燃え始めたがすぐに弱くなった。ただ、沖縄の修学旅行から帰ってきた翌日に無理して行った甲斐はあった。
受験が終わった後の俺のやるべき事は鉄道に対する情熱を点火させる事から始めないといけないだろう。俺はいつまでも鉄道への情熱を追い求め続けるだろう。
最後に自分は東急電鉄に感謝の言葉を贈りたい。引退記念のイベント時に職員さん達も8500系が好きなのが非常に伝わってきて、楽しい企画でした。このような企画をして頂きありがとうございました。
そして最後にもう一言

さらばハチゴー


追記
執筆後の2024年8月2日に8500系が4両編成の臨時用車両として復活する事が東急電鉄から発表された。
これで俺の情熱への心配も取り越し苦労で終わるだろう。大好きだった電車が帰ってくる事は今までの人生の中で一番嬉しい事である。8500系にはかつての栄光を取り戻して欲しい。



引用
東急電鉄株式会社 https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/230125_8637F.pdf
東急電鉄株式会社 https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/220525_8500%25288631F%2529.pdf220525_8500%25288631F%2529.pdf
(2024年7月30日入手)
東急電鉄株式会社
https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/20240802-8500-d.pdf
(2024年8月2日入手)

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