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鼠の浄土 「黄泉の国、根の国・底の国」~ 古事記の暗号 7
日本昔話で「鼠の浄土」という話があります。
「おむすびころりん」ですね。
おじいさんは昼食のおむすびを食べようとしたが、それを落としてしまう。
おむすびは坂を転がり穴の中に落ちたので、おじいさんは穴の中まで追いかけていった。
穴の中にはネズミの国があり、おじいさんはネズミたちから財宝を授かる、という話です。
異界を訪問し、そこから宝物を持ち帰るパターンのお話ですが、この元ネタは「オオナムチ(オオクニヌシ)の根の国訪問」でしょう。
オオナムチは兄弟である八十神たちに二度も殺されます。
見かねた母神のサシクニワカヒメは、オオヤビコに託し、オオヤビコは「スサノヲのいる根の堅州国に行け」と助言します。
根の国を訪問したオオナムチは、スサノヲにより「ヘビの室、ムカデとハチの室」に入れられるという試練を受けますが、スセリヒメの助けにより難を逃れます。
平気で室から出てきたオオナムチを見て、スサノヲは草原に連れていきます。
草原に向かって矢を射て、それを拾ってこい、と命じます。
オオナムチが草原に入ると、スサノヲは火を放ちます。
今度はスセリヒメも助けることができません。
オオナムチは火の海に囲まれ絶体絶命の大ピンチです。
その時、ネズミがやってきて、「外はほらほら、中はすぶすぶ」と言います。
オオナムチが地面を踏みしめると、地面が割れ、穴の中に落下するのですが、そこに隠れているうちに火は燃え尽きて消えてしまいます。
オオナムチはネズミのお陰で命拾いしました。そればかりか、ネズミは、スサノヲの放った矢まで咥えて持ってきてくれたのです。
ネズミに命を救われたオオナムチは、その後、生大刀・生弓矢、天の詔琴という宝物と、スセリヒメまでゲットして、根の国を後にします。
そして、オオナムチはオオクニヌシとして生まれ変わり、出雲の王になるのです。
異界を訪問し、そこから宝物を持ち帰り、生まれ変わるストーリー。まさに「ネズミの浄土」の元型です。
ところで、ここで気になるのは「根の国」とは何か?ということです。
ネズミは、「根・棲み」であり、「根の国」の住人とされています。
ウィキペディアには「ネズミの巣穴は黄泉の国、浄土への入り口と言い伝えられる地方がある。」という記述がみられます。
浄土は、仏教の言葉で「仏の住む清浄な世界」のことですよね?
イメージ的には極楽浄土で、天国みたいな感じがします。
黄泉の国と言えば、イザナギがイザナミを探しに行ったときは、真っ暗でジメジメしていて、変な虫とかいる洞窟のようなイメージです。その上、黄泉の醜女(ヨモシコツメ)や雷神に追いかけられ、命からがら逃げかえってきた恐ろしい死者の国でした。
イメージ的には、地獄って感じですよね。
いろんな古事記解釈の本を読むのですが、黄泉の国と根の国・底の国は同一視されている場合が多いんですね。
しかし、その場合、ネズミの浄土が根の国で、根の国は黄泉の国で、浄土が黄泉で、天国は地獄で・・・、
あれ?
という疑問が生じてしまいます。
根の国は、本当に黄泉の国なのでしょうか?
昔、テレビで怖い顔をしたおばさんが「地獄に落ちるわよ」と言っているのを聞いて、震えあがったものですが、
オオナムチは、根の国に行くことで、お宝はゲットするは、嫁はもらうは、現世に戻るや、お宝を使って八十神たちを追いやり、オオクニヌシとして再誕するのですから、全然悪くないというか、むしろいいというか、何なら行ってみたいぐらいじゃないですか。
どうも、イザナギがイザナミを訪ねた「黄泉の国」と、
オオナムチがスサノヲを訪ねた「根の国」はイメージが違うんですよね。
「根の国」にも、ヘビやらムカデやらハチなど怖い生き物は出てきますが、草原なんかもあり、黄泉の国のような「闇」のイメージはなく、結構明るいイメージですよね。
沖縄の言葉に、チムとマブイという言葉があります。
チムは肝で、心。マブイは生きている人の魂だそうです。
それで、死んだ人の魂はタマシーというらしく、同じ魂でも状態で呼び方が違うんですね。
どうやら、この辺にヒントがありそうな気がします。
根の国の「根」は英語ではroot。
rootには、植物の根という意味以外に、根源、本質、祖先、心のふるさと、といった意味があります。
根の国は、私たちの根源である「ルーツの国」なのでしょうか?
つづく