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一得一失?

基本的には、「一得一失」という考え方を採用している。

一得一失とは→ 一方で得する面があると、他方で損する面があること。また、物事には良い面と悪い面があるということ。

つまり、何かを得れば、何かを失うという考え方。

だがしかし、"それでは甘い"と内心思っている。

何かを得ても、何も失わない場合もあるだろうし、何かを失っても、何も得ない場合もあるだろう。←これ一番の場合は問題ないけど、二番の場合は大問題である。

例えば、何かを失ったとして、"何かを失ったんだから、それ相応の別の何かを得れる筈だ" と期待することは自分には出来ない。

何故なら、何も得られなかった時、酷く落胆するだろうし、期待するその気持ちが辛い。それなら失ったままだと思っておいた方が楽な気持ちになれる。

と、このように楽観的に物事を考える事が出来ない。

だってさ、多くの場合、不幸は不幸のままじゃない。

そんな上手い話はないよ。大体の場合において、崩れ落ちたら立て直すのが難しい。はっきり言って、立て直すという行為は至難の業である。

でも悲観的とはまた違うと思うんだよな。

念のために、予め、最低最悪の予想を立てておく事によって、打撃を少なくするというか、そうする事によって安心が得られる訳。

つまりね、用意周到なだけなんだよ。

しかも!もし最低最悪の予想が外れたら、"あぁ、良かった。"と、それはそれで幸せな気持ちになったりする。

むしろ得な訳!

でも陰湿な一面があるのが、楽観的な人を見ると、眩しくて羨ましいけど、近づきたくないと思ってしまう。決して馬鹿にしている訳ではないけど、なんか言葉が薄っぺらくて暑苦しくて息が詰まる。

でもそれ仕方がないと思わない?

持って生まれた性格や置かれた環境によって、考え方の基礎が違う訳だし、それを合わそうとする方が難しい。

はっきり言って、こっちは一つや二つのコンプレックスを持ってないような奴とは関わりたくないんだよ、話が合わないから。

だから結局、お互い干渉しない、棲み分けで解決だが、それは無理なんだよね。何故なら、至る所にそれらは存在するから。

つい先日も、大して重要でもなく考えてもない内容で、「Jyoは考え過ぎ!」と人に大きい声で言われ、"じゃ君は一体何を考えているんだ?もしかして何も考えてないの?"と言いそうになったけど寸前で止めた。

感じ悪くならない程度に適当な相槌を打って、話を逸らした。言い方悪いけど、"話が続くのが面倒だから、こちらの都合で折れてやるよ。"の状態である。

社会で生きるとは、まさにそれの連続だ。

噛み合わなくても、気にも止めずにサラッと軽快に受け流す。真面目に真正面から受け止める必要なし。付け加えると、陰気な雰囲気は損をするだけだから、出来るだけ明るく、はっきりとした口調で話して、ちょっと微笑んでおけばそれで良し。

あ、そういや昔、「左に受け流す〜」みたいな歌あったね。そういう感じで受け流していけばストレスを軽減出来るから有効!


この間、お父さんと演歌の歌番組を見ていた時に、「さくら~さくら~いつまで待っても来ぬひとと~死んだひととは おなじこと~」という音楽が流れて、"まぁ、確かに"と思った。

つまり、自分に気のない人に、いくら自分の何処が素晴らしいポイントであるか長々と説明したとしても、全く意味ない。むしろ逆効果。だってそもそも気がないんだから。つまりその人にとってはいてもいなくてもいい存在で、どうでも良い訳。

辛辣~w

まぁでも確かに、恋は理不尽で曖昧で努力でなんとか出来るモノではないよね。ジーニーも相手の心を操作して恋愛を実らせることは無理だと言ってたもんね。

あぁ、ジーニー好きだったなぁ。青いし。


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