格好良いの定義
人や物、考え方、全てにおいて"格好良いかどうか"は非常に重要なポイントであると思って生きている。
そしてね、自分の中の"格好良いの定義"は明確に定まっている場合が多い。
例えば、服は基本的に黒一択。何故なら、自分が格好良いと思う人は大体黒い服を着ているから。←このような感じで、多岐に渡り"格好良いの定義"を勝手に定め、それに従って生きている。
もちろん、変動もする。昔は眉毛を片方だけ赤に染めるのが格好良い眉毛の定義だと思っていたけど、今はそう思わないから染めない。むしろ今となってはもう黒歴史だと思っている。(一応念のために補足しておきますが、「似合っている」とよく言われてました!)
つまり何が言いたいかと言うと、極力自ら定めた"格好良いの定義"から逸れたくない。惨めな気持ちになるから、ダサいことを考えたくない。
だけど、弟の事を考えると、"どうせ何を言っても聞こえないんだろ?"と、心(脳)が折れそうになる。
"弟が病に向き合わない限り、支えることが出来ないかもしれない。このままだと共倒れしてしまうかもしれない。"と不安な気持ちでいっぱいになる。
この件だけは、"自分になら弟を支えて、良き道に導いていける"という風に思えない。何故なら、病気が強過ぎるから。
支離滅裂で物事を複雑にしていく我の強い弟を見ているのが辛い。
YouTubeの中のドクターが精神疾患を抱える家族に向けて動画で、【病院に受診拒否する患者さんをどうやって病院に連れて行けば良いのか?】という質問に対して、「北風ではなく、太陽になって下さい。」と答えていた。さらに、「話を聞いてあげて下さい。」「何か一言、文句を言ってやりたくなっても堪えて。」「とにかく堪える、言わない。」「辛いのは分かります。」「だけどそれでもやらなきゃいけないんです。」と悲痛な表情で髪を振り乱しながら熱弁しているドクターの姿を見て、心(脳)が動かされて、"よし、頑張ろう!太陽になろう!"と思って実際に今まで行動してきたんだけど、上手くいかない。
それは何故なのか考えた結果、理由が分かった。単純に太陽になるやり方が分からないんだ…何故なら、北風の中で生きてきたから。困った時は、「ダサいからやめろ」「格好悪いことはするな」「やるべきことはさっさとやれ」全て自分自身を脅して解決してきた。だから太陽にはなれない。
つまり、太陽になるには太陽の光を浴びたという経験がないと太陽にはなれないんだよ。だって知らないんだからw ←おいおいおい、悲しい話だと思わないか?こんなもんは涙なしには聞けへん話やぞ!w
"素質がない。動かせない。無力だ。"と項垂れている時に、この間の日曜日(1/28 )偶然テレビで全日本卓球選手権の決勝を見た。
一際目が鋭い人→張本君が戦っている姿を見て、撃たれた。
格好良過ぎた。。。
張本君の戦う姿勢というか、押されていても、攻撃を仕掛けていく姿に感動した。
これはもう絶対にチョレイの精神を見習わなくてはならない。弱気になっている場合ではないと強制的に奮い立たされた。
張本君、ありがとう!
もう一度、頑張ってみるよ!!!
ちなみに、これは非常に珍しい現象である。何故ならサッカーや野球、その他運動全般を観戦する趣味はない。嫌いとかでもなく全く興味がない。もちろん、卓球も興味ない。ルールも分からない。それなのに張本君に興味津々。チョレイ-} (⃔ *`꒳´ * )⃕↝
(そう言えば、卓球と言えば愛ちゃんがいたね。…愛ちゃんと言えば、あの衝撃的な不倫のニュースを思い出してしまうね…個人的な見解だけど、きっと彼女は卓球を幼少期からやり過ぎて、人間として一番重要な倫理的な部分が欠けているというか育たなかった極端な一例だと思っている。批判じゃないよ!!!ある意味、仕方がないと思えるという意味。批判ではないけど、ここで一つ個人的な考えを述べておこうと思う。どんな理由があろうと、不倫する奴は悪そのもの。だって誰かの心を殺す行為だからね。「そんなつもりはない」は通用しない。だって結婚した時点で他人の人生も巻き込んじゃってる訳なのでね。それでもどうしてもと言うなら、せめて先に関係性を切ってから行くのが筋だろ?同時進行なんてあり得ない愚行だ。)
とにかく、今回で張本君は完全にマイウォッチングリストに入った。(⃔ *`꒳´ * )⃕↝
それにしても…
チョレイってどういう意味?