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[笑゛祭]代表インタビューvol.2-きょうすけ-第1弾「笑゛のファンから代表へ」

代表インタビュー2人目はきょうすけさん。
学生プロジェクトや大逆転の大賞、きょうすけさんが笑゛に入ってから代表になるまで、現役メンバーのお悩み相談などのインタビュー内容を3回に分けてお届けします!
インタビュアーは、現役踊り子のサウスポー(以下:左)、ゆか(以下:ゆか)、こじろーる(以下:こじ)です。

雲の上の存在

きょうすけ:みんなはさ、何きっかけで笑゛に入ったの?

こじ:学生チームの時の先輩から声をかけてもらったのがきっかけでした。

左:僕もその感じです。

ゆか:私は、学生チームの時の先輩から笑゛の動画を見せてもらって、「踊りたい!」ってなって、入りました。

こじ:きょうすけさんはどんなきっかけで笑゛に入られたんですか?

きょうすけ:俺はね、元々あさぎっていうチームに居たんだけど、その当時から笑゛ってすごくて、憧れだった。あさぎ自体も笑゛に憧れた人が作ったチームだったから、余計に笑゛への憧れは大きかったかな。「ファンです!」みたいな、雲の上の存在だった。どまつり中も時間があれば追っかけしてたしね。それで、心粋のソーランの時に限定参加の話があったから、一大決心して参加して、でもやっぱり初めてのソーランは正式な笑゛メンバーとして踊りたくなって、北海道に着いた金曜日に入笑゛書出して入ったんだよね。だから、始まりは笑゛のファンからだった。

目指してたチームの姿

笑゛が好きすぎるからこそ

左:きょうすけさんが笑゛の代表をやっていたときにチームに求めていたことっていうのは何でしたか?

きょうすけ:やっぱり、笑゛が好きすぎるから、強いチーム・いいチームであり続けてほしいっていうのはあった。自分の代もそうだけど、それがずっと無くならないでほしいっていうそういう思いが強かったから、チームのメンバーには「当たり前+α」っていうテーマはずっと出させてもらってた。ちゃんとやるのは当たり前で、そこから+αで何かしていかないとやっぱいいチームにならないからね。

怖いだけじゃない。笑゛の良さを知ってほしい。

きょうすけ:あと、チームとしては、交流を広げたいなって思ってた。外からファンとして見てた笑゛は、かっこいいチームだったけど、すごく遠い存在に感じてて、それがまたかっこよさを引き立たせるんだけど、入りたい身からしたら、入りづらい。近寄ることすら緊張する。そういう人って絶対周りにもっといると思ったし、そういう人たちが入れるようにならないと、長期的に見てチームが続いていかないから、同じような人が笑゛に来やすくて、他のチームから見ても笑゛が近くて、もっとフレンドリーに話せたらと思ってた。代表になった時にそれが1番「やりたい」と思ってたことかな。

左:交流って具体的にどんなことをされてたんですか?

きょうすけ:まず、代表になった時に、どまつり界隈で俺の知名度がなかったのね。どっちかっていうと副代表の大舘とかまいまいさんの方がどまつり界隈で顔と名前が知られてた。だから、代表になったことを知ってもらわないといけないから、まずは行けるチーム全部に顔出して挨拶して回ってた。あと、その時が『LIVE(2010年度演舞)』でソーランに行く年で、代表になって最初の仕事がソーランだったの。過去に2回ソーランに行った時は、元々交流があったチームにしか声をかけてなかったけど、その年はそれを取っ払って「誰でも、笑゛でソーラン行きたい人は一緒に行きましょう!」って声かけも合わせて言って回ってた。大館に「交流あるところ全部連れて行って」って言ってて、「あそこありますけど行きます?」って感じで、チームの練習以外にも、心纏いさんの鍋会とか、夢道源人さんの花見とかも参加したね。

左:その流れで関西の方にも行ったんですか?

きょうすけ:関西は、自分たちから行くより先に、LIVEのソーランに輪舞曲の子たちが来てくれたんだよね。それで、次はこっちから輪舞曲の学生祭典を応援しに行ったりした。

こじ:輪舞曲を見に来てくれてたんですね。
左:めちゃめちゃ嬉しい。

きょうすけ:お互いが出てるイベントで話すだけじゃなくて、相手の練習に行くとか、メインで頑張ってる祭りを応援しに行くとかっていうのはよくやってたね。

左:閉鎖的なままやったら、メンバーも入ってこやんし、笑゛が好きで、入りたいけど、遠い存在になってしまってる人たちが入りやすいようにいろんな人と交流して、距離を近くにっていうことをしてたんですね。

きょうすけ:そうだね。その時だけ強くてもっていうのは思ってて、人が入ってこないと廃れてしまうから、笑゛に人が集まってきてほしいって考えてた。そうなると、窓口増やしておきたいし、その上でクオリティを上げようと思うと、各チームである程度目に付くメンバーに「おいでよ」って意識的に声かけたりね。そうすると、その人を慕ってる人が来てくれるじゃん?下の代の子たちとか。だから、そういうのは大事にしてた。当時は「学生プロジェクト」って呼んでて、学生チームとのパイプを広げてたね。今では当たり前になってると思うけど、当時笑゛がこれをやるインパクトは大きかったと思うよ。

左:それで言うと、僕らもそのパイプがあって入ってるんで。
こじ:カルゴさんが声かけてくださって、私たちの代からしたらとんでもない憧れの先輩だったので。
きょうすけ:おー、そうなんだ。カルゴが呼んでくれたんだ。
左:そうなんです。なので、僕ら入ったのも、そのパイプがあったからですね。
きょうすけ:カルゴに感謝だな

日本全国黒に塗りつぶす旅

2012年こいや祭りフィナーレ

左:そういう交流もあって、関西のこいや祭りに笑゛が進出し始めたんですか?

きょうすけ:交流目的もゼロではないけど、どっちかっていうと趣旨が違ってて、「笑゛を日本全国に広めたい」ってのが目的だった。笑゛ってほぼ東海圏とソーランくらいしか行かないじゃん?どうせなら「日本全国の祭り出て、賞を総舐めにしようぜ」って言って、「日本全国黒に塗りつぶす旅」みたいなプチプロジェクトをスタートしたんだよね。その最初がこいやで、初出場で準大賞もらえて。その後に京都の学生祭典にも出たんだけど、関西で有名なキッズチームに負けて予選落ちしたの。それが『何がなんでも(2012年度演舞)」の年だったかな。『笑゛レボリューション(2013年度演舞)」の年に東京よさこいにも行ったね。

こじ:本当に、日本全国に!

きょうすけ:でも、東京でも賞もらえずで、やっぱり祭りとの相性ってあるなってことで、そこで終わったんだよね。それでも、東京の時は、晴地舞から大人数で限定に来てくれたりとか、いろんなチームから来てくれてたな。

こじ:日本全国黒に染め上げるのはちょっと大変でしたけど、人が集まるっていう面ではよかったところもあったんですね。

きょうすけ:そうそう、そっちの面では一応成果があったと思う。東京で見て、東京から入笑゛したメンバーもいたし、関西もそれまでより距離感とか関係性が近くなった感じはあったしね。笑゛の体制を強くする仕組み作りみたいなことは、ある程度整えることが出来たって思ってる。

チームは人

ゆか:チームを強くしていく上で、きょうすけさんが1番大事にしてた軸っていうのはどんなところなのか教えていただきたいです。

きょうすけ:「人と人の繋がり」はすごい意識してたかもしれない。結局、チーム内でコミュニティとかって絶対出来るけど、全体で見て誰も取りこぼしがないようにってことになるかな。それが軸かは分からないけど、やっぱりチームは人だと思っているからこそ、全員がチームとして繋がっていたい。やっぱり一緒に目標を達成する仲間だから、そこはすごく大事にしてたかもね。

どまつりファイナルという重圧

セミファイナルから大賞受賞

左:ストレートに聞くんですけど、笑゛の代表でいることの楽しさとか、それこそ、100人っていうメンバーの代表って難しいこともあると思うんですけど、楽しかったこととか、難しかったことっていうのはありますか?

きょうすけ:今となっては、あんまり難しいとは思わないけど、当時なったすぐは、難しいっていうよりもプレッシャーが半端ないから、それが難しさ、大変さみたいな。ファン時代に雲の上の存在だったチームの代表になってしまったわけで、周りの期待もすごいしね。代表になった後に大澤さん(初代代表)から言われた「みんな1年通して笑゛に時間を費やしているから、引っ張っていく奴は、大賞を獲らせる義務がある」って言われたのをずっと持ち続けてたかな。

左:義務ですか!?

きょうすけ:うん。「獲らせなきゃいけない」って覚悟だね。メンバーはどまつり2日間のために1年費やしてくれてるわけだから。あとは、今も続いてるけど、ずっとファイナルから落ちてないっていう記録を自分の代で途絶えさせる訳にはいかない。ってね。代表になる前までは、「うちのチームすげぇだろ」って思ってたけど、代表になるとそれがドンって。自分の代で切れたとか言われたくないから、それもプレッシャーだったね。

左:その圧の中で2012年って…

きょうすけさん:落ちたな。(笑)

左:セミファイナルから上がったじゃないですか。あの時の心境ってどうやったんですか?

きょうすけ:あれはやばかった。俺もやばかったけど、当時パレード作ってくれてた大舘とたなちん(当時パレード班長)の凹みが俺よりもやばかった。特にあの年は大澤さんに戻って来てもらって、「何がなんでも大賞獲る」って言ってる年だったから余計に。結果の電話が来た後は、凹みながら大舘と二人でその後の流れを相談しつつ集合場所まで行ったけど、時間的に抽選に行かないといけないから、メンバーへの発表とかは副代表の大舘に任せる形になったんだよね。その時のことが代表4年間の中で1番印象深いかな。

左:1番印象深いですか?

きょうすけ:うん。その後に伝説の「メイクミラクル!」っていうのが起きてね、俺も詳しくは知らないから、詳細は当時を知ってる人に聞いてみてほしいんだけど、大舘が暗い雰囲気をいい感じに笑い飛ばしてくれたらしい。だから、抽選から終わって帰って来た時には、何かみんな明るかったの。

左:えー意外ですね。

きょうすけ:だから、大舘やっぱりすごいなって思ったよ。かたや俺は、抽選でいくつか思い出があってね。らんラン東海さんが同じセミファイナルなのに、「お前らがファイナルに行かんでどうするんだ」「俺らはいいからお前らがファイナル行け」ってすごい応援してくれて、泣きそうなくらい嬉しかったんだけど、その反面、セミの抽選が終わったのに帰れずファイナルチームの抽選を目の前で見続けることになったり、解散の後に「どうせファイナル上がって来るんですよね?待ってますから。」って言われたりで、最終的にすごく悔しい想いをして帰ることになったの。

こじ:でも、メンバーは明るいんですよね?

きょうすけ:うん、メンバーが明るいのは良かったと思った。で、全体で集まって話を始めたんだけど、最初にパレード作りもサポートしてくれた大澤さんがみんなに「ファイナルごめん」って伝えて。少し静かになった後に俺が話す番になったんだけど、何を話そうか考えて、抽選解散後に言われたさっきの悔しかった話を気持ちのまま素直にしたのね。「悔しすぎて我慢できない!」って。その瞬間にメンバーのスイッチがボン!って入って、なんか目の色が変わった。

こじ:みんなのスイッチが…

きょうすけ:そうそう。みんなが悔しい気持ちにめちゃくちゃ共感してくれたんだと思う。その結果、あの年って、セミファイナルの演舞が1番すごいのよ。声も踊りも気持ちも、ファイナルや大賞演舞と比べても圧倒的にすごい(笑)映像で見ててもまず声がやばいもん。後々、大澤さんが「ステージ裏のはずなのに、すごい声が聞こえてきて感動したのが何なんの演舞だった」って言ってくれるんだけど、多分、セミファイナルのことだと思う。

左:聞いたことあります!

きょうすけ:あれは、すごかった。それでその勢いのままファイナルだったけど、ファイナルは入場でトラブったり、途中でいくつもミスがあったりで、冷静に見ると正直気になる点は多い。けど、踊りじゃなくて、気持ちと声で獲った大賞だったと思う。

こじ:セミファイナルから大賞って考えられないですよね。

きょうすけ:うん、そうだね。あの時は、確かセミファイナルが出来て初めてのどまつりで、その年にセミファイナルから上がって大賞獲っちゃったから、周りからすると「は?」だよね。

ゆか:確かに!

きょうすけ:悔しい気持ちを爆発させるってあんまり良いことではないし、そんな機会は無い方がいいんだけど。でも人間って感情の生き物だから、気持ち次第で全然違う演舞が出来るってことだね。あれはほんとにすごかった。だから、何か代表として獲らせたっていう感覚もないし、本当にみんなで獲ったっていう感じ。まさに「全が一」だったね。

第1弾はここまで!
次回は、代表就任の裏側についてです!

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