三億円事件で〝ぐにゃっ〟と世界が歪む
〝ぐにゃっ〟と世界が歪む音が聞こえるときがある。
数年前、あの有名な未解決事件である〝三億円事件〟の犯人(とおぼしき人)が名乗り出たそうだ。
理由は、自分はもういつ死んでもおかしくない年齢で、もしこのまま誰にも話さないまま死んでしまったら、この事件は本当に迷宮入りを果たしてしまう。
あれだけ世間を騒がせてしまった以上、事実は誰かに伝えなければ、と思い立ち、事件の犯人が自分の子どもに真相を話し、それらを書き取らせた後、世の中に発表したらしい。
ほぉ。
僕は、犯人が誰でとか、どうやって三億円もの大金を持ち逃げすることができたのかとか、なぜ捕まることなく時効を迎えられたのかとか、そんなことよりも、
「私が三億円事件の犯人だ」と自分の親に言われたときの、息子の反応がとても気になる。
ぐにゃ。
きっとそのとき彼の世界は歪んだと思う。
〝三億円事件の告白〟ほどではないにしても、僕たちが生きている世界でも、たまに「ぐにゃっ」と世界が歪むときがある。
先月、種子島出身の友達ができた。高校までずっと島暮らし。初めて東京に行ったときこう思ったらしい。
「なんだ、今日は祭りか」
痺れる。人の多さから連想してすぐに「今日は祭りだ」と変換するその想像力の純粋さに心をうたれる。
その後、祭りではないんだと気づいたとき、きっとその子の世界は歪んだと思う。
同じゼミだった女の子が、大学3年の夏に大学生らしいことをしよう!と浴衣を着て納涼船に乗った。
〝東京湾をクルージングしながら飲み放題〟みたいなやつだ。
そこではナンパがすごかったらしく、特に印象に残っているのがトルコ人からのナンパだったと言う。
「カワイイネ」「イッショニノマナイ?」と片言で口説き文句をいろいろ言われたが、「結構です」と断って無視し続けていたら、
最後、去り際に、捨て台詞でこう言われたらしい。
「ケバブあるのに」
痺れる。一緒にケバブを食べることが日本人女性への口説き文句になりうると勘違いしているその異文化交流の難しさに心をうたれる。
その男が「日本人の女性は、ケバブではつられない」と知ったとき、きっと世界が歪むことになるだろう。
もう10年くらい前のバレンタインデーでの話。
授業終わり、大学で一番前の席に座って居眠りをしていそうな男が、女の子からチョコをもらっていた。
「◯◯ちゃんから本命チョコもらったー!よっしゃー!!!」
「あ、いや、ごめん…義理ね……」
「ぎり?頑張らなあかんやつやん!ギリ本命かぁ~!」
痺れる。もちろん、底抜けのポジティブさにだ。このずば抜けた前向きさはどのように形成されたのか、実験台としてぜひとも母校の研究室で調べてほしい。素晴らしい素材を提供します。ポジティブ心理学のさらなる飛躍に貢献することとなるだろう。
ところで、僕はというと、中学生の頃、
ある女の子が、本命の男子にチョコを渡したが受け取ってもらえず、どうしようか悩んだ末、せっかく作ったしとその繰り上がりで僕にチョコを渡したということがあった。
放課後になってある友達から真相を聞かされ、
「僕は二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男二番目の男」
と意識が朦朧としながら帰ったことがあった。
それなのに義理チョコを〝ギリ本命チョコ〟と思えるそんなタフで屈強で逞しい精神力を持った人もいるんだなぁと、僕の世界が歪んだ。
足元がぐらぐらした。
さて、ここまで書いてきて、僕はやっぱり〝三億円事件の告白〟がいいなぁと思う。
想像してみた。
「ちょっとつばき、こっちに来なさい。今日は大事な話があるの」
「なに、母さん」
「心して聞いてね。実はお母さん三億円事件の犯人なの。
だから、あんたにも三億円事件の犯人の血が流れているのよ」
ぐにゃっ。
世界が歪む音が聞こえた。
もう立っていられない。痺れる。
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