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安倍元総理の事件から1年

ニュースでこの映像が流れるまではっきり言って忘れていた。
同郷の人間が総理を撃ったこと。
撃たれたあの場所は小さい頃からよく行ったデパートの前。
何度も、何度も通った道。

上京して約20年。
あの道を最後に通ったのもそのくらい前になる。
テレビ越しに懐かしい景色と、銃声が一緒に聞こえてくるなんて予想だにしなかった。

まあ、そんな大きなショックを受けても
総理が死んでも
そのことを一旦忘れて生きていた。
日々目の前のことをするのに精一杯で。

事件からちょうど1年ということで
テレビもSNSもそのことばかり言っていた。
そうかもう1年か
とやっと目の前のことから顔をあげ、1年前のことを考えた。

ニュースでは
もう1人狙撃者(仲間)がいたんじゃないかとか
SNSでは
心臓を撃たれたと言う医者と心臓に傷はないという警察の相違とか
容疑者の精神鑑定に1年はかかり過ぎ何か隠してるとか
色々言っている

確かに日本史上衝撃的な事件であるが
私は人が1人殺された、もっと簡単に言うと
死んだだけじゃね?
と思う
死んだ本人の無念と
急死したことに心を痛める親族とその周りの人々
その全てにご愁傷様ですと手を合わせることのみなんじゃないか?
と思う
事件だ事件だ不可解だ不可解だと騒ぐ前に
ただ弔いの念を捧げると言うことはしたのだろうか?と

もし
安倍さんじゃないどこかの誰かが
誰も知らないところで知らぬうちに殺されていたら
誰も弔わないし
事件にもならない
でも
同じ命が奪われたことに変わりはない

同等の命なのに

安倍さんにはあれだけ献花が集まって
デジタル献花なんてのもあったりして

そりゃ残した功績がどうのこうのはあるだろうけど

なんか変なの

ただ1人の人が殺されただけなら
こんなに裏工作したりなんだりかんだりないんだろうなと思うと
なんかおかしい
逆に命を軽んじてるように感じる

残された人間が
もう亡くなって何も物言えぬ人のことを操作していいのか?と疑問に思う

1年経って
結局胸糞の悪い事件だったと総じて感じた

同じ奈良人が総理を撃つことになったことも
非常に遺憾である
一旦忘れてたけどね

そんなことを思った2023年7月8日だった。

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