コロナを今更になって罹患した話2
夜中に目が覚める。
喉の激痛で洗面台でうがいをする。点けたライトに目が眩む。鏡に映る自分は随分ひどい顔をしている。
2、3回口から吐き出す水に血が混じっている。
こんなに痛い時って血が出てるんだなぁと冷静に思う。
日付が変わりコロナ陽性3日目。
日々変化はあるが、一進一退。辛いものは辛い。
喉は激痛だが鼻呼吸ができているので記録を残すとする。
療養期間中、辛くて意識が朦朧としたまま一日が終わる時もあれば、今みたいに少し動ける時がある。そういう時に思う。普段は『日常』という波に追われて書く時間すらないのだと。こんなに辛い時にしかゆっくり自分に向き合えないのかと思うとげんなりする。
栄養ドリンクが傷付いた喉に染みる。
眠れないというのは辛いものだ。
1時間くらいで目が覚める。
理由は呼吸困難になりかけるくらいむせ込む咳だったり、鼻が詰まって息ができなくなったり、呼吸を楽にするためにベッドのギャッジを上げているためにお尻や腰が痛くなったり、と様々だ。単純に痛すぎる頭痛というのもある。
じっと寝ていれば回復が早いかもしれないのに、度々起きてしまうという日々は辛い。昼間も関係なく寝るので睡眠時間は取れているにしても、寝て起きてを強制的に繰り返すというのは休んだ気にならないものだ。
医者がトローチを処方してくれなかったので龍角散を口に入れる。
もっと辛い罹患者はいる。
当然である。
でも、私は辛い。
どんな状況であろうと、症状であろうと、辛いものは辛い。
私にとって辛いのだから、それが世界の全てである。
人間は一人一人感じ方が違う。
体の作りも免疫力も、ポテンシャルは多種多様である。
その一人一人に同じ病気のスケールを当てて測っても、感じ方は多様にあると思う。
そして自分より辛い症例を見て「自分はまだマシなのだ」と思うのは違うと思う。
その一瞬一瞬で辛いものは辛い。
何がどう辛いのか、表現しなけばならないと思う。
私の価値観の中に、周りを見て自分を調整するというものが刷り込まれていると改めて思う。
それは幼稚園の頃から、先生の掛け声で体操隊形に開けとか言われていたからだと思う。初めはゆっくり、周りとどのくらいの距離を持てばいいか自分が列からはみ出てないかをどう確かめるか、教えられる。高校生になれば笛1つで広がったり集合したり。遅ければ怒られる。
あれ、なんの教えだったんだろう。
文字に書いて改めて思ったが、『体操隊形』って怖い言葉。軍隊じゃないか。
ずっと音で聴いていたから、漢字を書いたことも調べたこともなかった。
『たいそうたいけいにひらけー』って頭の中では平仮名しか浮かんでなかった。
笛1つで開いたり集合出来るようになった頃には、ほとんどノールックで自分の立ち位置が分かるところまで仕上がっている。
周りとの間隔、列が一直線か、はみ出てないか。
自分は、周りからはみ出てないか。
なんでそんな授業があったんだろう。
自分を大切に、個性を大切に生きることが本質的な生き方である。
軍隊のような育て方は間違っていると私は思う。
話が飛躍しすぎたが、
コロナは辛い。
辛いものは辛い。
人と比べてどうとかは知らない。
ただただ辛い。
それをここに記しておく。
早くぐっすり眠れるようになりたい。