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【シェアハウスに住むということ。】〜交流や出会いを求めているあなたへ〜

「私はシェアハウスに住んでいます。」

自己紹介で何千回と使ったフレーズです。

「私は一人暮らししています。」ないし「私は実家暮らししています。」なんてことを、自己紹介でおおっぴろげにする人はいないというのに・・・

この様な人は住人との”交流”を通して「シェアハウス」というを居住形態を一つのアイデンティティとして扱っており、存在証明として「シェアハウスに住んでいる」と誇示していると考えます。

私はその”交流”を目的としてシェアハウスに住んでいるのですが・・・(笑)

今回の記事のテーマは、21歳から住み始めたシェアハウスに4年も腰を下ろしている私が経験した、【こころの変化】をベースに書いていけたらなと思います。

どんな人が住んでいるのか

ドラマ:「妖怪シェアハウス」より

まずシェアハウスという場所には、どんな人が集まってくるのでしょうか。

私が当初シェアハウスに住むことを決めた理由は以下の通りです。

  • 一人だと何かと不安だったから(災害などの時)

  • 家賃を安く抑えたかった

  • 同年代の人とあわよくば友達になりたかった

ここら辺がメインになってきます。
どっちらかというと、金銭面であったり一人でいることの恐怖心を払拭するためにシェアハウスを選んだ節がありました。

では最初は人との関わりを求めなかった私が、どうして交流を求めて住み続けているのかを手始めにお話します。

シェアハウスに住んでいるとどんなことが起こるのか

幅広い種類の友人ができる

これに限るでしょう。

学校や会社では到底出会うことのできなかった、異業種の方や独特な考えを持った人と関りを持つことが出来ます。

ダンサー、エンジニア、ミュージシャン、舞台俳優、起業家、デザイナー、先生など、一気に知り合いがあれよあれよと増えていきます(笑)

様々な考え方を持っている方も多いので、一緒の時間を過ごすうちにその仕事に憧れて転職する人なんかも出てきます。

シェアハウスですから、もちろん自分と同年代の人ばかりが住んでいるわけではありません。

年齢制限が設けられているシェアハウスも多いのですが、私の住んでいる場所では大学生1年生~60代後半のお爺さんまでが一緒の家を使っていました。

人生経験の多い方と実りのある話をすることもあれば、同年代で集まって青春の思い出を作ったり・・・

生涯の伴侶を見つけた人もいれば、心から信頼できる親友に出会えるチャンスだってあります。

そんなこんなでいい面ばかり語りましたが、もちろん悪い面ももちろんあります。

いつの間にか、人生を覗き込んでしまう

仲良くなった住人と話し込んでしまえば、出身地の話から、家族の話、恋愛の話とセンシティブな話題へと足を踏み込んでいってしまうのが怖いところです。

学校よりも、会社よりも同じ時間を過ごしていると「相手をもっと知りたい」という欲が出てきて、他人の人生を思いがけず覗き見してしまうことが多々あります。

そこで踏み込みすぎると価値観や思想でぶつかったり、思わぬ地雷を踏んで関係修復ができないところまで落ちる可能性がでてきたり・・・

あくまで一緒に住んでいるのは、赤の他人であることを忘れないようにしないと住み心地の良かった居場所が、音を立てて崩れていきかねません。

赤の他人と同じ時間を過ごすということは、いろんな人の人生を覗き込むという危ない一面もあるため、ある程度の線引きつかず離れずをモットーに地雷原を回避することも大切になります。

長く住み続けることはいいこと?

映画:「にがくてあまい」より

私がこの記事を書こうと思ったきっかけは、「長く住みすぎた」ことへのデメリットを感じたからです。

ただ家賃が安くて、大きいリビングが使えて、快適な生活を送っていれば早々出ていきたいとは感じません。

私の知っている住人で10年近くシェアハウスに住んでいた方もいらっしゃるほど、ある程度の交流関係を築いていればとても居心地のいいユートピアなんです。

ただ、シェアハウスでの交流に慣れ過ぎたせいか2つのデメリットが生じました。

①仲良くなった住人を送り出すのが辛い

これは単純です。

一緒の家に住んでいても、いくら仲良くなっても、他人は他人

家族ではありません。いつか別れが来るのです。

LINEやInstagram、FacebookなどのSNSを通じていても、出て行ってしまった住人とは一生会えなくなる可能性があるのです。

一般的にシェアハウスの回転率は結構速く、1年半~2年、早ければ半年ほどで出て行ってしまう場合がほとんどです。

序盤でお話した通り、私は4年ほど住んでいるのでかなり多くの方を見送ってきました。

その中で、一人が出て行ってしまった後の喪失感が日に日に増してくるようになってもきました。

それは、もう二度と退去した住人と一緒に過ごした日常は帰ってこないからんだろうなと仮定しています。

毎日夕食を食べながらテレビを見て笑い合ったり、朝方まで真面目な話をしたり、急に遊びに行く計画を立てたり・・・

シェハアウスでの日常は、非日常だったことを毎回痛感します。

②自分の家だと勘違いする

4年も住んでいると、ここが賃貸だということも忘れていきます。

特に自分の部屋ではなく、リビングをそう勘違いしてしまうのです。

例えばお気に入りのソファーや机が置いてあるエリアに、新しい住人が座っていたりすると不快に感じたり。

新しい住人が挨拶してこなかったり、共有スペースの使い方がルール違反だったりすると、腹立たしさを抱かざる負えなくなります。

性格的な問題もあるかと思いますが、我が物顔でリビングなどの共用部を使う人は一定数どのシェアハウスにも存在しているようです。

まあ、こう感じてしまう人は家にしか居場所がないような寂しい人の可能性が高いので、放っておくか、適度な距離感を保てばいうほど害悪ではありません(笑)

自分自身が例に挙げたような人間なので、なぜ自分が腹立たしいのかという自己分析をしただけの話ですから、これらの話は鵜呑みにする必要はありません(笑)

寂しがり屋の巣窟、シェアハウス

映画:「”隠れビッチ”やってました。」より

シェアハウスに住むと忙しなく、出会いと別れが繰り返されます。

出会いは一生ものですが、別れも一瞬にして訪れます。

交流を目的にシェアハウスに住む人のほとんどは、人と「一緒に楽しいことがしたい!」などのポジティブな理由でかこつけますが、最初はそう思っていても人との別れを通してどんどん「寂しいから一緒にいる」という”依存”に変貌を遂げる傾向にあります。

つまり、特にさみしがり屋の自覚がなかった人でも、シェアハウスでの交流を通じて、孤独に対しての”物悲しさ”を感じやすくなるんですね。

最初にテーマとして掲げた【こころの変化】の大半は孤独耐性の劣化・欠如ということになりますね。

シェアハウスを転々として、中々一人暮らしできない人がいたり、同棲や結婚を機に出ていく人が後を絶たないのはそれ等が要因であることも考えられますね。

人間は一度ぬくもりの味を占めたら、戻ってこれない弱い生き物です。

タイトルの「シェアハウスに住むということ。」の答え、

それは、人の”温かさ”や”優しさ”から抜け出せなくなってしまうことだと思うのです。

つい自己紹介で「シェアハウスに住んでいる」と話してしまうような人は、人の好意に溺れてしまった人で、そんなシェアハウスに住んでいる自分のことが好きな人でもあるんじゃないかなと思います。

さいごに

映画「シェアハウス・ウィズ・バンパイア」より

ここまで読んでいただきましたが、これはあくまで私のいち見解です。

ただ、シェアハウスがこれほどまでに人生に影響を与える場所だとは思っていなかった私の思い出話であり、教訓でもあるのでどこかでこの記事が皆さんの役に立っていればなと思います。

シェアハウスで友達を作りたいと思っている方や、出会いを求める方に是非この記事を読んでいただき、どう思ったかご意見を聞きたいものです。

ではまた、別の記事でお会いできるのを楽しみにしています。

じぇんぬ










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